第34話 来訪者


「夏希……さん?」


「えぇ。夏希さんです」


 二人っきりになっていないせいか、社長モードと夏希さんの中間をとってつけたような状態になっている。


 しかし、今の俺にとって、それらは後回しだ。それよりも今は——


「夏希さん……なんで来てるんですか……?」


 俺から出向くのはいつもの事なので、不審がる人もおそらくいないが、夏希さんがこちらに来てしまうのはまずいのではないか。


 と、不安に思ったのも束の間。夏希さんが左右の廊下を一度見て、部屋に押し入ってくる。


 そして、荷物を徐におろし、ふぅ、とため息をついて口を開く。


「なんでって、同じ家に住んでるのに、ホテルの部屋も同じじゃないとおかしくない?」


 夏希さんは純粋無垢な瞳でそう言ってのけた。なんとなく、俺がこの部屋に来た別の理由が理解できた気がする。あと部屋が妙に大きかった理由も。


「でも、それだったら本館にいないと怪しまれませんか? 社長が居ないと締まらないでしょうし……」


「あぁ、それは大丈夫。本館にももう一室自分の部屋として取ってる!」


「……さすがです」


 それから夏希さんは軽い荷物を部屋の隅に置いて、また夜に来ると言い残して出て行った。




 それは夏希さんが来て三十分ほどが経過したころ。


 ドンッ……トンットンッ。


 再び部屋にノックの音が響く。


 また夏希さんか? でも夜に来ると言ったはず……。


 何の用なのか思いつかないが、とりあえず部屋の鍵を開け、ドアを開くと——


「………-その……きた……」


 俯きがちに、時折視線を合わせてそう言ったのは、飯島先輩。


 なぜかいつにもなく引っ込み思案な印象を受ける。


「……どうしたんですか……?」


「……いや、理由……その、後輩がちゃんと生活できてるか? の? 確認? みたいな?」


 などと、手をもじもじさせながら言う飯島先輩。いつもの飯島先輩が感じられないことに躊躇う俺と、後輩の部屋に来てもじっている謎の飯島先輩と言う奇妙な組み合わせが玄関先で出来てしまった。


 どうしたものかと思っていると、飯島先輩はいつもの威勢を取り戻す様に声を出す。


「そ、そのっ! 部屋を見るっ!!」


「……あ、どぞ?」


 飯島先輩の雰囲気に押されてか俺までおかしくなってきた気がする。


 そんなおかしな飯島先輩は部屋をぐるりと一周歩いた後、再び俺のところに戻ってきて俺の胸元に指をさしながら口を開く。


「あっ、あのっ、日田! 汗、かいてない!?」


「え、急にどうしたんですか?」


「い、いいから……」


 一応、荷物の整理をしたり、炎天下の中ここまで歩いてきたこともあって、中々に体は気持ち悪い。正直そろそろお風呂に入ろうとしていたところだった。


「まぁ、かなりかいてますよ? 汗」


「じゃっ、じゃあっ!」


 俺の胸元をツンツン、と二回つついて顔を朱色に染めて言った。


「いっ、今からここ分館の温泉にい、行くよっ!?」




 本館は各部屋に一つずつ浴槽があり、なおかつ大きな大浴場がある。もちろん男湯と女湯に分かれてはいるが。


 しかし、分館には一つの大浴場しかない。


 そして、このお風呂には時代を感じさせる要素がある。それは——


「……なんで混浴だって知ってるんですか……それと、一緒に入ろうって……」


「こ、これは部下との、えっ、円滑な関係にするために必要な……ことっ!!」


「……なるほど……。じゃあ、なんで冴木先輩もご一緒に?」


「それなー」


 と、気だるそうに返事を返すのは冴木先輩。「二人だけでいいじゃん」なんてことを言いながらあくびをしている。


「だ、だって、なんか、えっと、その……」


 まるで幼児になったようにどもる飯島先輩。身長も相まって色々とまずい。


「先輩もいないと……緊張しちゃう……じゃなくって! 冴木先輩に色々と学ばせようと思った! の!」


「何言ってんの怜。最近、自分の方が業績良いのに」


「……ま、まぁ、そんなこと今はいいじゃないですかー、はは。と、とりあえず入りましょ?」


 口元をひくつかせた飯島先輩がそう言って、それに冴木先輩がため息をついてまぁいっか、と言葉を漏らす。


 ちなみに俺は一度断ろうとしたが、上司命令だと、断ればクビにする、なんてことを言われて断ろうにも断れなかった。


 階段を降り、一階の右奥に向かうと、大きめの暖簾が二つ下げられていた。一つは紺色で【男】と、かかれており、もう一つは赤色で【女】と暖簾の真ん中に白い文字で書かれていた。


 さすがに混浴とは言え、更衣室は別れているようだ。俺と飯島先輩たちはそこでいったん別れ、更衣室に入る。


 古びた更衣室はどこか昔の銭湯を連想させた。着替えを竹籠の中へと入れて、水着へと着替える。


 そして、混浴風呂のある方へと向かう。いくつか角を曲がると、ガラスの引き戸があり、それを開けるとそこには自然に囲まれて大きな露天風呂があった。


 このぼろ分館に似つかわしくない、立派な石畳の露天風呂。それはそれは綺麗でよどみのないお湯。


 端には、ヒノキ風呂のようなものもいくつかあった。


 先に入ってしまおうかとも考えたが、ベンチがあったので一応飯島先輩たちが来るまで待つことにした。


 そして待つこと数分。左隣の出入り口—多分女子の更衣室につながっている—から、とことこ、と走ってきた人物が一人。


「おまたせっ! 日田!」


 走ってきたせいなのか、息を切らしながら苦しそうにそう言ったのは飯島先輩だ。


 なぜか水着ではなく、バスタオルを体に巻いていて、薄い体のラインが見え隠れしている。


「……なんでバスタオルを巻いているんですか?」


「なんでだと思う?」


 口角をあげながら俺にそう問う。俺は見当もつかない答えにたどり着こうと、何とか頭を捻らせるが、答えは全く思い浮かばなかった。


「なんでなのかはわかりませんが、その下に水着を着ているんですよね?」


「うーん。どうだろうね? でも、着てたら……」


 肩のあたりをさすりながら、飯島先輩は言った。


「ここに、水着の紐があるはずじゃない?」


「え、じゃあ、もしかして……?」


「うん。そのもしかして、だよ?」


 そう言った途端。


 飯島先輩はニヤリと微笑み、バスタオルの端を手に持つ。


「えっ、何を——」


 俺の言葉を遮るように、巻いていたバスタオルを勢いよく外して宙に舞わせた。

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