第37話 進み行く事象

「私が日田の事……好きって、知ってた?」


 唇が触れてしまいそうなほどの至近距離で、顔を赤面させながら、あつい吐息を吐きだしながら、飯島先輩はそう言った。


 知っていた。


 これが俺の素直に答えた場合。そして、嘘を吐くのなら、


 知らなかった。


 と、こう答えればいいだけだ。しかし、今、そう答えられるのに、なぜか口が重く閉ざされているような感覚。恋愛偏差値がほぼゼロな俺でも勘づく今までのアピール。それらを無下にしてしまうような気がするのだ。


 しかし、知っていた、言ってしまえば、あの時起きていたことがばれてしまう。それに、あの時起きていたことがばれてしまったら色々とまずい。


 口を少し開いて、またとじて。出そうで出ない答えを自分の中で探す。そして、芽生え始めた折衷案。馬鹿なふりをして、この場を乗り切れるのなら。


「もしかして、先輩、本当に僕の事を好き、なんですか?」


 再確認をするような言葉。いつもの飯島先輩なら、恥ずかしがって顔を逸らしてしまうだろう。


 だが、これで飯島先輩が恥ずかしがって、質問をなかったことにすれば、言い方は悪いが俺の勝ち。しかし、認めてしまったのなら——


「うん。私は日田のことが、好き——だから」


 顔を背け、耳を真っ赤にしながら言った。言ってしまった。俺の負けだ。


 飯島先輩の言葉を、飯島先輩の気持ちを、受け取るのか、受け取らないのか。


 きっと耳の赤みが引けば、飯島先輩の唇との距離がまた近づけば、きっと迫られるだろう。だから、それまでに答えを、自分の気持ちを見出さなければいけない、のだが。


「…………すいません。わから、ないです」


 わからないのだ。何が『好き』で、何が好意なのか。俺が夏希さんに向ける『わからない』は好き、なのかそれとも単純な好意なのか。


 飯島先輩がこうやって近くに居るときに早く跳ねる心臓は好き、なのか好意なのか、それとも生理現象なのか。


 そもそも、好き、と好意に差なんてあるのか。


 全てがわからない、のだ。


 だけど、こうやって気持ちを真摯に伝えてくれた飯島先輩には伝えなければならないだろう。俺の心の中を、できる限り鮮明に。


 こんがらがる脳内をゆっくりと整理する。そして深呼吸をして、声を乗せる。


「今、こうやって飯島先輩の近くに居ると、すごくドキドキします」


「…………っっ」


「——だけど、夏希さんと一緒に居るときは、すごく安心して、楽しくて。あっ、あの、飯島先輩と居るのが楽しくないって言ってるわけじゃなくて。なんていうか、その、夏希さんの笑顔を見ると心がウキウキして、夏希さんの悲しい顔を見るとすごく胸がきゅっとして。なんていうか、すっごく心を奪われているっていうか。うまく言葉にできないんですけど……これが、僕の気持ち、です」


 今の気持ちを、『わからない』を吐き出して、すっきりしたと感じると同時に。感じる少しだけ刺さるような重い空気。


 膝まくらの柔らかさが感じなくなって、飯島先輩がぼそりと呟く。


「それは、かてっこないじゃん……」


 その声は、信じられないほどに悲しげで、今にも泣きそうな気さえしてきた。


 そのまましばしの無言——に、入ることは無かった。


「ふぁーあ。ごめんごめん寝てたわぁー。お、日田起きたのか。おはよう」


「あ、おはようございます」


「うーっし。じゃあ怜。私たちは部屋に戻ろうか」


 背伸びをしながら、半目になりながらそう言った冴木先輩。


「……はい」


 俺から目を逸らしている飯島先輩がそう答える。そして、冴木先輩に手を引かれ、飯島先輩は部屋を後にした。


 俺はため息をつき、周りを見渡す。


「あぁ、ここって、俺の部屋だったんだな」


 そう気づいたものの、なぜか無性に何も考えたくなかった。


【冴木まち視点】


 ずっと起きてた。正直、面白がって寝たふりをしていたはずなんだけど。


 今は本館の私たちの部屋に戻ろうとするためエレベータの中。その中で、私の胸に顔をうずめる子が、私のかわいいかわいい後輩が一人。


「うぅっ、あぁぁっ……あぁ……」


「よしよし。頑張ったよ怜は。だからいっぱい泣いていいぞ」


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 ボロボロとエレベータの床に零れる大粒の恋心。私の胸の中に居る怜の涙。つらいだろう怜の気持ちがこれでも伝わってきてつらい。


「よしよし。いっぱい泣いて、早めに忘れようね」


 さらに加速する嗚咽。かける言葉間違えたかなー、なんて思いながらやはり頭を撫でる。


 ベルが鳴り、エレベーターのドアが開く。幸い誰ともすれ違わず部屋に着いた。


 部屋に着くと、相変わらず泣き続ける怜をベッドに座らせて、タオルを手渡し隣に座ってしばらく背中をさすっていた。


 三十分してやっと声が小さくなってきて、一時間もしたころには鼻をすするだけになっていた。メイクではない真っ赤な目に当てるため、冷凍庫から氷を持ってきて、タオルに包んで渡してあげる。


「ありがとうございます」と、笑顔を浮かべながら言ってくれた。それを見て私は改めて思う。やはり、怜には笑顔が似合う。


 それに、思い人が泣く姿は誰だって見たくないだろうしね。


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