副業編・前進
ご機嫌ななめな本庄さん
私はこっちに来るまでは、工場の仕事ってライン作業みたいなものかと思ってた。
でも、一口に工場勤務って言ってもいろいろあるんだね。仕分け、ピッキング、倉庫入れみたいに。
そしてうちの会社は個人作業で担当箇所が決まっているから、一人黙々と作業に没頭できる点は持病持ちとしてはありがたい。
来客対応もなく、眠気も感じない。何より常にやるべき仕事が目の前にある。
事務より向いているかも、なんて先週まではうぬぼれていたのだ。
それが、まさか。
「…………」
「(大丈夫よ。何かあったらわたしと工場長がフォローするわ)」
すでに呼吸が速くなりかけている私に、横から毬子さんがそっと肩に手を置く。
午後3時をまわった会議室には、ぽつんとPCのモニターが不自然に設置されていた。
どうやらうちの会社はグループ班ごとに、毎週木曜日にプレゼンをする仕組みらしい。
危険予知トレーニングと言って、工場内で事故を起こさないために安全性に欠けると思った箇所があれば本社に報告する習慣をつけるため。
そして今週は、私の所属する班が担当チームとなる。
新人には工場内のどこが危険で安全かまだ判別がつかないだろうと思い、社長はある一枚のイラストを課題とした。
一見普通の作業をしているように見える絵には、複数ヒヤリハット(事故一歩手前の状態)が隠されているという。
いくつ危険なポイントに気づくことができたか、社長へのアピールの場にもなる時間だ。
間違い探し自体は好きなほうなんだけど、それを人前で読み上げるとなったら別だ。
この持病を抱える人たちにとっては一番苦手とする仕事だろう。
「では、発表はこれで以上となります。ご静聴ありがとうございました」
『お疲れ様です。それでは次の方どうぞ』
来た。肩がきゅっと縮こまり、動悸の音がどこどこ胸を叩き始める。
本音を言えば今すぐここから逃げ出したい。たくさんの観客を前にステージに立たされた新人タレントみたいな気分になっていく。
だけどここは会社。できませんと言って特別扱いは通らない。
乗り越える日がたまたま今日だったというだけの話だ。
「(行ってまいります)」
毬子さんに小声でつぶやいて、私はモニターの前に座る。
社長、見ててください。いち社員として認めていただくまで、私は頑張りますから。
「今回は配布されたイラストを拝見するにあたり、複数の箇所で準備不足の印象を受けました」
あの社長面談のときと同じく、まったくの無表情で向き直る社長に頭を下げると。
私は折り畳んでいた一枚の紙をひらいた。
「
プレゼンの基本は、最初に何を言いたいのかをあらかじめ説明すること。
最初の会社で叩き込まれた、数少ない役立っている研修内容だ。
具体的な労働災害の事例を上げて、そこからイラストと照らし合わせて不足している点を洗い出していく。
案外話すことに集中しているうちに、正しい呼吸法を身体が思い出してしゃべりきれたことも大きな収穫だった。
酔い止め薬が効かない人にひたすら話しかけて気を紛らわす、なんて方法があったけどあれに近い感じなんだろうか。
『ええ、大方の問題点には注意の目を向けられております。ひとつ見落としている点を上げるとすれば、作業員の装備についてですね。これは引っ掛け問題にあたるのですが』
社長は意外な箇所の指摘をした。
確かにイラストの作業員は軍手以外なにもつけてない軽装っぷりが気になったから、エプロン・マスク・ゴーグル・ヘルメットと言ったごく平均的な装備着用の義務を提示したつもりだったんだけど……
『そこが盲点だったのです。どなたか、気づいた方はおられますか?』
「はい」
毬子さんが手を上げて、『軍手です』と短く答える。
『御名答。軍手は案外ほつれやすく、使っているうちに繊維質が飛び出てきます。もし、この状態で高速回転する機械に持っていかれたらどうなるでしょう。脱ぐ間もなく、手まで引きずり込まれてしまう恐れは十分にあります。いわゆる、巻き込まれ防止といったものですね』
な、なるほどー。
工場長が補足してくれたけど、”労働安全衛生規則”なるものらしい。
第百十一条・事業者はボール盤、面取り盤等の回転する刃物に作業中の労働者の手が巻き込まれるおそれのあるときは、当該労働者に手袋を使用させてはならない。
そういった労働安全法に基づく文面があるのだとか。
『ですが文章自体はとてもまとまっており、聞き取りやすい構成でした。これにめげず、次回はさらなる成長を期待します』
「ご鞭撻いただき、ありがとうございます」
社長からはまずまずの反応のようで一安心。
現場に戻る途中の足取りはとても軽やかになっていて、まるで病院帰りはケロッとしてる注射嫌いの子どもみたいだ。
「プレゼン、なかなか良かったわよ。人前の発表って忍ちゃんからしたらかなりハードルが高いでしょ? 正直顔が白かったから少し焦ったけど」
「なんでも思い切って挑んでみることが大事なのだそうです。たとえば認知療法は”ファミレス入って発作出た、もう行きたくない”ではなく。”ファミレスで発症したけどご飯が美味しかった、また行きたい”ってポジティブに捉えて行動範囲を広げることが大事なのだそうで」
「発症すると迷惑をかけたくない、怖いって気持ちからどんどん閉じこもってしまうものねぇ」
ただ、その観点で考えると私はまだ軽い方なのかもしれない。
重症の方は本当に外にも出られなくて、丸一日日光を浴びて過ごしていたみたいだし。
一歩前進ね、と毬子さんからはお褒めの言葉をいただいた。
「前進と言えば、毬子さんだってすごいじゃないですか。最初の1枚から評価はずーっと右肩上がりですよ?」
あれから毬子さんの絵は、どんどん上達を重ねて数字を伸ばしていた。
まず、この方はどういった傾向の絵を描くのか。
自身のキャラクターを確立して、その需要をお求めの方に見事広まったことが大きい。
毬子さんで言えば、ガールズラブ作家。
もともとは単調なバストアップ絵師に劣化することを避けるため、複数人での絡みを画力向上のため描き出したのがきっかけだ。
男性向け百合イラストを探している方々からの知名度は徐々に上がり始めており、いやらしさの少ない絵柄から女性人気も伸び始めている。
界隈を調べて知ったけど、意外と同性愛作者が描く同性愛作品って多いんだね。
「でもあれ、ある意味夢小説ならぬ俺嫁ジャンルっていうか……ぶっちゃければ忍ちゃんモデルの女の子をひたすら百合百合させているだけよ?」
「私がモデルというのは恥ずかしくも嬉しくあるのですが、いちファンの視点で言えば他のデザインの女の子も見たいなって……」
「やだ。わたし二次元でも浮気はしないの」
きっぱり言われてしまった。一途な彼女を持って嬉しい限りです。
でもなあ、せっかく好みの絵柄に近づいているからもっといろんな絵を見てみたいと思うのは私のわがままなのかなあ。
「でも私、それでもうひとつの楽しみに気づきました」
「もうひとつの楽しみ?」
「はい。スコッパーです」
スコッパーとは、埋もれている……つまり評価の低い作品を掘り出して認知度に貢献しているコアなファンのこと。
私も今までは、最初から上手いイラストレーターさんの神絵をひたすら吟味して眺めていた。
プロの実力にも及ばないアマチュア絵描きには見向きもしなかった。
だけど、それは大きな間違い。
プロだって、最初はアマチュアだったんだ。
彼らが今の実力と評価を勝ち取った裏には、必ず誰かの暖かい応援があった。
最初のファンになった毬子さんの絵が、あれだけ上達したように。
いま低評価で落ち込んでいる人たちにも、もっと目を向けよう。
たったひとりでもファンがつけば、誰しもプロになる可能性を秘めているかもしれない。
何も持たない凡人である私は、そうやって誰かの羽ばたくきっかけでありたい。
そう思って、長らくロム専だった頃から交流アカウントに切り替えたのだ。
「忍ちゃんって、ほんと無自覚なんだから」
……ん?
少しむくれた毬子さんから、いきなりほっぺをつねられる。
「ど、どうされたのですか。何かお気に触るようなことでも」
「つーん。知りませーん」
会社の中だと言うのに、毬子さんが背後から首に手を回して密着してきた。
おもちゃを取られそうになって奪い取る子どもみたいに。
心なしか。
その日から毬子さんからのスキンシップは増えたのであった。
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