第31話 吐き出せ本音


 夏希さんに俺がホテルに行ったことはばれたくない。だけど、夏希さんに嘘をつくのはなんだかもっと胸が変になる。


 上手く言葉にはできないが、言いようのない気持ちの悪さが常に俺を襲っているようで。


 やるせなくて、自分の部屋のベッドに寝転がり、天井を見ながらぼうっとしていた。


 どうしてだろう。


 何度も脳内に問い続けるが、答えは出そうで、出ない。自分のこの気持ちが何なのか、自分でわからないなんて、我ながら情けない。


 再び虚無の時間が流れる。そして思い出される昨晩の事。


 夏希さんのことを考えなければいけない、というのはわかっている。だけど、飯島先輩の言葉がどうにも頭を離れない。


 すき。


 この一言がどうしても。


 飯島先輩は俺のことが好き、らしい。あの場限りで、あの場のテンションで出た言葉なのかもしれない。でも、初めて受けた他人からの好意。


 妙にワクワクするような、考えたら気分が少しだけ高揚するような、そんな気持ちだ。


 でも、この感情が好き、とは言い切れない。まだ、飯島先輩のことはよくわからないし、知らないことの方が多い。


 じゃあ、夏希さんはどうだろう。


 夏希さんの悲しい顔を見ると胸が苦しくなって、楽しそうな顔を見ると胸が高鳴る。


 果たしてこれは「好き」になるのだろうか。よくわからない。


 恋愛偏差値の低い人生を送ってきた自分を恨めしく思う。


 だけど、夏希さんとはこういう気まずい関係で居たくないと思う自分が確かにいる。夏希さんの悲しそうな表情を見たくない自分が居る。


 いつでも夏希さんの笑顔を見たいと思う自分が居る。


 やっぱりこれが「好き」だとか「恋」だとかなのかはわからない。だけど、この気持ちを伝えておいた方がいい気がした。


 どうしようもない虚無感に包まれていた俺は、途端に体に力がみなぎってくるのを感じた。


 これはきっと今すぐ行け、という神の計らいだろう。




 皺くちゃなスーツのまま、自分の部屋を出る。そしてすぐ隣にある部屋の前に立つ。


 考えを整理するように、深呼吸をする。そして、ノックをする。


 コンコン。


 廊下に響くノック音。どうにも虚しく感じるのはきっと夏希さんの声がこの家に響いてないからだろう。


 返事がないので二度目のノック。


 やはり虚しく響く。部屋にいない可能性も考えたが、夏希さんが部屋に戻ってから物音ひとつしていなかったから、きっとまだ部屋に居るはずだ。


 三度目のノック。


「……なに?」


 良かった。返事をしてくれた。声のトーンはかなり低いけれど、返事をしてくれたのがどうしようにもなく嬉しかった。


「急にすいません、部屋に入ってもいいですか?」


「だめ。何かあるなら扉越しで」


「いや、これは直接伝えたいので、どうにかお願いできませんか?」


 扉越しでは、この自分の心をうまく伝えきれないような気がした。


「……できるだけ早く終わらせてね。早く終わらせてくれるなら、いいよ」


 微妙な返事を頂いたが、入っても良いってことなのだろう。


 俺はドアノブをガチャリと回し、無の重い壁があるように感じるドアを前に一瞬ためらい、意を決してドアを押す。


 すると、さながらホラー映画を見るときのような重装備の夏希さん。布団を頭までかぶり、枕で顔の大半を覆っている。唯一見える瞳も暗くて見えづらい。


「あの……まず、夏希さん。朝帰りをしてしまってすいませんでした」


 ぼさついた頭を勢いよく下げる。夏希さんは一瞬ビクリとしていてなんだか申し訳なくなった。


「……それだけ? もういい?」


 やはり元気のない声でそう言う。先ほどまでの冷たい鉄のような声色も、強がっていたのだと気づかされた。


 下げたままだったせいで頭に血が上っているが、その体勢のまま言葉を続ける。


「……実は、飯島先輩とホテルに行きました」


「 …………」


 無言。夏希さんが僅かに零す表情を見るために、下げていた頭をあげる。でもやはり布団や枕にガードされていて見えない。


「……これから言う事は、自分でも言いたいことが定まってないというか、なんというか。とりあえず伝えなくちゃいけないような気がしてることがあって」


「…………何?」


 一息おいて、気持ちを整理して、胸中にある言葉をありのまま吐き出す。


「……その……夏希さんに嘘をつくと、胸がもやってして、きゅっと締まるんです。夏希さんの悲しそうな顔を見ると、同じように胸がきゅっとするんです。この気持ちは何なのかわからないですけどっ! でも、とにかく嘘はつきたくないんです」


「…………へ?」


 何故か頬を紅潮させる夏希さん。夏希さんは言葉を続ける事無く俺の顔をじっと見ている。


 どうにも心地が悪くて、こそばゆい。


「だから……本当に、嘘を吐いてすいませんでしたっっ!!」


 もう一度深く深く頭を下げ、しばらくして頭をあげる。夏希さんを覆っていた布団は後ろに落ち、腕を交差させてぎゅっと握っていた枕も力が抜けて九割隠れていた顔もあらわになっていた。


 目の下には先ほどまで無かったクマが見えていて、目と頬が真っ赤に染まっている。


「…………ありがとうね、新太君」


「い、いえ、感謝されることなんてありませんよ。僕こそ心配させてすいませんでした」


「うん……あ、じゃ、じゃあ、罰として、一つお願いがあるんだけど……いい?」


「……? 僕にできることであれば?」


「じゃ、じゃあ……」


 顔を少しだけ逸らしながら、俺に向かって両手を伸ばして差し出してくる夏希さん。


「……ハイタッチですか?」


「むぅ」


「……ハグですか?」


「うんっ!」


 コクコクと頭を小刻みに振りながら、笑みを浮かべる。


 この笑顔にはやはり逆らえない。


 俺はベッドに片膝をつき、夏希さんの体を丁寧にぎゅっと抱く。夏希さんも俺の背に手を回し、しばらく互いの鼓動を感じ取り合っていた。


 そして、心拍数が最高潮を迎えた頃。


「そろそろいいですか?」


「……うん」


 ゆっくりと抱擁を解き、互いに熱い顔を見合う。キスの雰囲気……ではない。


 しっかりと身を引き、ドアの横に立つ。


「……た、たまには僕が晩御飯、買って来ます」


「う、うん」


「じゃ、じゃあ行って来ます」


 疲れた様子の夏希さんを後に、俺はドアを閉めた。

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