副業編・変化

悩む上里さん

 私はおかしい。

 何がどうおかしいか説明すると、近頃の本庄さんに対する距離感だ。


 タメ口ができないならできないで通せばいいだけなのに、逆にタメ口呼び捨てを申し出た。おかしい。


 弱みを見せることは分かっているくせに、声が聞きたいだけで電話をかけた。誘いにも乗った。おかしい。


 お金でつながっている関係のはずだったのに、受け取らないでそのまま部屋にあげた。おかしい。


 友達どころか、熱を出した時に親切にしてもらっただけで失った家族の影を重ねていた。おかしい。


 思えばその前のデートから、”お支払い”の規制を自主的に緩めようとしていた。


 本庄さんからすれば願ったり叶ったりだろう。

 お金を渡して家に上がっている以上は、見返りが欲しいと思うはずだ。

 堂々と求めることができる日を待っているに違いないのだから。


 なによりおかしいのは。

 そんな関係にルート分岐しても構わないと、私が思い始めていることだ。


 いったいこの許容量のバグはどっから来てんだろう。


 私は寂しかったから怪しい誘いに乗った。

 本庄さんは好みらしい私をつなぎ止めるために、お金で釣っている。


 お金は欲しいけどもらってるばかりじゃ悪いから、身体を差し出してもいいと思って関係を続けている。


 つまり、飽きて捨てられるのが、恐い?


 思考プロセスをひとつひとつ噛み砕いて出した結論が、それ。

 飽きたら捨てる権利はいつでもこっちが握っているのに。


 やべえわ。DV彼氏から離れられないメンヘラ女かよ。

 同性だから、優しい一面しか知らないから、同じ会社の人間だからといった油断はあるかもしれない。


 だけどどう分析しても、『求めてくれたのであればそれに応えたい』『独りは寂しい』という感情だけは拭えなかった。



 今日は2月23日。曜日で言えば週半ばだけど、祝日に制定されている。国民のための。


 思えば祝日を指定したのは初めてだった。

 先週は私が風邪を引いた影響で、潜伏期間のリスクを考えた結果延期したのもあるかもしれない。


 たった一週間、プライベートで顔を合わせなかったからあんなに悶々と自問自答を繰り返していたんだろう。会社でもうつることを気にして、あんまり話せなかったし。


 ……人恋しかったのか、私?


 なんでだろう。これまでは一人の時間を邪魔されたくないからって、勤務中以外は会社の人と話すのは煩わしい考えだった。


 一人の時間が気楽だと思っていた。友達がいた頃もLINEは数ヶ月に一度だった。今は一人暮らしだし、それで一生生きていけると信じて疑わなかった。


 なのに。週1で会社の人とプライベートで会うやりとりがひと月も続いているだなんて。

 しかも祝日をその人のために使ってもいいと思ってるだなんて。それも朝からって。

 入社前の私に言っても通じないだろうな。



 デートとはいっても、今日は2人で少しずつ進めていたマニュアル作成のラストスパートに取り掛かることになった。

 副業を初めてようやく、仕事らしい仕事をやってる気がする。


 いや家だと誘惑が多すぎるから集中できないし。2人でやるからこそ、気が抜けないと捗っている。

 向かい側の本庄さんも、持ち込んだノートPCを前に仕事モードの真面目な顔つきで、ぱちぱちとキーボードを叩いていた。


「上里って、私服だと印象が変わるわよね。がらっと」


 タイピング中。急にノートPCの向こうにいた本庄さんがにゅっと顔を出した。

 興味深そうに私を眺めている。


「実は……ここ数年は私服も買い替えてなかったんですよね。趣味代に消えて服まで手が回らなくて」


 母親から、せっかく華の二十代なんだからおしゃれしなさいと口酸っぱく言われていた日々を思い出す。

 あの頃は見せる相手もいないんだからと、化粧道具もずっと買い替えてなかったな。スカートなんて履いたの、高校生以来だ。


「あら、それはわたしのために気合を入れてくれているってこと?」

「だと思います」


 さすがにこんなにきれいな人の前で、女っ気がかけらもない部屋着で迎えるわけにはいかない。身だしなみを整えるようになったのは、間違いなく本庄さんのおかげだと思う。


「そういえばスーツもずっと似たようなものをローテしてるだけですし。タイトスカートも買ったほうがいいですかね」

 これから暖かくなってくるし、春物も意識したほうがいいだろう。


「えー、それはだめ」

 なんでだ。精神年齢が急に5歳くらい若返った本庄さんが、いやいやと頭を横に振った。


「かわいい上里はわたしだけが知っていればいいの」

 かわいい、って。臆面もなくさらっと言うもんだから、お世辞だとわかっていても謙遜する声が引っ込みそうになる。


「私、可愛げないですよ」

 ってその話題を引っ張る私もどうなんだ。構ってほしいのがばればれの台詞なんか吐いて。拗ねた子供かっての。


「うんと気合い入れて、そういうのを言っちゃうところかなぁ」


 満面の笑みで言われたら、もう二の句が継げない。完全に子供扱いされている。

 それはありがとうございますとぼそぼそこぼして、俯いたまま私は作業へと戻った。意識してるからだろうか。ペースを乱されまくっている。



「ちょっと休憩しましょうか」


 時計の針が11時をまわった頃。ノートPCを閉じて、本庄さんが大きく伸びのポーズを取った。確かに、けっこう長い間やってたな。


「漫画でも読みますか」

「んー、これから再放送のドラマがやるのだけど、そっちでもいい?」


 そう言って本庄さんは新聞の番組表を指差す。

 ああ、これか。タイトルだけは知ってたけど、時間帯が遅いからってなんとなくスルーしていたやつだ。


「観たことないので、ちょうどいいかもしれません」

「実はわたしも、全部は観てないし記憶にも薄いからほぼ初見なのだけどね」


 ドラマの内容は、女の子同士の関係に焦点を置いたもの。本庄さんらしいチョイスだと言えた。


 本当はもっと前に企画が動いていたのだけれど放送前にいざこざがあって、一度はボツになったらしい。

 こうして世に出たのは、同性婚制定の議論で世の中が活発になった背景もあったのだという。


 何より、同性愛者がこれを観てどう思うか。興味深くはある。断る理由はなかった。


「上里。こっちいらっしゃいな」


 ソファーに腰掛けた本庄さんが、私の席はそこ以外ないとばかりに自分の膝をぽんぽんと叩く。ああ、”お支払い”の一環か。


「で、では。失礼いたします」


 細い腿の上へと腰を下ろすと、シートベルトのようにへその上に両腕が巻き付いてきた。前回もやったから、お馴染みとなってしまった光景だ。


「わーい、つかまえたー」


 はしゃぐ本庄さんがおもちゃを手にした子供みたいで、年下の上に乗るというやべえ行為に及んでいるのに釣られて笑みが漏れてしまう。


 こうして、同性愛者と共に見る同性愛のドラマ鑑賞会が始まったのであった。

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