副業編・5月

あなたに捧げる

『xx社より〇〇月〇〇日に発売予定の、小説の挿絵を担当させていただきました』


 とある絵描きさんの最新イラストには上記の文面が書かれていて、思わず頬が緩んでしまう。

 おめでとうございまあああすって、勢い余ってハイテンションのお祝いコメントまで打ってしまった。


 いやあ、とんでもない原石がいたもんだ。

 プロフィールを見る限り、作者はまだ高校生。

 Twitterにもテスト期間だの体育祭練習だの部活の朝練だの、懐かしい文面がずらっと並んでいるから学生さんなのは間違いない。


 なにせこの方、コネや大手擦り寄りでイラストレーターになれたわけじゃない。

 絵を描いたのは1年前からだという。


 マジだよ。だって最初の頃のイラストはドット線とバケツツールで適当に塗りつぶしただけの、MSペイントクオリティだったもの。


 ここまで来れた過程をリアルタイムで辿れてよかった。

 どんなに拙くてもこの人は色を乗せて塗りを重ねて、光源や質感を掴む努力を続けていた。背景も必ず加えて雰囲気を出そうとしていた。


 ぼんやりと陰影を乗せていた状態から塗りムラがなくなって、時間帯や季節を感じ取れる全体の空気を掴めてからは、評価がうなぎのぼりになっていった。


 努力が実を結んだ他人の成功は、応援してきた側としては我が子のように嬉しい。


 返信はすぐに届いた。『茶飲みさんのコメントには数え切れないくらい励まされました 本当に本当にありがとうございます(*´∀`*)』と。

 さりげなくHN略されてるな。


 元友人もこんな気持ちだったのかな。冬コミ以来、数回のLINEしか交わしていないけど。


 蚊帳の外だったから、あの頃はフォロワー同士のやりとりを冷めた目で見つめていた。

 けど、ファンが自分の本のために会場まで駆けつけてくれるって、すごく嬉しいものなんだろうな。



 毬子さんから呼び出されたのは、それから数日後のことだった。


 いつもの週末デート。けれど今日から始まるGWの間は、毬子さんの住むアパートにお邪魔する予定となっていた。


 私が外出に慣れてきたから、そろそろ招いてもいい頃合いかなということで。

 数日分のお泊りセットを詰めたバッグを手に、見慣れたダイハツ車に乗って出発する。


 5月ってほんと、爽やかな季節だよね。どこもかしこも瑞々しい若葉が萌えて、陽光に透けた新緑がまぶしい。


 10分ほど流れていく景色を眺めて、私たちは車から降りた。

 あっつい。4月も大概だったけど、5月の直射日光はほぼほぼ夏だ。風は爽やかなんだけど。


「こんな綺麗なアパートがあったんですね」

「いいでしょ? 築年数もそれほど経っていないし、駅からは離れているせいか家賃もそこそこで」


 片方の家にお世話になりっぱなしだったしね、と毬子さんが高級そうな紙袋を手渡してきた。GW中は現物支給らしい。

 中を開けると、これまた高級そうな化粧水らしきボトルが入っていた。日焼け止めにもなる代物とのこと。


 忘れないように紙袋を荷物の隣に置いたところで、2人でのんびりとお茶の時間に入る。

 築年数が新しいってのもあるけど、きれいなおうちってテンションあがるなあ。モデルルームみたいにどこもかしこもぴかぴかで、フローリングの輝きがまぶしい。うちは畳だったからね。


「で、その。もうひとつの現物支給なんだけど」

 テーブルの下からなにやらがさごそと、毬子さんは一枚のクリアファイルを取り出した。

 A4サイズの……白い紙? でも紙自体はやたら光沢があって、写真を裏返しているように見える。


「あげる。描いたの」

「あ、ありがとうございます」


 描いた絵をプリントしてきたの? ネットに上げるかLINEでもいいのに?

 尋ねると、プレゼントのために描いてきたらしい。


 え、ええ。描き下ろしか。毬子先生直々か。嬉しい。どんな絵なんだろう。

 意を決して、裏返してみると。


「えっ」


 そこにはひとつの世界が広がっていた。いや、大げさじゃなくて。


 花畑のど真ん中で幸せそうに寄り添う、2人の女の子。

 片方は毬子さんの絵では定番となって今や個別記事まで作られてしまった、私がベースのキャラクター。

 隣にいるのは茶髪でおさげで……誰がモデルかは考えるまでもない。


 さらには花びらの一枚一枚が一切手抜きなく描かれている。高精細の写真を目にしたかのように。

 花畑ということもあって、人物画を除けば気が遠くなりそうな数の花が一面に広がっている。


 お花自体もラベンダー、マリーゴールド、パンジー、芝桜とバリエーションが実に豊富。

 あんまりにも色彩豊かでリアルすぎて、空気や匂いまで感じ取れそうだ。


 そして、女の子2人の手には白百合の花束が描かれていた。


 とんでもないというか尊いの過剰摂取というか、私のつたない語彙なんかではとても表現できないくらいすごいものを見てしまった。

 かっと目を見開いて穴が空くようにすみずみを見渡して、目がチカチカしてきたところでようやく顔を上げる。


「こ、これ。描くのにどれくらいかかったのですか」

「ひと月はかかっているわね」

「何枚も上げていらっしゃいましたよね? その間も、ずっと」

「ええ、ずっと」


 さらりと言ってのける毬子さんだけど、声は素っ気なくて耳が赤い。

 やっぱり、自分の作品を人に見てもらうって勇気がいることだもんね。


 しかし本当にこれ、毬子さんが描いたのか。

 ネットに上げている絵の数倍は精密で、ぶっちゃけプロと遜色ない出来栄えだ。ちょっと前にプロデビューしたあの方の何倍も上手い。


 時間を掛けただけじゃ、ここまでの出来栄えにはならない。いったい、どれだけ勉強したのだろう。


「これ、上げたらすごいことになりますよ。数万は下らな」

「いらない」


 私の言葉を遮って、毬子さんが身を乗り出す。

 鼻先数センチまで顔が近づいて、端正な顔立ちにあどけなさが差す。褒めてって高得点のテスト用紙を掲げる子供のように。


「何千何万の称賛もいらない。誰にも見せたくない。忍ちゃんが喜んでくれれば、他になにもいらないの」


 瞳を赤く潤ませて、毬子さんはいやいやと首を振る。

 この日のためにずっとずっと頑張ってきたんだってことが伝わってくる顔に、熱いものがこみあげてきそうになる。


 気づけば、私は腕を伸ばして毬子さんの頭を抱きかかえていた。


「本当に凄まじいものを目にしたときって、時間が止まるんですね」

 私はやっとわかった気がした。

 なぜ、毬子さんは愛情表現としてお金を払うのかを。自分の人生を捧げる覚悟とイコールなのかを。


 私はいいと思うものには必ずお金を払ってきた。

 推し絵描きさんの関わった、お金で買えるものは全部手にしてきた。


 だけどこれは、次元が違う。

 毬子さんがありとあらゆる時間を、魂を削ってただ一人のためだけに描きあげた文字通り全身全霊の一作。


 これを商品として売り出せば、間違いなく相応の値打ちがつけられるだろう。

 でも、とてもじゃないけど価値はつけられない。どんなに桁違いの数字が並んだって、この絵とは釣り合わない。そもそも、誰にも譲る気はない。

 それこそが、きっと。


「すべてを捧げたくなるって、こういうことだったんですね」


 ありったけの想いと、深い感謝をこめて。

 私は毬子さんの唇へと顔を寄せた。

 たっぷり長い間重ね合って、静かに唇がほどけていく。


「気に入って、くれた?」

「それはもう」

「あと、これまで自己投影はしないって決めてたんだけど隣は譲れなくて、自分自身を美化して描いちゃったからね……なお忍ちゃんにしか見せられないわ」

「ああ、やっぱりそうだったんですね。もちろん、誰にも渡しませんよ」

「それは、こっちの世界でも?」

「当たり前じゃないですか」


 ずっと、この方に寄り添いたい。

 前から惹かれてはいたけど、こんなにも凄まじい一作で完全に射止められたと言っても過言ではない。


 将来に不安がないとは言わないし、持病に仕事に勉強、乗り越えなきゃいけない課題は山ほどある。

 そんな不安ではブレーキが効かないほど、この人の傍にいたい。支え合って、明るい未来を築き上げていきたい。


 それだけの自信と覚悟が、たった一枚の絵によって燃え上がっていくのを感じていた。


「毬子さん」

「なあに?」


 心と、人生。残るひとつを捧げるべく、意を決して口にする。


「今夜、よろしいですか。……最後まで、頑張りますので」

「ええ。素敵な夜になるように、わたしも頑張るわ」


 お互いそわそわしつつ、待ちきれずもう一度唇を重ねる。

 激しくしたら歯止めが効かなそうなんで、触れるだけの優しいキスを。


 人生は長い。若い間なんて、そのうちのほんのわずかな時間。


 創作の世界ではキラキラしているあいだの上澄みをすくいとって、きれいな恋愛だけを描写している。

 恋の甘酸っぱさとほろ苦さを味わってもらえるよう、我々消費者へと届けてくれる。


 でも、現実はそうはいかない。くっついたからゴールではなく、そこからがスタートだから。

 ともに暮らし、ともに生きて、ともに老いていく。

 願わくば、いつまでも隣であなたと歩いていけますように。

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