第14話 指を切った時の対処法


 何とか荒ぶる息子をいさめて、夏希さんに遅れて部屋に入る。相変わらず広々としたリビングは圧巻と言う言葉に尽きる。


「あ、夜ご飯は作っておくから新太君は部屋でゆっくりくつろいでていいよー!」


 と、夏希さんは冷蔵庫の中を確認しながら言った。


「いや、僕も手伝いますよ。夏希さんだけに料理させてしまうのもあれですし」


「あ、本当? じゃあよろしく……って、新太君料理したことある?」


「すいません、包丁すら握ったことないです」


「えぇー。それで手伝おうとするの、逆に感心する」


 ふふっ、と笑いながら夏希さんはそう言う。俺もつられて口角が上がる。


「でも、やっぱり夏希さんだけにやらせてしまうのは自分に納得いかないので、何か手伝えることはありませんか?」


「うーん、じゃあ、ピーラーで野菜の皮を剥いてくれる? あ、ピーラーくらいはさすがに……?」


「さすがに使えます」


 そうだよねー、と笑いながら夏希さんは言って、冷蔵庫からいくつか食材を出した。


 この食材だと作られる料理は……うん、包丁も使ったことない素人が出しゃばりましたすいません。


 俺と夏希さんは一旦部屋に戻って、仕事着から部屋着に着替え、再びリビングに戻る。夏希さんはすこしぴちっとしたTシャツに、太ももがあらわになっているショートパンツを履いていた。なんだかエッチだ。


「それじゃあ、確かそこの引き出しにピーラーはあるからお願いねー!」


 夏希さんは俺にそう伝えると鍋やらフライパンやらを取り出してコンロなどに配置し始める。


「夏希さん、今日は何を作るんですか?」


 俺はピーラーで野菜を剥く片手間に、調味料を棚から取り出している夏希さんに聞くと、えーと、と言った後、流暢に料理名を語り始める。


「ミネストローネスープと、ポークソテー。あと、サラダと、ヨーグルトかな?」


 あ、ご飯も炊かなくちゃ、と言っている夏希さんの片端で、ぽかんとなっている俺。なんだかよくわからないけど、おいしそうな料理名が連立していた。


「あ、新太君、それくらいでいいよ。あとは私が野菜を切ったりするから、部屋に戻ったり、テレビ見てていいよ?」


「いえ、まだ手伝いますよ? 僕、全然何も手伝えてませんし」


 自分の手元を見ると、皮を剥いた人参といくつかのジャガイモ。これではあまりにも手伝った感が薄い。こういう時は勢いだ。


「それこそ……そうだ! 包丁で野菜を切るくらいは僕にもできます! 多分!」


「えぇー、本当? 包丁使ったことないんでしょー?」


「嘘です! そう言えば家庭科の授業で使ったことありました!」


 多分! きっと! やっていたはず!


「うーん、じゃあお願いしようかな? 人参もジャガイモも、さいの目切りで小さめにお願いね」


「……さいの目切り……? 何ですかそれ?」


「え?」


「え?」


 そんな目で見られても困ります夏希さん。え、こんな一般常識すら知らないの? みたいな目線を向けないでください。すごく刺さるんです。


「あ、えーと、さいの目切りって言うのは、簡単に言えばサイコロみたいに四角く切るって言う事なんだけど、大丈夫かな?」


「あっ! 分かりました! 大丈夫ですよ!!」


「本当に?」


「本当です!」


 うーん、と手を顎にあてながら葛藤の表情を浮かべる夏希さん。所詮、四角く切ればいいんでしょ!? 大丈夫! 余裕!(フラグ)


 そんな呑気なことを思っていると、夏希さんは「あ、」と気の抜けた声を出し、もやがかっていた表情を晴れさせた。


「そうだ! 私と一緒に切ろう新太君!」


 顔の周りに花を咲かせたように明るい表情を浮かべ、楽しみを待つ子供のような身振りでそう言う夏希さん。


 一緒に切るとは……?


「夏希さん、楽しそうなのは何よりですけど、一緒に切るってどういう事ですか?」


「た、楽しそう? えぇ!?」


 はわはわしながら両手で頬を触り始める。そしてひとしきりさわさわした後に、けほん、と可愛らしい咳ばらいを一つ。


「ま、まぁ、それは良いとして! うーん、説明が難しいからまず切る準備して!」


「はい?」


 俺は言われた通り、まな板の上にニンジンを置き、包丁を持つ。


「ちょ、ちょっと、包丁を持ちながらこっちに向き直らないで? 殺人鬼みたいだよ? ま、まぁそれはいいとして、とりあえずまな板にちゃんと向き合って?」


「殺人鬼って何ですか……わかりました」


 人を殺人鬼呼ばわりするなんて、夏希さんでも許せないぞ! ぷんぷん! なんて冗談を考えながら言われた通り、まな板に向き直る。そして、次の指示を受けるために顔だけ夏希さんの方へ向こうとしたその時。


「はい、じゃあ私が後ろからサポートしてあげるからねー」


 と、言って俺の背中にぴったりと体を合わせてきた。


 え?


 な、なんなんだ、なんなんだ今日の夏希さんは。


 朝の占いでラッキーアイテムが密着だったのか!? と言うほどに密着してくる。


「ちょ、ちょっと? 夏希さん? ドウシマシタ?」


「え? 教えるならこの体制が一番かなーっと思って。もしかしてやだった?」


「いえ全く」


 ただ心臓に悪いだけで。


「そう、なら良かった。じゃあ始めよ!」


 その言葉を皮切りに、にょきっと俺の両脇から夏希さんは腕を出す。そして俺の右腕あたりからひょっこりと顔をのぞかせる。


 ひょっこりした夏希さんと目を合わせると無垢な笑みを浮かべてきてつらい。主に可愛すぎるのと、この体勢のせいで。


「じゃあ、始めよっか!」


 夏希さんは元気よく声を後ろからかけて、俺の脇下から伸ばした手を俺の右手と左手に重ねる。俺よりも小さくて柔らかい手にただでさえ警告を出していた心臓がさらに悲鳴を上げて鼓動を速める。


 この鼓動がばれていないだろうか、その心配で頭がいっぱいだ。包丁を持ってない手は猫の手だとか、色んな事は教わったけど、結局は夏希さんの手に導かれる。


 そして、最後の一個に取り掛かろうとしたとき。おっぱいに心臓の鼓動を察知する機能なんてついていないよな? なんてバカみたいな考えをしていた時。


 変なことを考えるからつい、手元が狂って左手の人差し指を軽く切ってしまった。そしてすぐに滲む血。


 痛みはほとんどなかったが、数年ぶりに自分自身から流れ出る血を見た物だから、視覚的にはなかなか堪えた。


 さっさと水道水で流してしまおう、と思い、体を蛇口に向けようとしたその時。


「はわぁっ!!!! 血! 血が出てるじゃんっ!! ど、ど、どうしよ……えーと、そうだっ!」


 と、夏希さんは忙しそうにはわはわして、俺の左手、血が出ている方の手のひらを両手でつかみ、人差し指をパクリ。


 え?


「ひゃいひょうふ? いひゃくにゃい?」


 ちゅぱちゅぱと、俺の人差し指を加えながら口の中で、舌を使い舐め始めた。


「ごふぇんふぇ? わらひがふいていふぃなふぁら」


 多分、ごめんね、私がついていながら、といってるみたいだけど。謝ってくれてるみたいだけど、今だけは喋らないでほしい。喋ると同時になんだかすごくこしょばくて、癖になりそう。


「と、とりあえず、舐めるのやめてくれませんか?」


「へ? ひやふぁっふぁ?」


「いや、まったく嫌だとかそんなことは無いんですけど、すごくそのー、下半身に悪いので、ね?」


「むー」


 と、可愛らしく不満げに鳴いた後、もう一周口の中で指を舐め、ちゅぱっ、という音と共に指を離す。つらり、と夏希さんの唾液が糸を引く。


「あ、血、止まったね! 良かった良かった!」


「いや、まぁ、はい……」


 夏希さんは俺の顔を満足げな表情で見てくる。俺はどうしようも無く視線をそらすために、自分の人差し指を見る。


 指についた唾液が照明に照らされ、光を反射する。それを見て、なんとなく無性に自分の人差し指を口に入れたくなっ……なんでもないです。


「じゃあ、後は私がやっておくから、新太君はリビングでゆっくりしてて! あ、もちろん手は洗ってね?」


「わ、分かりました……。それはもちろんです」


 すぐそこにある蛇口をひねり、水で手を洗う。手拭いで手を拭いて、夏希さんに言われた通りテレビがある方に行き、料理が出来上がるのを待った。


 もやもやする何かを抱えながら、もちろんフローリング正座待機で。



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