副業編・お泊り
雛祭りデート
押し入れから引っ張り出してきた段飾りの設置が終わって、ふうと息を吐く。
模様替えに集中していたせいか、身体が温かい。暖房を点けていないことに今気づいた。まもなく3月だからか、今日も気温は15度と高めだ。
母親は年中行事にこだわりがある人だった。正月飾りも、節分も、桃の節句も、お盆も。
季節が近づくと、毎年毎年律儀に四季を招き入れていた。花屋さんには毎月訪れていて、四季折々の旬のお花を玄関に飾り付けていた。
今は温暖化が進んでて、狂い咲きも季節外れの気温もよくあることになったね。
四季が壊されかけているのは自然の都合だけではなく。人間の都合でも伝統が壊されかけている。
その最たるものが、雛祭りだ。
『男の子の日、女の子の日って分ける文化は古くないですか? 男の子がいるお家に雛人形を置いたっていいし、女の子がいるお家にこいのぼりを飾ったっていいでしょう』
言ってることは分かるよー。でもね、飾るだけならまだしも雛祭り廃止運動はどうなのさ。
性別不明のぬいぐるみが増えたように、数年前まではまだ男雛・女雛のみの雛人形を販売するとかで対処してたのに。
段飾りに婚礼道具があることに気に食わない人たちが、結婚の価値観を子供に擦り込まないでー、ってことで雛祭りをやらない幼稚園や小学校も増えたんだと。
宗教上の都合でクリスマスとか初詣とか参加できない子供って昔いたけど、あれよりタチが悪い。
起源をたどればもともと、女の子の日関係なく無病息災や魔よけを祈る行事だったんだけどね。
だからうちは、いくつになっても伝統は大事にしよう。
ごめんよ母さん。節分まで放ったらかしだったクリスマスツリーはちゃんとしまったからね。
「わあ、こんなに頂いていいの?」
桜色のテーブルクロスに並べられた料理を眺めて、本庄さんが驚きの声をあげた。
もうすぐ雛祭りということで、それにちなんだ料理を。これも母親がやってたことの真似っ子だけどね。
「ええ、季節に合わせて作ってみたくなりましたので」
ドヤ顔でお茶を淹れる。半分は買ったやつだけど。
メニューはちらし寿司とはまぐりのお吸い物、菜の花を添えて。
あとはスーパーで売ってた茶碗蒸しとひし餅を。
なんで雛祭りにはまぐりなんだろって調べたら、左右の貝殻がぴったりと合うことから夫婦和合に通じるとこじつけたらしい。
女の子の日で、貝汁。心が汚れていると意味深に見てしまう。それはそうとはまぐり美味しいよね。
「ちらし寿司、こんなにさっと作れるのってすごくない?」
「簡単ですよ。炊きたて米に砂糖とお酢混ぜたやつぶっかけて、キュウリ卵いくら盛ればいいだけですし」
「春の弥生のこの良き日~……あら、意外と憶えているものね」
しみじみと目を細めて、本庄さんは丁寧にちらし寿司の山を切り崩していく。
錦糸卵とかいくらとかぽろぽろしてて持ちづらいのに、こぼれることなく小さいお口へと運ばれていく。相変わらずひとつひとつの動作に品がある。
「本庄さんって、もしかしてお嬢様だったりします?」
すごく落ち着いてますし、言葉遣いや仕草がお上品なので。探ってる感を薄めようと、褒め言葉もさりげなく添える。
「そうだとしたら悪い子に育っちゃったわね。いたいけな後輩をたぶらかして、悪びれず毎週デートしているのだから」
箸を置いて、ん、と本庄さんは自身の唇に人差し指を添える。
口角を持ち上げて、意味深な笑みを浮かべて。
は、はいと叱られたわけでもないのに声がしぼんでいく。
くそ、あれだけの美人がやるとずるいなあ。不意打ちだったから箸を落としそうになってしまった。
聞いちゃだめよ、とのニュアンスは感じ取れたので、私は他愛ない話題へと切り替えた。
「ごちそうさまでした」
空の食器を前に2人で手を合わせて、本庄さんからいつものねとデート代のお札が渡される。3枚も。
「あ、2枚多く取ってますよ」
返そうとすると、ずいと両手を前に突き出された。受け取りませんよと表すように。
「食費。タダ飯なんてできないわ」
毎週お金を置いて家に上がっている人が何を言う。
「いえ、日給アップを狙ってご馳走したわけでは」
「上里。いつもおもてなししてくれるのは嬉しいけれど、わたしが来てからけっこうお金使ってるでしょう。そのワンピースも、このテーブルクロスも、あそこの座布団も。ぜんぶ新品よね。わたしが払った額より大きいはずだわ」
う、ひと月も通っているとなると生活用品は覚えられてしまうものらしい。
いや、でも。模様替えは長らくしてなくて客用として出すには古いものばっかだったし。
誰かを招く以上は、ゆっくりくつろいでもらいたい。人んちの汚れって口には出さないけど目につくものだし。
それに確かに出費はあったけど、本庄さんから今までいただいたお金には一銭も手を付けてない。全額鍵付き箪笥に丁寧に貯金している。
……ん?
「……もう。ご自分の生活を第一に考えてください、って最初に言ったじゃない」
むーと可愛くうなりながら頬を膨らませて、本庄さんは私の両頬を挟む。
むいむいとこねくり回しつつ、そのまま話を続けた。
「で、ですが。人様のお金にそう簡単に手を付けるわけには」
「上里には現物支給のほうがいいのかしらねぇ」
手を離すと、本庄さんは春物の服を買う予定はあるか聞いてきた。
うちには夏物と冬物しかない。あとは親戚のお下がり。
本庄さんが来るようになってから、意識してコーデを揃えるようになった。まだ冬物しかないけど。そう正直に伝えると。
「では、次のデート先はそこのショッピングセンターにしましょう。いつもの日給の代わりに、わたしが全額負担するわ」
「え、えっ」
「遠慮しないで。着せ替え人形にしたい下心もあるから。わたしも自分用に揃えたかったし」
いやでもトータルコーディネートって。数千で済めばいい出費だぞ。
本庄さんの言い方からして、何着も買いそうな流れだし。
「雇い主のおごりは素直に受け取って。ね?」
「……い、いぇっさー」
頷くしかなかった。
それに外に出ることは大事だ。本庄さんは何も言わず家の中で我慢してくれているけど、この人の前では持病も克服してかなきゃって決めたんだし。
そいや流れで忘れてたけど、次があるかは私が決めるのにさらっと次のデート先言われたな。いいけど。
「いろんな上里、わたしだけに見せてね」
頭を撫でられて、それから唇に一瞬だけ柔らかいものが触れる。
あまりに自然すぎて、挨拶感覚で受けているのかと思った。
ほんとうに、この人はずるい。完全に手のひらで転がされている。
「じゃ、今日はお絵描きタイムに参りましょう。よろしくね、わたしのモデルさん」
そこでやっと本題を思い出した。
そっか、いよいよ本庄さんの絵が数年の沈黙を破ってお披露目されるのか。
期待に胸がうずく。
「こちらこそ。本庄先生」
少し茶目っ気を加えて返すと、本庄さんはまだ駆け出しよとぼそぼそ言いながら顔を背けてしまった。
キスは平気で出来るのに先生で呼ばれるのは恥ずかしいって。
相変わらず面白い方だ。
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