第36話 もしかして、知ってた?


 二人が水風呂に向かってからしばらくした頃。俺もそろそろ体が火照ってきて、耐えきれなくなった。


 一度、風呂のふちに座り、体を風ですこし冷まして立ち上がる。そして向かったのはやはり水風呂。


 湯気で、少し遠い所が見えなくなっていたが、僅かに見える影。しかし、その影は一人分しかなかった。


「あぁ、冴木先輩ですか」


「うん。怜の方がよかった?」


「そんなことはないですよ。僕も入らせてもらってもいいですか?」


 どうぞ、と答えながら端に寄る冴木先輩。5、6人ほど入れそうな広さなのだが、俺に気を使ってくれたのだろうか。寄ったのを確認して俺も水風呂に失礼する。


「ぬぉ……」


 想像通り、しびれるような冷たさだったが、慣れたら火照った体にちょうどいい。やっとの思いで腰までつかると、とりあえず段差に腰を置いた。


「そういえば飯島先輩はどこへ行ったんですか?」


「怜はそこのビーチチェアに座ってる」


 そう言いながら俺の背面を指さす。そちらを見ると、湯煙の向こうに先輩の薄いシルエットが見えた。


「水風呂ですっきりしたからのんびりしてくるって。……一緒に桶風呂に入ってくれば?」


「いやいや、自分は誘えませんよ。引かれちゃいそうですし」


 なんて、冗談のつもりで言ってみただけだったのだが、それを見逃さぬ、まるで獲物を見つけた猛獣のような瞳に冴木先輩は様変わりした。


「へー。自分からは、ね」


 再びニヤリと笑った冴木先輩。冴木先輩が笑みを浮かべると、大抵よくない事が起きる。一瞬警戒したが、その警戒も虚しく露天風呂に冴木先輩の声が響き渡る。


「れーいー! 日田が一緒に桶風呂に入りたいってーー!!」


 三回ほど響いて、飯島先輩の「ひぇっ!?」という声が再び露天に響いた。



 そして、今現在。


 本来ならばおそらく一人用であろう桶風呂で、俺と飯島先輩は体を寄せ合いながら風呂に入っていた。


 飯島先輩の体はかなり小柄だ。そして、それに伴ってか胸も……この話は止そう。


 しかし、だ。俺の体はお世辞にも小さいとは言えない。一応平均以上の身長はある。


 たとえ飯島先輩の体が小柄とはいえ、大柄の俺と桶風呂に入れば狭い。すっごい狭い。


 どれほど狭いかと言うと、体の三割が密着するほどに狭い。それに、どちらも顔を背けているせいで、もっと気まずい。


 そして俺の目線の先には、ビーチチェアに座ったこの状況の原因であり火付け役の冴木先輩がいた。やはりニヤついている。


 どうすることもできず、お互いに少し動いて、ふたたび密着する肌の面積が増えたり減ったり。腕だったり肩だったり、太ももだったりが変わり代わりに密着する。


 段々と、お風呂の熱さだけではない火照りがやってきた。さすがに飯島先輩もそれを感じたようで。


「ね、ねぇ日田。熱くない? 出ない?」


「そ、そうですね。そろそろあがりましょう?」


 顔を見合わせ、立ち上がろうとした、その時。


「ねぇっ! まだ、入るよね?」


 と、俺と飯島先輩の肩を支えにしてひょいっと桶風呂に入ってきたのは——


「ちょっ、さすがに狭いですっ冴木先輩!!」


「何? 上司に太ってるとかいうつもり?」


「いやそうじゃなくって——」


 と、言ってる間にも足を入れ、そして半分無理やり体をねじ込んでくる。ねじ込んで入ってきたせいで、さらに体の密着度が上がり、息子が準備体操をし始めた。すごくまずい。


 俺は圧倒的危機を感じ、立ち上がろうとするが、それを阻止する冴木先輩の手。出るに出られず、そんな中でも冴木先輩はさらに桶風呂に浸かっていった。


 そして、肩まで浸かって、ふぃ、とため息をつく頃には、冴木先輩の豊満なお山と、太ももが俺のお腹に、ぴったりと密着していた。飯島先輩とはもはや抱き合っているようなものだ。


 中がどうなっているのかは自分でもわからない。


 さすがにこの状況で息子が起動しないわけもなく。しっかり、しっかりしていた。


「結構、ぎゅうぎゅうだね」


 わぁ、と声を漏らしながら悪気の無さそうにそう言う冴木先輩。そんな先輩を横目に、俺の脳はすでに沸騰寸前を迎えていた。


「あ、あたりまえじゃないですか……」


 段々とぼやける視界。お風呂の中に居なくてもきっとのぼせてしまっていただろうこの状況。


 ふらりふらりと揺れる頭。ついに首に力が入らなくなって目の前のたわわな果実に頭を預ける。それとほぼ同時に遠くで響く冴木先輩の声。


 俺はそのまま遠のく意識を手放した。




 肌に感じるさわやかな風。俺の頬を掠めて髪を揺らす。


 どうにも心地よくて、寝返りをうつ。風が掠めていた頬に、柔らかでむっちりとした感覚。それと同時にいい匂いが鼻腔を支配する。


 何事かと思い、目を開ける。視界は横に傾いていて、その視線上に冴木先輩が居た。ただし、机に突っ伏して目を閉じていたが。


 何をやっているんだろうか。というか、ここはどこなのだろうか。なんだか見たことのあるような気がしたが、どうにも思い出せない。


「ふぅっ……あぁ」


 再び天井方向を向きながら、腕を横に伸ばして背を鳴らす。そして瞑っていた目を開く。そしてそこには——


「お、おはよう日田。大丈夫?」


「え? あ、お、おはようございます?」


 困惑している俺を心配そうに見つめる飯島先輩。いつもと違ってメイクをしていないようだったが、それでも美人、というかかわいいという表現が抜群に似合っていた。


「大丈夫? 記憶ある?」


「記憶……ですか?」


「うん」


 そう言われて、俺は飯島先輩の太ももを堪能したまま思考に耽る。そして、段々と思い出してきた。確か、混浴に入って、色々あって桶風呂で——


「全部しっかりと思い出しました」


「そう、それなら良かった。そのまま起きなかったり、記憶が飛んでたりしたらどうしようと思ってた」


「ご心配ありがとうございます……それじゃあ——」


 俺が腕を地面に着き、飯島先輩の膝まくらを失礼しようとしていた時。


「ちょっとまって」


 そう言って飯島先輩は俺の頭を小さな手で掴んで、再びふとももの枕へと誘った。


「な、なんです?」


「ちょっといきなりで悪いとは思うんだけど……聞きたいことがあるんだよ……ね」


 そう言った飯島先輩は徐に背を曲げ、顔を近づけてくる。そして、唇と唇が触れ合いそうになる直前。すこし目を細めて、そして不満げに口を開いた。


「私が日田の事……好きって、知ってた?」

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