第2話 椿堂株式会社


 あの後、もろもろの手続きを済ませ、帰宅した。そして、数週間後、本当に採用通知が家に届いていた。未だに信じられない。


 しかし、信じられなくとも就職したことには変わりはない。たとえ大半が女性職員の職場でも、俺が採用されたということは大なり小なり男の社員さんもいるのだろう。


 そう自分を鼓舞しながら浮足立った気持ちでビルに足を踏み入れる。エレベータに乗り、椿堂株式会社がある階まで乗っていく。


 俺以外に乗り込んでくる人もいなかったため、そこそこ上階だった会社へもスムーズに到着できた。


 ぽーん、という気の抜けた音が鳴り、エレベーターのドアが開く。フロアを歩くと、椿堂株式会社の文字があてがわれた看板が張り付けられた入口を見つける。


 ふぅ、と一息。第一印象が大事だ。女性社員さんはもちろん、きっといるであろう他の男性社員さんたちとも仲良くしていきたい。だから、挨拶はしっかりと、元気よく。


 心の中でそう復唱した俺は、一歩、また一歩と踏み出してゆく。そして、あらかじめ伝えられていた暗証番号をドア横のロック画面に入力し、ドアをノックし、勢いよく開く。


「失礼します! 今日からお世話になります、新入社員の日田ひた新太あらたです! 宜しくお願いします!」


 開けた瞬間に深々とお辞儀をし、数秒経ったのち、顔をあげる。これで最初の第一印象は悪くないはずだ。


 俺は、そう自信を持っていた。はずだった。


「……だっ、だっ、だれぇぇぇぇぇ!?!?」


 上下に華やかな下着を無いに等しい胸に付け、ブロンドボブの髪の毛から滴る水滴を拭く女性に鉢合わせなければ。



「とりあえず警察を呼びましょうか」


「そっそうですね!! そうしましょう!!」


 ダークグレーの髪を肩ほどまで伸ばしているお姉さんは冷静に俺を警察に突き出そうとし、隣のブロンドボブの女の人もそれに乗り気だ。


「そっ! それだけは勘弁してくださいっ! どうか!」


 これ、俺が悪いのか? なんて思いながら頭を地面にこすりつける。


 だって、指定された日時に会社に来ただけだぞ? それなのに開幕即土下座って、やっぱりやばい企業だったのか、ここは。


 このまま警察沙汰になって、結局定年するまでただ働きしろとか言われたりして……就職できずニートになるより恐ろしいぞ、おい。


「あ、繋がった。もしもし」


 と、ダークグレーのお姉さん。ブロンドボブの方は俺が動かないか眼光を光らせている。


「はい。不審者が入ってきて——」


「——ごめんなさい。案件が上手くまとまらなくって遅刻しちゃったわ。ところで新入社員君は……って、なんなの? この状況」


 ガチャリ、と後ろのドアが開いたと同時に聞き覚えのある声が響く。可憐でいて芯のある鈴の音みたいな上品な声。社長さんだ。


 救世主様。いや、この状況に陥れた悪魔か? いや、もう今はどうでもいいからとりあえず助けてほしい。


「この人、私がシャワーを浴びて、出てきたときに不法侵入してきて……ってもしかして新入社員君って……」


 土下座をしているせいで床しか見えないが、声が下を向いたような気がした。きっと俺の無様な姿を視界にとらえているのだろう。


 だが、やっと疑惑が解けるかもしれない。その嬉しさから顔を少しづつ上げようとしたが、半分ほど上げたところでブロンドショートの神域スカートの中がこんにちわしそうになったのですぐに元も場所へともどした。


「はぁ、あなた達、いつも言っているじゃない。女性しかいないからと油断してオフィスの中を下着で徘徊しないでって。どちらかと言えばあなたたちの方が不審者よ?」


 痛いところをつかれたように二人はうめき声を上げながら、謝罪を交える。だがしかし、それと同時に納得いかないような声色で社長さんに反抗する。


「で、でも、どうせ女の子しかいないし、良いじゃないですかっ!」


 社長に対して声をすこしだけ荒らげるブロンドボブの女の子。こわいなあ、なんて思う反面、これだけ声を荒らげることが出来るってことは、それほどに信頼し合っている証なのだろう。


 しかし、それは社長も同じようで。


「だから何度も言っているじゃない。やめなさいって。男性社員が入らないとは一言も言っていないわ。それに先々のことを考えるのはビジネスの基本。そう教えなかったかしら?」


「う、うぅ……確かにそうです。すいませんでした……以後気を付けます」


「反省したならそれでいいわ」


 それからもごもごと謝罪の言葉を口にしているブロンドボブの頭を撫でながら、ダークグレーの方にも電話を切るように指示を出す社長。渋々といった様子で電話を切る。


 俺もそのころには土下座を脱出していて、おでこに着いたホコリを手で払っていた。


「それじゃあ改めて紹介するわね。この子が新入社員の日田新太君。この会社初の男性社員だけど、頑張ってね」


「は、はい! 頑張ります!」


 勢いよく頭を下げる。今回は謝罪ではなく、これからお世話になる方々への挨拶であって……あれ、今、初の男性社員って、言わなかったっけ?


「よし、良い返事ね。この会社は二人だけではないのだけれど、とりあえず自己紹介をしておきましょうか」


 俺のことを気にすることなく先へ進む社長。過去に遊んだ非良心的なRPGを思い出す。


 ブロンドショートとダークグレーの二人が顔を合わせ、おずおずとブロンドショートの方が小さく手を挙げる。まだ信じられないものを見るような目で見てくるのは心外だが。


「私の名前は飯島いいじまれい。二年目です。よろしくお願いします」


「私の名前は冴木さえきまち。社会人として七年目、この会社では怜と同じ二年目よ。よろしく」


 飯島怜、と言った方ははブロンドのボブに、可愛らしい顔立ちで、身長はそこまで大きくない。


 それに対して冴木まち、と名乗った方は対照的にかっこいい感じの女性だ。


 2人と握手を交わし、冴木さんは小声で「もう覗かないでね」なんて言ってきた。


 先ほどまで警察に通報しようとしていた人とは思えない。これが余裕のある大人かぁ。


「足手まといになるかもしれませんが、頑張ります! 改めてよろしくお願いします!」


 いろいろ気になる事はあるが、一旦それらを頭の片隅に置いておく。


 社長は俺の挨拶を軽く褒めた後、二人を家に帰した。どうやら大きなプロジェクトの直後だったらしく、その勢いで一夜をこの会社で過ごしたのだという。


 俺は社長とフロア内を軽く周り、諸々の備品など、これから使うであろうものについて僅かに触れる程度に説明を受けた。最後に社長室に案内された。


 一点の曇りもないガラスに囲まれた社長部屋。入口からは外の景色が丸見えで、その窓側に大きなデスクが一つ。


 すべてガラスに囲まれた部屋。なんだか落ち着かなそうだが、社長も社員を常に見ておきたいのだろう。そう思った矢先。


 社長が机の上にあったリモコンを持ち、ボタンを押す。ぴっ、という機械音と共にガラス張りの壁が一気に曇ってゆく。そして数秒後には完全に外への視界が遮断された。


「やっとこれで二人っきりね。まぁ、会社だからどうにも落ち着きはしないけれど、しないよりかはましね。で、新太君。きっと聞きたいことが山ほどあるでしょうから、二つだけ質問に答えてあげるわ」


 社長は大きなデスクの上に直接腰掛け、程よい肉感の足を組みながら言う。


「え、えと、なんで質問が二つだけなんでしょうか?」


「それは質問に入るのだけれど……まぁいいわ。聞きたいことを端的に、大事な部分を絞ることは出来る社会人の基本だからよ。じゃあ次」


 我ながらもったいないことをしたなぁ、なんて思いながら最後の質問を考える。


「えっと、社員さんはどれくらい居るですか?」


「なんでって、それは私の——え? それ? そっち聞いちゃうの?」


「え? そっちって言いますと?」


「あ、いや、その。まあ、いいわ。この会社全体の社員数は三十五人。あなたを含めてね。そして、あなたが所属するのは営業部。さっきの二人と同じ部署よ。営業部はあなた含めて六名。これでいいかしら?」


 何故かサファイヤブルーの瞳を呆れたように狭める社長。ただでさえ冷たい態度を瞳が冷たさを加速させている。


 相変わらず珍しい瞳だなぁ、なんて感心する暇もなく、初っ端から俺は何をやらかしてしまってのだろうと必死に頭を回していた。


 社長は「普通そっちかしら? えぇ?」なんて小言を漏らしている。聞こえてます社長。


 それとなんかすいません。俺が就職できなかったのは就職氷河期のせいじゃなかったみたいです。


「まぁ、いいわ。あなた、指定した住所に荷物はもう送っているでしょ? 早速そっちに行くわよ」


「はい! ……でも、社長。社宅って書かれている場所に送ったんですけど、高級タワマンの最上階って、どういう事なのでしょうか」


 社宅に入ることが必須条件と採用通知書に書かれていて、住所の間違いでないことを祈りながら送ったのだが。


 社長はビクリと一瞬震えて動きを止める。まるで蛇に睨まれた蛙のようだ。どちらかといえば俺が蛙だったはずだったよな?


「……ふぅ。荷物はもう送っているのよね? 間違いなく」


「はい? 採用通知書に書いてありましたから送りましたし、さっきそう言いましたけど」


 それなら問題ないか、と呟き、社長は大きく深呼吸をした。


 そして、言った。


「あ、あなたは私と同じ家に住むの。いいかしら?」


 と。


 

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