第4話 真っ暗闇に現れた君。


「じゃあここが新太君の部屋で、その隣が私だから、何かあったらいつでも言ってね!」


 それじゃ、と言いながら自分の部屋に入って行く夏希さん。返事を返して俺自分の部屋へと戻る。


 荷ほどきをまだ済ませておらず段ボールが山のように積まれていた。そのせいでバルコニーへと繋がる窓が半分以上塞がれてしまっている。


 これは大変な作業になるなぁ、なんて思いながらも俺は荷物整理を開始した。



【三雲夏希視点】



 父さんは小さなころに居なくなった。


 貧しいながらもお母さんと二人で暮らしていて、将来はお母さんに楽をさせたかったから勉強を頑張った。そこそこな進学校で学年トップを取るくらいには。


 そして、私は大学に進学した。奨学金も貰い、満を持して大学生活が始まった。


 決して輝かしいキャンパスライフだとか、そんなものを期待はしていなかったけれど、いい成績で卒業して、良い企業に入社して、お母さんと一緒に暮らす。それだけを夢見て頑張った。


 それだけで良かったのに。


 ある日、お母さんが深夜のパートから帰ってきている時。通り魔に刺されて、呆気なくお母さんは亡くなってしまった。犯人は未だに逮捕されていない。


 最愛の母の満足な葬式もあげられず、私は大学を退学することになった。


 金銭的な面では、ぎりぎり学校に通えていたかもしれない。大学の成績だとか、自分の身だとかを削っていれば。


 だけど、私にはもうその気力は残っていなかった。働く気力も、学ぶ気力も。


 生きる気力は僅かに残っていたけれど、目の前が真っ暗闇なのにまっすぐ正しく進んで行けるほど私は強くはなかった。


 何をしようにもやる気が起きず、バイトをしても三日も持たなかった。


 ついには雀の涙ほどしか無かった貯金も底をつき、私はホームレスになった。


 ここまで墜ちればどこまででも墜ちていける気がした。


 なんなら体を売ろうかと考えた時もあった。だけど、母さんにもらったこの体をそんな風には使いたくなかった。だから結局それすらもできなかった。


 世界はなんて残酷なのだろう。


 底辺から這い上がるのは尋常ではないくらいに難しくて長い道のりなのに、墜ちていくのに道なんて無い。何もしなければ底なしの落とし穴に堕とされる。それはもう、簡単で、一瞬なのだから。


 そして、冬を迎えた。毎日毎日、時間に関係なく手の感覚がなくなり、足の感覚がなくなり。いつか全身が凍ってしまうのではないかと思った。


 それでも何かを自分からすることはなかった。強いて言うならすこしばかりの徘徊。暖かい昼間に熱を体にためておけるように。


 だけど、街を歩けばごみを見るような視線を向けられた。ごみを漁る野良猫へ向ける視線の方がまだ優しかったのを覚えている。


 野良猫にならって私もごみを漁って、廃棄された弁当を探した。それを食べた。三日に一回くらい。


 だけど、さすがにあの日は体に堪えた。ちょうど強い吹雪が降る前日、朝。


 いつもよりも風が私に強く当たってきて痛かった。いつもなら感覚が麻痺して痛みも消えてしまうのに、その日はずっと風が痛かった。


 耐えられずに私は徘徊を中止してコンビニ近くの細道に身を隠した。ビュンビュンと音を立てて風が耳元を通り過ぎる。


 これで吹雪が降ってきたら本格的に死んじゃうかもなぁ。と、思うと同時に、ここが自分の潮時かもな、なんて思い始めた時だった。


 彼と目が合ったのは。


 お母さんに似た、こげ茶の瞳をした、男の子。ぱっと見、一個下か二個下くらいだった。


 どこかお母さんに似ている、という理由もあるけれど、その少年に何か感じるものがあった。


 難しいけれど、例えるなら、そう。運命の赤い糸。


 彼にとってはホームレスの私となんかつながれたくはないだろうけど、私は感じてしまった。


 だけど、彼は私との視線を俯いて断ち切った。そりゃそうだ。私なんか視界に入れたくないだろうし。


 だけど、最後に見るのが運命の人と言うのもなんだかロマンチックな気がした。だから、彼が俯こうとも、頑張って目で追った。


 どこに住んでいるのだろう。どこに行こうとしていたのだろう。気になる事は全部胸の内にしまいながら。まつげに雪がこべりついても、瞬きせずに耐えながら。


 だけど、彼は私の予想外な方向へと進み始めた。そう、私の方へと進んできたのだ。


 なんだなんだと慌てる心。しかし、私に用があるわけじゃないと、冷静にもう一人の私を落ち着かせる。


 だけど、間違いなんかではなく私の方へと彼は進んでくる。私はどうにもこうにも動けなくって、結局彼は目の前で立ち止まった。


 そして、暖かそうなコートから幼児向けアニメの袋を渡して言った。


「これ、どうぞ」と。


 私は全力で拒否した。物乞いなんてしていないし、第一もらう義理がない。せっかく胸の内で温めていた血の通っていない手に要らない、と言わせながら振っていたのに。


 彼は、


「これ、僕からのお年玉です。何か暖かいものでも買ってください。それじゃ」


 と、言いながら私に袋を押し付けて足早に去っていった。


 ふと、袋を見ると、丸っこいアンパンのキャラクターを上書きするように達筆な筆で【お年玉】と書かれていて。


 私は、その時初めて世間が新しい年を迎えていたことを知った。



 そして私、確か吹雪が強くなる中、必死にマフラーを取って、「ありがとうございます!大事につかいますっ!」って叫んだんだっけ。


 すぐに彼の姿は見えなくなってしまったけれど、その時からかな。生きる意味がはっきりと見えてきたのは。


 人生が終わりを感じた直前にたまたま運命の人を見つけて、その人から窮地を助けてもらって。そんなことをされて、何も感じない人なんているわけないよね。


 あのお金でネットカフェに入って、バイトして、スーツ買って就職して。そしてこの立場社長になって、お金にも余裕が持てるようになって。


 探偵に頼んで彼の名前から始まり、彼の年齢、彼の身長、体重、彼の出身地、彼の通った小学校、中学校、高校、大学、そして彼が面接を受けた企業などなどを調べあげた。


 ついでに仕事が良かったから探偵と専属契約して随時新太君の行動を報告してくれるようにもした。


 もちろん彼の恋愛遍歴も。私と同じ、誰とも付き合ったことのない純潔童貞ということも知っている。


 今は就職氷河期と呼ばれているだけあって、受かるのは大変なはずなのだけれど。彼、いや新太君は優秀過ぎて一社目から受かってたから、私が裏から手を回した。


 その後もことごとくすべての企業に受かっていて、さすがに手を回しきれなくなると思って、直接スカウトした。


 あれだけ落ちていればさすがに私の会社でも入るでしょうと踏んだら、正解だった。


 まぁ、何はともあれ、彼は私の会社に就職して、今こうやって誰にも邪魔されず二人で愛を育め……まだだった。


 まだその段階ではない。


 だけど、いつかは……へへ。


 私は隣の部屋にいる新太君との将来の妄想に耽りながら、今日の晩御飯をルーバーイーツで頼んだ。

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