その気にさせて

「今日、泊まっていきませんか? 本庄さんさえよければ、ですが」

「……えっ?」


 ばさっと畳に何かが落ちる音がする。視線を向けると、本庄さんのカバンが持っていた手からこぼれ落ちていた。


 うわー言っちゃったなあ。じんわり耳が熱くなっていく。

 時間延長でもなく、明日も来てくださいでもなく。

 いきなり夜を共にしませんかって。誘ってるとしか思えない言い方じゃん。


 というかいつもの”お支払い”に本庄さんが気分が乗らないとこから切り出したから、まるで私が『してほしくて』駄々をこねたようにも取れる。


 違うそうじゃない。

 私はただ、もっと本庄さんの絵を見たかっただけなんだ。


「食事の準備は私がいたしますので。本庄さんは気にせず過ごしていってください。ほら、ご自宅ですと家事で絵を描く時間が取りづらいと思いますので」

「そりゃあ、上里直々のお誘いであれば断る理由はないけれど。でも、なんだか悪いわ。あなたがあくせく働く横でお絵描きって」


「いえ、私が本庄さんに心ゆくまで描いていただきたくて勝手にやっているだけなので。お気になさらないでください」

「……ねえ、正直に言ってくれてもいいのよ」


 一段階落としたトーンの声が、疑いの眼差しを向ける本庄さんからかけられる。

 どう贔屓目に見たって、わたしの絵はあなたのフォローしている面々と比べれば月とすっぽんだと。気なんか遣わなくていいと。

 諦観したように遠くを仰いで、本庄さんは力なく首を横に振る。


「ひとつ聞きたいのだけれど、上里がこの絵描きさんたちをフォローするのに決めた理由はなに? 好みの絵柄にしては、画風が全員違うから気になったの」

「お金を出してまで欲しいか、ですね」


 正直に答えた。

 実際、彼らが今までに出した画集は一冊残らず買っている。挿絵を手掛けた小説も、原画を担当しているゲームも。元ネタを一切知らない同人誌も。


 どんなに内容が地雷でも、この方々の絵には鑑賞用として十分足りえる価値があると思っているから。


「だ、だとしたらなおさらよ。わたしの絵には一銭の価値もないわ。義理じゃないなら正直に教えて。いったい、この絵の何が良いっていうの」

「可能性です」


 確かに久しぶりに描いたからだろうか、絵柄の確立が不安定な部分はある。

 塗りも流行りの色合いを模倣した感があり、立体感は出ているものの濃淡に迷いがあるのか、無難に色を乗せてまとめた印象はある。


 それでも、流行りの画風に自分の手癖をアップデートすることはとても難しいことだ。

 イラストレーターの世界ではよほど名が知られている大手でもなければ時代に迎合しないと、やがては忘れ去られていくだけ。


 しかし悲しいかな、変えた結果劣化してしまった人も大勢見てきた。それで泣く泣くフォローを外した人もいる。

 昔の絵のほうが好きでした、って言いたいけど絶対言えない言葉だよね。


 それをブランクがあったにも関わらず短時間で特徴を捉えて反映できるということは、磨けば化けるということ。

 この絵は、可能性を秘めた原石だ。


「最初に聞いておきますが、本庄さんはプロになりたい……というわけではなく絵がもっと上手くなりたいのですよね」

「ええ、まあ……誰だって描いている人はそうだと思うけれど」


 でも、そこまでのレベルに近づきたい気持ちはあるから。忌憚のないご意見を聞かせてほしい。

 そう言われたことにより、私の心に本気の火がともっていく。


「絵ってようは、英会話と似たようなものだと思うんです」

「語学と芸術が? どのような共通点を見出したの?」


「とにかくたくさん話すことと、とにかくたくさん描きまくるといった形式です。案外、現地の英会話は文脈もバラバラだったりします。それでも伝えたい単語を声に出すから、相手と会話ができる。文法や発音を気にして悩む前に、その世界に飛び込んでみようという話です」


 ”最初から完璧を目指そうとすればするほど、完成は遠のきます”

 以前にマニュアル作成において、本庄さんが放った言葉通りだ。


「……正直、自信がないの。ネットはすごく上手いプロもアマチュアさんもたくさんいて、今のわたしでは駄作しか生み出せないんじゃないかって」


「駄作を上げようと思って作り出している方などございません」


 絵が上手くなる近道はない。プロに聞いたところでほとんどは『たくさん描きまくれ』と答えるだろう。


 ただし、やみくもに枚数だけ重ねればいいわけでもない。手癖だけで描いていれば、いずれ簡素な絵柄になっていく。

 そして恐ろしいことに、劣化した絵は誰も指摘してくれないのである。代わりに激減するいいねとブクマの数字だけが、すべてを物語っている。


「例えば、こちらの方ですが」

 私はお気に入りユーザーの一人の投稿ページを開いた。数百枚は投稿していて、そのどれもが数千ブクマを超えている。

 その、一番最初のページ。最古となる原点のサムネイルをタップする。


「この方だって、2年前はこういう絵から始まったんですよ」

「え、ええ? た、たった2年でああなるの?」


 まるで別人のなりすましかと疑うほど、最初の絵には今の画風の面影はかけらもない。

 かろうじて人とわかる歪んだ絵にはみだしまくりの色が塗られていて、まあぶっちゃければザ・お絵描き初心者ってわかる一枚だ。


「最初から完璧な天才なんて滅多にいません。ただ、この方は人の何倍も描きまくって勉強してレベルアップしていっただけです」


 本庄さんは、この方の最初の絵よりははるかに基礎画力がある。美術の学校行ってたんだから当然といえば当然だけど。


 つまり、努力次第で2年もかからずプロ並みの画力に到達できるかもしれないということ。

 その可能性に気づいたのか、本庄さんの諦めかけていた表情は真剣に話を聞く顔つきになっていく。


 最後のひと押しは、私が最初のファンになることだ。


「友達だからとか会社の人だから、という理由でフォローしたわけではありません。あなたの絵を見ることが楽しみになったからです」


 きっと、この方は伸びていく。

 素人の私が断言したとこで根拠も保証もないけど、上手くなりたいという情熱があれば、どこまでも。


「……分かったわ。上里がそこまで期待してくれるというのなら、もう少し頑張ってみる」

「はい、お待ちしております。……でもくれぐれも睡眠時間は大事にしてくださいね。不規則な生活は万病の元になりますので」

「大丈夫。わたしは仕事もプライベートもおろそかにしないわ」


 話に一区切りがついたところで、いったんお泊りセットを取りに帰るわねということで本庄さんは自宅に戻っていった。

 ……あ、そうだったよな。お泊り、大胆にも申し出たんだよな。うわあ、緊張してきた。



「ところで」

 帰ってきて、着替えが詰め込まれているであろうボストンバッグを置いて。

 本庄さんはいきなり私へと詰め寄ってきた。すごくいいこと思いついちゃった、とぺろりと舌を出して。


「お支払いのこと。今日は上里からしてくれる?」

「ど、どういうことでしょう」

「上里って、その気にさせるのが上手いわよね。だってあの絵、描くとは言ったけど削除する手前の心境にまで来ていたんだもの。それを描き続けたいなってこっちの世界に引きずりこんだのだから」


 わたし、そういう気分になっちゃった。どうしてくれるの。

 にっこりと口元がつり上がって、吐息がかかる距離まで顔が近づく。


 まるで獲物を前にした捕食動物のように。首元がしなやかな腕に絡め取られて、期待に満ちた妖しい笑みが私を捉えた。


「じゃあまず、これで縛ってくれる? ほどけないようにぎゅっとね」

「いやいやいや、それ犯罪ですから」


 まさか家から持ち出してきたのか、一本のネクタイを渡される。拘束しろということらしい。

 本庄さん、ゴリゴリのサドだと思ってたんだけどマゾっ気もあるの? SとMは表裏一体ってことかね。


「外したらわたし、何をするかわからないもの。お泊りだなんていうから大いに浮かれちゃってるの」

「…………」


 別に、そうしてくれてもいいんですよ。覚悟はできてるんですから。

 言いかけた言葉を飲み込んで、私はわかりましたと素直にうなずきネクタイを受け取った。

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