【毬子視点】やきもちの始まり◆

 ひとまず、今日はここまでかしらね。

 時計の針はまもなく深夜。線画の色分けが終わったタイミングで、わたしは保存してiPadを閉じた。


 すっかりぬるくなったココアを煽って、ぐぐっと天井に腕を伸ばす。


 社会人が趣味に当てられる時間は少ない。兼業作家さんたちは本業もこなしながら納期までに作品を仕上げるっていうけど、ちゃんと睡眠を取れているのかしらと心配になってしまう。


 金子さんも、土日はほぼ企業用の漫画を描いてるって言ってたわね。

 ただあの方は心の底から漫画を描くのが好きでたまらないみたいだから、息抜き感覚で楽しんでるみたいだけど。天職ってやつかあ。


 プロの人から贈る『創作者の心得』なる文がちょっと前にSNSでバズってたけど、とにかく『楽しんで作ること』らしい。


 一見当たり前のことを言ってるだけに見えるけど、SNSという世界中誰でも閲覧できるツールが発達した弊害なのか。

 数字ばかり気にして、創作そのものを楽しめなくなってしまった人は数え切れないほどいる。


 好きで描く、のではなく。たくさんの人に褒められたくて描く、が大きく出てしまうとその傾向は顕著になる。


 創作意欲と承認欲求はイコールだと思うのだけどね。好きで描き続けたいのなら誰にも見せず、一人でお絵かきをしていればいいだけの話。


 それをネットに公開する形で描いているということは、多かれ少なかれみんな誰かに見てほしい欲求は持っていると思うのよ。


 わたしは……どっちの比重が強いだろう。


 忍ちゃん(モデルのオリジナル娘)を描いている時間はとても楽しい。癒やしのひとときだ。


 彼女に似合う服を調べて考案している時間も楽しい。リアル着せかえ人形もしたいけど、お金はどうしてもかかっちゃうからね。


 わたしのかんがえたさいきょうのおりきゃらと、いちゃいちゃしている絵を描いているときも楽しい。もちろんシチュエーションは本人の許可承諾済みよ。


 上げた絵を忍ちゃん、もとい”茶碗蒸しは飲み物”さんがコメントしてくれたときはとてもとても嬉しい。その場でコサックダンスしちゃうくらい嬉しい。


 うん、こうして列挙してみるとぜんぶ忍ちゃん由来なのねわたし。単純ですね。


 だから、どんな活動をしてもその人の自由だとは分かっていても。

 日々増えていく忍ちゃんのお気に入りユーザーを見ていると、どうしてもモヤモヤしてしまうのだ。



「毬子さん、お疲れですか?」


 週末、いつものおうちデート中。

 いつの間にか顔をしかめていたのか、絵を描いていたわたしにおそるおそる忍ちゃんが話しかけてきた。


「え、ええ。ちょっとね。構図で詰まっていて」

 立ち上げていた3Dソフトの画面を見せる。ポージングがどうもしっくりこないのは本当のこと。以前描いた構図と似たりよったりで、びびっと来ないのだ。


「でしたら、少し息抜きされますか? 別のことに集中しているときにアイディアが浮かぶのはよくあることですし」

「……そうね。そうするわ」


 未だ真っ白のキャンバス画面から一切進んでいないiPadを閉じて、わたしはスマホをいじる忍ちゃんに飛びついた。


「い、いきなりどうされました」

「息抜きにつきあって」


 コメント欄でやりとりをしている光景が目に入ってしまって、それが余計に独占欲に火を点ける衝動に結びついた。


 ほとんどひったくるように忍ちゃんのスマホをさらって、テーブルへと置く。

 同意も聞かず、わたしはソファーに押し倒した。


「……強引にされるのは嫌ではありませんが、もしかしてストレス溜まってますか?」

 恋人のスキンシップの範疇だと捉えて、軽い口調で忍ちゃんが返す。

 ええ、そうね。自分でもくだらないとわかっているくせに、収まりがつかないの。


「最近ご無沙汰だったし、ちょっと寂しかったのよ」

 もっともらしい理由に乗せて、わたしはおどけて笑ってみせた。


 忍ちゃんは『でしたら存分に埋めていってください』とわたしの不機嫌を察したように、頭にぽんと手を置いた。


 なだめられている幼児みたい。でも、大人げないと言われたらいまのわたしは反論できないのだ。



 苦しそうに身をよじる忍ちゃんの両頬をがっちり固定して、わたしは唇を塞ぎ続ける。

 自分が汗だくで浅い呼吸のなか組み敷いていることも忘れて、ただひたすらに目の前の恋人を求め続ける。


「毬子、さん」

「なあに?」

「毬子さんは、よろしいのですか」


 してもらってばかりで、物足りないんじゃないかと。忍ちゃんはこんなときでもわたしのことを優先してくれる。


「いいのよ。こうしているだけでわたしはとても楽しいから」


 今はわたしのことだけを考えて。わたしからされることに応えて。

 わたしだけを、見て。

 この人のこんな姿を知っているのは、わたしだけなのだから。


 一線を超えたい欲を噛み殺して、わたしはくだらない嫉妬を恋人とのひとときに塗りつぶしていく。

 そんなことで心の安寧を保っているなんて、わたしもガラスのメンタルねと自嘲しつつ。


 すべてが終わって、半ば放心状態で身体を投げ出している忍ちゃんがゆっくりと問いかけてきた。


「ストレス、解消できましたか?」

「ええ。いい絵が描けそうだわ」

「なら、良かったです」

「っ」


 まったくの不意打ちで。

 忍ちゃんから顔を寄せて、触れるだけの口づけを落とされる。


 後頭部に添えられた手はどこまでも優しくて、穏やかだ。わたしのがっつくような力強い行為とは、まるで正反対。


「……と」

「はい?」

「も、もう少ししてほしいなって」


 もー。さっきあれだけ求めたのに。

 恋人から与えられる愛情表現は別腹なのか、まだ足りないってわがままを言ってしまう。


「案外、毬子さんもわかりやすいですね」

「む、どういう意味かしら」

「そういうところですよ」


 むむむと真っ赤にうつむくわたしの頭を、忍ちゃんは変わらず撫で続ける。

 ささくれた心を、あっという間にほぐしてしまう。ずるい人だ。


 恋人補正というのはちょろいもので、そこから先は笑っちゃうくらい筆が乗った。

 だけど、どうやらそれはわたしだけではないようで。

 忍ちゃんのフォローユーザーもどんどん成長していっていることを、わたしは後で思い知るのだ。

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