【毬子視点】かまぼこは練り物

 上里さんの第一印象は、二重の意味で絵になる人だなと思った。

 日本人離れした手足の長さと、シャープなフェイスライン。姿勢がいいのか腰の位置も高くて、黒いパンツスーツがよく映える。


 イ○スタに上げたら間違いなく加工と疑われる。これでモデル経験がないの?


 スカウトマンの目は節穴なのかしら。だからわたしみたいな怪しいナンパ女にかっさらわれてしまうのよ。


 一番外の人と顔を合わせることが多い事務員は、すなわち会社の玄関。

 数多の応募者の中から通るわけだ。


 絵に、起こしてみたい。

 わたしの絵柄で、納得行くまで一枚の絵に仕上げたい。

 もう永久に凍結したと思っていた衝動に、またたく間に火がついていった。


 勢いでスケッチブックを買って、無我夢中でペンを動かして。

 一晩中描き殴って。だめだ会って数日じゃモデルが薄れて上手く描けないと、堂々と会社に持ち込むことを決意して。


 一向に完成が見えてこない矢先、彼女とは歓迎会で距離が縮まった。

 多少強引だとは思ったけど、この機会を逃せば上里さんとの接点は途切れてしまうと焦って勢いでナンパしてしまった。


 一連の流れが、まるであらかじめ決まっていた運命であるかのように。

 今日までの日常に、わたしの指標となって組み込まれている。



「はい、楽にしていいわよ。あとは線画に起こしていくわ」


 ベッドに腰掛け、簡単なポーズを取っていただいた上里さんに呼びかける。

 え、もう? と言いたげに上里さんは姿勢を崩して飲みかけのお茶に口をつけた。


「同じポーズ、ずっと取ってたら疲れるでしょう。写真も撮ったから」

 それ最初っから撮影して描けばよかったのでは? 無言の疑問を横から感じつつ、無数の線に起こした上里さんのキャンバスへと、新規レイヤーで主線をなぞっていく。


 わたしが甘かった。あれじゃ集中できない。

 あんなに真剣に見つめられるって、手が震えていくものなんだって。


 こないだ撮った写真だけでは細部がぼけていて、何回修正を重ねても思い描く本人からは遠ざかるばかりだった。

 やっぱり、本物を前にしないと。


 まじまじと見つめたいという半分の下心から、絵のモデルを持ちかけたのはいいものの。

 悔しいほどに好みの顔にまっすぐ射抜かれたわたしは、もうお絵描きどころではなかった。


 なにあれ凶悪すぎる。あの人を目の前にして、無心でスケッチできる人なんているのかしら。

 それもう人の心がないんじゃないのかしら。


 黙って描いていては機嫌を損ねたと誤解されかねない。彼女に見せる絵なのだから、好みを聞いておくのは大事だ。


 タッチペンを動かしつつ、『上里ってどういった絵柄が好きなの?』と聞いてみると。


「そうですね……口頭で説明しても分かりづらいと思いますので、イラスト垢フォローしてもいいですか? フォローユーザーを見れば分かりますので」


 ああ、こないだちらっと見せてもらったお絵描き投稿サイトのことね。

 そうしてもらったほうが手っ取り早い。百聞は一見にしかずだ。


 上里さんのスマホを操作して、ささっとわたしのプロフィールページを開いて返す。


「ユーザー名”スケトウダラ”でIDが@kamaboko_nerimonoって。本庄さんって意外と食いしん坊キャラだったんですか?」


 上里さんがページを一瞥して吹き出した。ツボにはまってしまったのか、口元がひくひくと震えている。

 ノリで名付けただけなのだけど。


 あなただって名義は食べ物由来でしょう。ねえ、『茶碗蒸しは飲み物』さん。

 確かにさっきの食卓に並べてあった茶碗蒸し、容器が湯呑みっぽいからって具をすくったあとそのまま呷ってたわね。


「もう少し本名に近づいたHNのほうがよかったかしら」

「例えばどんなですか」

「マリ子ッツォ」

「やっぱ基準食べ物じゃないですか」


 ひーひー息を切らして目元をぬぐう上里さんからは、『それだとIDに合わないのでそのままがいいですね』と言われた。


 上里さん、会社ではクールなイメージだけどお家だとけっこう表情豊かなのよね。


 お互いフォローして、茶碗蒸しは飲み物と主張する上里さんのページを開いた。

 あら、意外。フォロワーはわたししかいないって。交流はしないタイプらしい。


 さらに意外だったのは、上里さんのフォローしているユーザー。

 ブックマークは数千件にものぼるのに、お気に入り登録している人は10人にも満たない。


 そのうちの一人がわたしかー、と浮かれたのも数秒の間。

 名を連ねる有名イラストレーターの数々に、わたしは声が裏返りそうになった。


「……やっぱりフォロー外してちょうだい」

「何か気に触ることでもございましたか?」

「いえ、そうではないの。でもこの面々は、きっと上里が相当厳選して登録したのよね。気軽にフォローを言い出したわたしが浅はかだった」


 気後れによる羞恥と後悔の念がどっとこみ上げてくる。

 プロたちの隣にわたしの名前が並ぶなんて、お目汚しにもほどがある。


 同じ会社のよしみでフォローしてくれたのだろうけど、彼女がやらないならわたしがスマホを奪い取って外したいくらいだ。


「申し訳ございません。その申し出は却下いたします」

 遠慮がちな上里さんとは思えないほどの、きっぱりと言い切った力強い声が鼓膜を震わせる。


 スマホに手を伸ばそうとしたキョンシーみたいなポーズで固まるわたしへと、上里さんは軽く咳払いをした。


「……最初の友達を、切るわけないじゃないですか。こっちの世界でもひとりにしないでください」


 さっきの威勢の良さとは打って変わって。おいてかないでと親に懇願する子供のように、上里さんの声はしぼんでかすれようとしている。


 そんな顔、されたら従うしかない。

 計算でなく素でやっているとしたら本当に天性の人誑しだ。


「ご、ごめんなさい。ずっと一緒にいるわ」

 まるでプロポーズみたいなフォローに、どさくさに紛れて何を言っているのだと頭が混乱しそうになる。


 そうね。もしこっちのつながりが切れても、あっちの世界ではずっと名前を並べていられたらいいな。



 それから、時計の針が何周しただろう。


「むー」

 わたしはずっと画面とにらめっこしていた。


 腹の虫がおさまらない。空腹からではなく、わたしの未熟さに。

 いくら筆を入れても、細部に神が宿らない。


 イラストサイトに投稿すれば、さっさと新着の波に押し流されて誰も目に止めず沈んでいくであろう。


 上里さんはすごいすごいと褒めてくれたけど、あんなに有名どころばかりフォローしている方だ。目が肥えきっているのは分かっている。


「いえ、数年のブランクがあったにも関わらず最近の流行りの塗りに順応してるってすごいことですよ」

「……ありがとう」


 リアルの知り合いが描ける側だったから、物珍しさに囚われているだけだろう。

 例えるならクラスに一人はいた、やたら絵がうまい子を持ち上げるごとく。


 悔しい。

 こんな出来映えじゃ、少しも上里さんの心をつかめやしない。

 もっと真面目に授業を受けて、普段から描いておくべきだった。


「けっこう、時間過ぎちゃったわね」

 続きは家で描くわと残して、まだ何か言いたげな上里さんを横目にわたしは帰り支度をする。


 久しく忘れていた劣等感に、わたしはいじけかけていた。


 そうだ、絵を描くということは楽しさばかりではない。心休まらぬ時期のほうが長いのだ。

 クリエイターは嫉妬の塊という定説は、あながち外れてはいないと思う。


「待ってください。お支払いがまだです」

「あ」


 そうだった。だけど気分が沈んでいる今は、その気にはなかなかスイッチが切り替わらない。

 上里さんは律儀な人だ。絵を褒めるのも、本人からすれば仕事だからと従っているだろう”お支払い”を忘れないのも。元サービス業だったからかな。


 ……まだ、お客様かあ。

 だめだな、上里さんは待ってくれているのに。これじゃあ。


「……ええと、でしたら」

 その場でたたずむわたしへと、上里さんは何かを考えるように顎に手を当てると、思い切った提案をした。

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