第10話 恐怖の教育係
お口直しのコーヒーを飲み終わり、さてさてと言って夏希さんは立ち上がった。
「それじゃあそろそろ昼休憩も終わるから、新太君が配属される営業部へ行きましょうか」
「はい、わかりました。確か、営業部ですよね?」
「えぇ。メンバーは……運がなかったかもしれないわね」
俯きがちに言う夏希さん。その意図はなんとなく汲み取れる。
きっと、下着で遭遇してしまった人たちがもれなく営業部だからだろう。飯島先輩、だったっけ。それとさっきまで案内をしてくれた石中奈那子さん。
まぁ、運がなかったと言っても俺は二人を見て、決して花柄のかわいらしい下着を思い出したり、地味目な大きな胸を思い出したりはしない。
ただし、二人を見て息子が愚息にならないという保証はできない。なぜなら別の生命体だから。
「あ、それと一つ」
「はい?」
「ここであったことはくれぐれも秘密にしなさい。まぁ、どうしても隠し通せないと思ったら、叱られたた、だとかこの会社について聞いていた、とか適当にでっちあげて頂戴ね」
「わかりました」
なんとなく予想はしていた内容を、俺は改めて心に刻み夏希さんに続いて社長室から出る。
昼休憩から帰ってきた数人の女性社員さんと目が合う。その度に好奇の目を向けてくるので困る。
夏希さんに付いて行き、いくつかのデスク群を通過して、【営業部】と天井から看板をぶら下げられた場所に着く。端っこのデスクで、自前のだろうかバランスのよさそうな小さな弁当を食べている奈那子さんの姿。
そのほかにも、数人デスクの上で作業をしていたり、奈那子さんと同じように弁当を食べていたり。個々でそれぞれのことをしていたのだが、夏希さんを見た途端「こんにちわ」と笑顔を浮かべながら挨拶をした。
それにこたえるように夏希さんも社長の時の平坦な声色で挨拶を返す。そして挨拶の波が落ち着いたとき。
「あ、社長! こんにちはっ」
凜として、それでいて芯のある声。社長の時の夏希さんがいくらか軟化したようなその声に、俺と夏希さんはほぼ同時に後ろを振り返る。
「あぁ、真奈美。お帰り。今昼休憩終わりかしら?」
「はい社長。実は今日、最近できたスイパラ、スイーツパラダイスに行ってきたんです」
「そうなの。かなりカロリーが爆発しそうね」
「うぅ、その現実は忘れさせてください……」
真奈美さん、と呼ばれたショートカットの女性は俺を一瞥し、ハッとした様子で社長の方へと向く。
「そちらの男性はもしかして……?」
「えぇ、例の子。今日からあなたに一任させるから、よろしく頼むわよ」
「あ、あぁ! わかりました」
真奈美さんは社長に向けていた目線を俺に向け、にこりと微笑む。クリっとした目が糸のように細くなるのがまたキュートだった。
「確か、日田新太君、よね?」
「あ、はい! これからよろしくお願いします!」
俺は深々と頭を下げ、少しして頭をあげる。にこやかな笑みは消えていたが、それでも柔らかな表情に変わりはない。
「私は営業部の部長をしている
「期待に答えられるように頑張ります」
先ほどまではとはいかないが、一度お辞儀をして再び向き直る。重く感じる期待から、少し嚙みそうになったことは秘密だ。
「日田君。彼女はなかなかできる女性だから、しっかりとしごかれてきなさい」
相変わらず平坦な口調で夏希さんは言う。それに照れた様子で真奈美さんが答える。
「もう、やめてくださいよ。それを言うなら社長ですよ。ね? 新太君?」
「あ、はい、部長さんの言う通りですね……」
「気を使ってくれてどうも。それじゃあ、私はそろそろ戻るから、あとは頼んだわよ、真奈美」
「はい、社長」
夏希さんは一度俺に目配せした後、颯爽と社長室へ戻っていった。
「はぁ、本当に社長はかっこいいわよね。そうは思わない? 新太君」
「はい、僕もそう思います、」
「それとああ見えて乙女チックなところとかも素敵よね」
「そうです……かね」
なんで真奈美さんが社長が冷徹なところ以外を知っているのだろう。と、思ったが、部長という立場である真奈美さんには野暮な質問のような気がした。
俺が知らないだけで社長から信頼されていたり、普通に仲が良いだけかもしれないし。俺が知っている夏希さんだけがすべてではないのだ。
「ええ。あ、あと言い忘れてたけど、私の呼びは真奈美でいいからね」
「あ、わかりました。真奈美、さん」
「うん、それで良し! ところで、新太君の教育係は誰にしようかしら……」
まるで、少女漫画を読む乙女のような表情をしていた真奈美さんは、胸に着いたレースをはらりと舞わせて辺りを見渡す。
そして、ちょうどそのタイミングに営業部に返ってきた人物が二人。
「今日のランチ混んでましたねー」
「そうね。思ったより帰ってくるのが遅くなっちゃった」
確か、飯島先輩と、冴木さん、だったっけか。飯島先輩はハーフアップに髪をまとめていて、この前見たお風呂上がりの時よりも清楚さを感じられた。まぁ、そもそも下着一つの状態で清楚さを感じられるのか、と言う話なのだが。
冴木さんは前とあまり変わらずシンプルな紺色のパンツに辺り触りの無い上着を羽織っていた。何の変哲もない格好だが、体のシルエットがわかりやすく、冴木さんのスタイルの良さを物語っていた。
「あ、ちょうどいい。怜ちゃん、この子の教育係お願いね!」
「……え?」
楽しそうな表情から一変。持っていたポーチをポロリと落とし、絶望に近い表情でこちらに首を向ける飯島先輩。そんな表情をされるとすごく傷つきます。
「え、ちょっと、部長? 教育係なんて私には荷が重いかなー、なんて?」
「私は、ちょうどいいと思うけど?」
「う、えぇ……」
俺を一瞥し、そしていっしょにランチを取ったのだろう冴木さんに助けを求めるように目配せをするが、冴木さんはぷいっと視線を逸した。
「じゃあ決まりねー! 怜ちゃん! しっかりよろしくね! それじゃ!」
ルンルンと鼻歌を歌いながら自分のデスクへと戻る真奈美さん。そして、冴木さんも飯島先輩の肩をポンっと軽く叩き、デスクへ戻っていく。
絶望。悲観。悲壮。この三つがぐちゃぐちゃに混ざったような表情を浮かべ、体に穴をあける勢いで俺を見つめてくる飯島先輩。
なんでこんなにかわいそう詰め込んだような表情をしてるんだろうなー、はは。……すいません俺のせいです。
いや、そもそも俺のせいなのか? 夏希さんから注意されたのは飯島先輩だし……。
まぁ、誰が悪いとか、そういう不毛なことを考えるのはやめにしよう。うん、そうだ。
そうでないと、心臓に穴をあけに来るのではないかと思うほどの飯島先輩の視線がいつか本物になりそうだからな。
とりあえず顔に皺を寄せる飯島先輩に話しかけてみる。
「あのぉ……飯島先輩? よろしくお願いします……?」
「……ワタシハワスレナイ」
「ひぃっ」
ひとしきり、怨念や私怨が籠った目線と言動で俺を怖がらせたあと、満足したのかふんっと鼻を鳴らしついてきて、と一言。
俺はプリプリしている飯島先輩についていくしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます