夢を諦めなかった人

 本庄さんはお昼は車にいるらしい。でも冬場は寒すぎてそうもいかないから、ストーブ付きの工場内でしのいでいるとのこと。


 ああ、だからお絵描きを目撃したときはあっちにいたんだ。

 夏場も車内は地獄だし、かといってクーラーのない現場はきついしどこで食べてるんだろう。


「事務所で食べていたわね。工場長と部長がいるけど、あの2人は業務時間外ではあまり話しかけてこないから。ただ食事に来ただけの人間と扱ってくれるのは、けっこう気楽だったわよ」

「客と店員の線引きみたいですね」



 さてさて。

 ダッシュボードに貼り付いたホルダーの上へとスマホを置いて、金子さんのエッセイ漫画が表示された画面へと注目する。

 昼食も忘れて、私たちはしばらく読みふけっていた。


『俺の夢は漫画家になることであった。そして今は、あまり売れない漫画家を何十年とやっている。なんとか暮らしていける程度には細々と食いつないでいるが、ここ最近は将来への不安が強くなってきた。果たして、自分の人生はこれでよかったのだろうか』


 漫画は、そんな哀愁を漂わせる導入から始まる。


 久々に同窓会で出会った元同級生は、ほとんどが結婚してもう孫がいる家庭もある。

 その光景を見て、金子さんは独身である自分に初めて孤独を覚えた。


 だけど同級生たちは、漫画家を続けている金子さんを”夢を叶えて羨ましい”と口々に褒め称える。

 どっちの人生がいいかなんて優劣はつけられないけど、隣の芝生は青く見えるものなのだ。


 マイナー誌だったため、やがて雑誌は廃刊。

 人脈を広げておかなかったツケが今になって返ってくる。

 知り合いの編集に当たっても、漫画の仕事は一向に見つからなかった。


 金子さんより若くて絵が上手くて、将来性のある漫画家はいくらでもいたから。


 収入の目処も立たなくなり、やむを得ず実家に戻った。

 だが両親は高齢で体に衰えが出始めており、年々物忘れも進んでいる。早く仕事を見つけない限り、最悪の未来はそう遠くないうちに迫っていた。


 だけど職歴もなく、身体的にも健康とはいえない中年に社会は厳しい。

 コンビニバイトですら、今は業務が多岐にわたりすぎて吸収力の早い若者に絞っている現状だ。


 ナマポはやめろ、ニートは働け穀潰しと唱えておいて。

 結局自分の会社には来てほしくないのだ。世間は。


 なんとか日雇いのバイトで一日を乗り切りつつ。それでも夢を諦めきれず、いつか声がかかることを信じてweb漫画投稿サイトの活動を決行。


 ついに呆れた親戚から、うちの会社へとねじ込まれたというわけ。


「作業が遅い理由を聞いたら寝不足って返ってきて。どうして寝不足なのですか? と追求したら漫画を描いていたからと言われて。最初は訳がわからなかったわ。雇い止めになる危機感はないのかって」


「漫画も今その辺りに入ってますね。本庄さんのポジションが男性になってますけど」

「ほわーい?」


 ねじり鉢巻で腕組してるグラサンマッチョ……がそうだよな。

 直属の若い上司って説明文あるし。


「漁師のイメージだったのかしらわたし」

「製造じゃなくて第一次産業じゃないですか」


 ほらコメント欄とか、話の先よりもグラサン上司が気になりすぎて頭に入ってこないってみんな言ってるし。

 特定とかされたら怖いし、脚色は加える必要があるんだろうけどね。


 ともかく、大した個数を上げられないのに他のベテラン社員と同じ給料なのは労働量に見合わない。

 教育して使える人材に仕上げるか、諦めて試用期間で首を切るかの二択に会社は迫られた。


「現場でもやっぱりノルマはあるんですね」

 元営業職の端くれだった身としては耳が痛い単語だ。

 大抵の会社にはノルマがあるものだけどさ。利益が上がらなかったら潰れるだけの話だし。


「うちはそこまで厳しくはないのだけどね……わたしも入りたての頃は作業が遅くて、警告されたことはあったわ」


 でも、そこから先はまるでフィクションのような逆転人生が始まる。


 同じ頃、上は宣伝用として開設した公式SNSにまるで効果が見えないことに悩んでいて。

 うちの会社も金子さんにできる仕事をと迷っていた矢先、彼の漫画家である経歴に白羽の矢が立ったのだ。


「SNS発の漫画効果はバカにならないのよね。多くの人の目に触れて気軽に読めるから、書籍化の確率も高い。当たれば大きい話だったの」


 漫画を描き続けたいのであれば、仕事を覚えろ。

 それは漫画のクオリティに直結するし、会社のためにもなる。


 覚えればそれだけ会社での信頼と地位が上がる。自分への宣伝ともなり、いずれは生きていくためにもなる。

 そう、本庄さんたちは金子さんに仕事をこなす重要性を説いたらしい。


 漫画ではグラサンマッチョ本庄さんがめっちゃ神妙そうな顔つきで、両肩に手を置いて説教している。バトル漫画の師匠みたいだ。


『俺は普通の人生の基準で測れば、底辺を走っているのだと思う。仕事を失った時に、数え切れない後悔をした。だけど今は会社に拾っていただいて、なんとか食べている。ありがたいことに漫画まで描かせていただいている。だから自分の人生は、まだまだこれからなのだろう。ただひとつ言えることは、漫画家になったことだけは後悔をしていない。それだけだ』


 人は何歳からでもやり直せるのかもしれない。

 そんな希望の一文を残して、この漫画は締めくくられていた。


 なお、会社はちゃっかり『年齢や経歴で転職を足踏みしている方はぜひ。我社でリスタートを切りませんか』と宣伝を残していた。


 何も言うまい。本社はうちと違って50代の応募者も仮採用したらしいけど。


「それが、わたしがもう一度絵を描いてみようと思った理由のひとつ」


 本庄さんは自分のスマホで今閲覧していた漫画のページを開いて、『いいね』のボタンを押した。


「プロになりたいとか、今さら夢を見ているわけではないわ。だけど元同級生が挿絵を手掛けた小説を見かけたときに、もやもやしている気持ちはあった。今回の金子さんの漫画がバズったときに大きくなって、それは絵を描きたいという情熱にふくれ上がっていった」


 誰かの成功が、諦めていた誰かの心に火を点ける。

 教えていた人から、教えられることもあるんだね。



「さ、とりあえずお昼にしましょうか。お腹空いちゃったわ」

「そういえば昼休みってことを忘れてました」


 ちょっと冷めかけていたお弁当を広げて、いただきますと手を合わせる。

 ラップにくるまれたおにぎりオンリーの私の昼食へと、本庄さんが訝しげな視線を向けた。


「それだけで足りるの?」

「朝だと面倒で……毎日弁当箱に詰めている人って尊敬します」

「炭水化物だけじゃ栄養偏っちゃうわよ」


 仕方ないわね、と本庄さんは包みから割り箸を取り出すと。割って膝上の弁当箱から卵焼きをつまんだ。


「たんぱく質。摂りましょう」

 選択の余地もなく口元へと運ばれてくる。卵の焼けた香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。


「じ、自分で食べられますよ」

「上里、お箸持ってないじゃない。手づかみとは勇気あるわね」

「そこまで人間やめてません」


 その割り箸をこちらによこしてくれれば済む話なんだけど、そういう話ではないらしい。


 見栄とかではなく、栄養バランスも考えないとな。休日はカップ麺ばっかだったし、こういう偏った食生活が将来の健康に響いてくるんだよな。


 若い時に不摂生な食事ばっかだったせいで、カネがない中年になって生活習慣の見直しを痛感する。病院代の出費は急にくるし、身体にも懐にも響くのだ。


 さっきの金子さんの漫画にそう描いてあったせいか、今になって我が振りを治す気が湧いてきた。


「はい、あーん」

「あ、あー」


 なるべく箸に口をつけないように、唇ではさんで口内へと送り込む。

 本庄さんちの味付けは砂糖を入れる派らしく、ふんわりとした食感とほのかな優しい甘さが味覚を刺激する。


「美味しい……です。料理上手いですね」

「良かった。もっと食べていいわよ」

「あの、それでは本庄さんのぶんが」

「わたしはいいわ。他にラ○チパックがあるから」


 今度はミートボールをつまんで、お肉もどうぞと運ばれてきた。



「ご、ごちそうさまです」

「こちらこそ」


 品数豊富な本庄さんのお弁当の3分の1は、私の胃袋へと納められた。カレーコロッケとか久々に食べた。んまい。


 そもそもお昼は一人が気楽だったのに、いざ一人になった今日は寂しくて誰かを誘うとか。群れたがりJKをバカにできない。


 結局、一人が好きでも独りは寂しいんだなって。人間って弱いものですね。


 近頃、本庄さんに対する距離感がおかしくなっているのは理解している。

 だけど同時に心の隙間を埋めることも分かっていて、私はどんどん深みにはまっていっているのだ。

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