第26話 お酒はほどほどに


 あれから数日。飯島先輩の様子は変わりなく、なんならあれから飯島先輩の業績は上がる一方だ。


 そして、俺もこの職場にかなり馴染んでいけている。いつも通り定時を迎え、花の金曜日にウキウキしながら帰る準備をしていた時。


 相変わらず修羅のようにキーボードを打っていた飯島先輩がちらりとこちらを向いて言った。


「あ、日田。まだ帰らないでね? 歓迎会するから」


「え、歓迎会?」


「うん。日田の。できるだけ早くしようとしてたんだけど、色々と重なってできなくて、やっと今日営業部全体でスケジュールがあったから。すこし前に決まってたんだけど伝えるのすっかり忘れてた」


「そ、そうなんですか……ちなみに何時からですか?」


「六時。私もあと数分で終わるから。てか、どうする? あれだったら私の車に乗せられるけど……乗る?」


「あ、じゃあお願いしてもいいですか?」


「うんわかった。すぐ終わらせるから」


 再び修羅モードに入った飯島先輩は尋常ではない速度でキーボードを打ち始めた。




「かんぱーい!!」


 真奈美さんが生ビールのジョッキを高く上げ、それに合わせて俺と先輩たちはそれぞれの飲み物をあげる。


「「「「かんぱーい!」」」」


 営業部の面子は俺と冴木先輩が飯島先輩の車に乗り、真奈美さんは奈那子さんの車に乗り、すこし遅れて到着した。


 夏希さんには営業部の歓迎会がある、という趣旨のメッセージをすでに送っている。返信が無いのが気がかりだが、きっと大丈夫だろう。


「いやー、なんか時が流れるのって意外と早いわねー!」


 真奈美さんは生ビールを流し込みながら言う。豪快な飲みっぷりだ。


「本当ですよ。最初はどうなる事やらと思いましたけど、案外、日田も怜とちゃんとやれてるみたいですし。ね? 怜」


「っっ!! べ、別に普通にしてるだけですよ」


 飯島先輩は枝豆を口元に持っていきながらそう答えた。まるでドングリを咥えるリスのようで愛らしい。


「またまたー」


 冴木先輩と真奈美さんが茶化すように飯島先輩を指さす。それらから目を逸らす様に飯島先輩はジョッキに入ったカルピスを飲む。やはり何をしても愛らしさを拭えない。


 ちなみに今は半個室のテーブル席で、俺、俺の横に飯島先輩、その向かいに残りの三人が座っている。


「だって、今だって新太君の隣に座ってるしー」


「っっっ!! だっ、だ、だから! 私は日田の教育係ですから! 上司ですから!」


「えー、でも、なりたての頃はあれだけ嫌がってたのにー」


「そっ、それがわかってたならなんで変えなかったんですか!」


「えー、なんとなく? それに、今は満更じゃないでしょ?」


「~~~っっ!! い、言ってる意味が分かりませんっ!」


 なんて、微笑ましい? 会話を俺はウーロン茶片手に持って聞いていた。


「そういえば新太君彼女とかいるの?」


 真奈美さんも片手に生ビールのジョッキ、片手に枝豆を持ち俺に聞いてきた。


「僕は——」


「日田はいないですよ」


 と、なぜか俺よりも早く答える飯島先輩。「あ゛」と、手から枝豆を落とす。


「へぇー、そうなんだぁーー」


 と、ニヤニヤしながら冴木先輩と真奈美さんは飯島先輩に問い詰める。


 俺はそっぽを向きながらおつまみをつまんだ。



 しばらくして、場が温まってきた頃。俺は、二杯目のウーロン茶を半分ほど飲んだ時。


「あぁ……やべっ」


 なんだか、頭がふらふらしてき——


「ひゃっ!? ど、どうしたの日田っ!?」


 頭が重い。いや、首に力が入らないのか? 兎も角、自分で体勢を動かせない。そのせいで飯島先輩の肩に寄っかかってしまっている。


 あぁ、本当に頭が回らない。平衡感覚もどこかへ飛んで行ってしまっているみたいだ。


 これ、確か20歳の誕生日の日、初めてお酒を飲んだ日になったやつ……


「ひゅー! 二人できてんじゃーん!」


「でっ、できてないです!」


「またまたー……って、あれ? 日田の顔、真っ赤っかじゃん、どうしたの?」


「えっ?」


 ぼやける視界から俺の顔を覗き込む飯島先輩の綺麗な顔が見える。その顔が遠くなったり、近くなったり、あぁ、本格的にダメかもこれ。


「あ……もしかして、私の頼んだウーロンハイ飲んじゃったかも……うん、多分そうだ」


 遠い所から冴木先輩の声が聞こえる。俺、酒飲んじゃったかぁ。やばいなぁ。


 とりあえず、本当に動けなくなる前に帰らなければ。


「す、すいません……自分そろそろ帰ります」


 必死に制御の聞かない頭を動かし、何とか立ち上がるが——。


「うぉっ」


「きゃっ!」


 倒れた。ちからが全く入らねぇ。ていうか、向き的に飯島先輩の方に倒れた気が……まぁ、いっか。何も考えられないし、何もわかんないし。


「日田君本当にやばいね……どうする?」


「あっ! 私送りましょう……か?」


 僅かに開いた瞼から、向かいの奈那子さんが手を挙げているのが見える。てか、なんだか、頭が包まれてる気がするのは……きっと気のせいだろう。


 しかし、それを断固として断ち切るような声色の飯島先輩が語気を強めて言った。


「いや、私が送ります」


「おぉっ、やっぱりできてんじゃないのー??」


「ちっ、ちがくて……教育係としてですよ!」


 むむむぅ!! なんて声が上から振りそそいで、すこし遠くから声が聞こえた後、飯島先輩が俺の顔を上から覗き込んだ。


「日田、立てる?」


 前髪が垂れた飯島先輩はいつもと違って大人な雰囲気が漂っていたが、そんなことよりも、今この角度から覗き込まれているということもしかして……膝枕されてる……?


 やばいなぁ、なんて思いながらふらふらする頭を何とか起こし、机に寄りかかるまでは自力でいけた。のだが。


 ここから一ミリも動ける気配がない。まずいな。それに、酔いが回ってきたのか、思考回路もおかしくなってきた気がする。


「あぁ、もうこれだめだね……怜ちゃん、本当にお願いしても大丈夫?」


「はい、大丈夫ですよ。それに、送ってからもう一度戻ってくるつもりなので」


「りょうかーい。じゃあ、気を付けてねー」


「はいー。ほら、日田。いくよ」


 俺の脇から飯島先輩のか細いうでが入り込み、何とか俺を補助して居酒屋の駐車場にまで進む。そして、助手席に乗せられ、シートベルトを付けられた。 


 ずっと飯島先輩に触れられていたから、飯島先輩のこの前とは違う香水の匂いが鼻から離れない。それに、もっと酔いが回ってきたような気がする。


 明らかに馬鹿になってる自信がある。この状態でなにか喋ればまずいことになる。


 そう思った俺は、僅かに出てくる吐き気を押さえながら、静かに目をつぶる。


 ぐるんぐるん常に回っているようで気持ちが悪い。すごく。


「日田。家まで送るから住所教えて」


 あぁ、なんか言ってる……住所は確か……


「…………みな…………」


「みな?」


 ……あぶねぇ。ぐっちゃぐちゃになっている思考でもぎりぎり考えられた。家を言うのは危ない。夏希さんが居る。


 でも、どうすれば……頭も回んない……し——。


「……ホテル……」


 咄嗟に出た回避策を口にして再び目を閉じる。


「えっ!?!?!?」


「ホテルに……おねが……いします」


 なんとか胃からの逆流を耐えながら言葉を口にする。


「えっ!?!? そ、それってそういう事なの!? えぇっ!?!?」


 なんだか飯島先輩が叫んでいるが、まぁ、多分、俺には関係ない話だから無視してぼーっと、グラグラと揺れる外の景色を見ていた。



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