第18話 凹凸の無い先輩


 気まずい、というか、恥ずかしい、というのか、表現に困る空間がしばらく続き、お弁当を食べ終わった後は必要最低限の会話だけを交わして、俺は営業部へと戻った。


 そして、時刻は12時50分。再会するには少し早い気もしたが、さっさと仕事を終わらせる。


 しばらくパソコンに向き合っていると、息を切らした冴木先輩と、飯島先輩がデスクに戻ってきた。


「どうしたの? 二人とも。遅れそうになるなんて珍しい」


 真奈美さんが腕組みをしながら、先輩二人組に質問を飛ばす。特に怒っている様子もない。


「あぁ、思った以上に混んでて。それと、信号にありえないほど引っかかりました」


「そうなの。災難だったわね。あ、それと怜ちゃん、忘れてないわよね?」


「えぇ。もちろんです」


「それならいいわ。まぁ、頑張ってね」


「はい、ありがとうございます……」


 真奈美さんは自分のデスクへと戻り、飯島先輩も冴木先輩も自分のデスクへと戻る。


 そして俺の右横のデスクに戻ってきた飯島先輩と目が合う。そして、舌打ち。怖い。


「進捗は?」


「あと三十分くらいです」


「やるじゃん。それ終わったらちょうど一時間くらいあるから、自由にしといていいよ。ただ、出発は三時だから絶対それには遅れないように」


「わかりました。がんばります」


 飯島先輩は俺の言葉に、はいよ、と返事をしてチェアに座り、早速パソコンに向き合い、カタカタとパソコンを叩き始めた。


 俺も負けないように、早く追いつけるように自分の仕事を始めた。



「いける?」


「いけます」


 電話対応やら、なんやらで少し時間が押したが、自由時間の余裕のおかげで何とか終わった。


「それじゃあ部長、営業いってきます」


「はい、行ってらっしゃい」


「僕も同じく行ってきます」


「はーい。初めての営業ファイトだよー」


 真奈美さんの言葉を胸に、飯島先輩とエレベーターに乗り込む。そして、飯島先輩はB2の地下駐車場を押した。


「あ、飯島先輩、車乗るんですね」


 どちらかと言えば小柄で可愛らしいイメージの飯島先輩が車に乗っている姿はなんだか想像しにくい。どちらかと言えば冴木先輩がブイブイ言わせているイメージだ。


 しかし、その言葉が地雷だったかのように、これまでの刺すような視線を超えたような睨みを飯島先輩は効かせてきた。いつか刺されるんじゃないかな。本当に。


「私が車乗るの、何か変? ねぇ。胸がない小柄な私が乗るのはおかしいか!?」


「あ、い、いえ、まったくそんなことではないですハイ」


 なによりそこまで言ってないし、そこまで思っていない。けれど、あの華奢な体を思い出して——


 いけないいけない。忘れろ。消去だ消去。


「フンっ。あっそう。……ついたよ」


 そう言うと丁度、チーン、と到着を知らせる音が鳴り扉が開く。すこし湿っていて、どこか冷たく感じる地下駐車場に到着した。


 無言で地下駐車場を進む飯島先輩を追いかけるようについて行く。しばらく歩くと、飯島先輩は鍵を取り出し、ボタンを押す。すると、すこし先にあるイカつめな車のライトが二回ほど点灯した。


「なんだか意外ですね。飯島先輩があんなかっこいい車に乗ってらっしゃるって……あ」


 ギャップがすごすぎてぽろりと出てしまった。まずい。そう思い、飯島先輩の方を見ると、珍しくまんざらでもない表情を浮かべ、鼻を鳴らす。


「で、でしょ! 私、あの車本当に好きで、社会人になったら買ってやる! って、思ってたんだ! だから、毎回あの車を見るたびににやけちゃって、へへ」


「…………いいと思います」


「…………今のはすべて忘れなさい上司命令よ」


 別に引いたわけではなかったのだが、なんせギャップがすごい。冴木先輩と一緒に居るときと同じくらいに顔を幸せそうに歪めていた。


 意外な一面を見られた飯島先輩は少し赤みの残る顔のまま、車に乗り込み俺に助手席に乗れと指示を出す。


 俺は指示された通り、助手席に乗り込む。座り心地の良い、レザーカバーの席。それに、ふんわりと香る甘めないい匂い。いやでも女性の車に乗っているということを考えさせられる。


 俺はその事実から顔をそむけるように運転席に座っている飯島先輩の方を向く。飯島先輩は座席を前にスライドさせたり、シートベルトを着けている。


 どこがとは言わないが、凹凸がないせいで夏希さんよりも息が楽そうだ。どこがとは言わないけど。


 飯島先輩はエンジンをふかし、ごぅと、エンジンが唸る。


「それじゃあ行くよ」


「はい、おねがいします」

 

 やや、と言うか、かなり前に行った座席から、飯島先輩はアクセルを踏み込んだ。



 沈黙が籠る車内。窓をあけて心地の良い春風が入ってきているからか、沈黙がそこまで気まずくは感じられなかった。


「日田」


「あ、はい。どうしましたか、飯島先輩」


「今日行く場所、わかってる?」


 相変わらず平坦でいて冷たい声色でそう言った。


「はい。フロム百貨店、ですよね」


 フロム百貨店とは、都内でも有数の百貨店だ。


「しってんのね。で、フロム百貨店なんだけど何度か営業行ってて、多分今日で決まると思う」


 何処か、神妙な面持ちでハンドルを握りしめる飯島先輩。今の今までわからなかったが、緊張しているのだろうか。


「私にとって、初めて任された大きな仕事なの。だから、絶対成功させたい。……それだけ」


「そうなんですね。きっと飯島先輩なら大丈夫だと思いますよ」


「ふんっ。何を根拠に言ってんの」


「何を根拠にって、飯島先輩、仕事は丁寧に教えてくださいますし、何より、先輩自身の仕事ぶりもすごく尊敬できますし」


「へー。そんな褒めても何も出さないわよ」


 飯島先輩はいつも通りに平坦な声で返事をしたが、そこ口角がほんのり上がっていることを俺は見逃さなかった。


「本心ですよ」


「…………」


 それから、フロム百貨店に到着するまで、俺と先輩で言葉を交わすことは無かった。




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