副業編・現場
おたわむれの昼下がり
毎朝の服装は、スーツから作業着へと変わった。
仕事量が少ないのは変わりないから、このまま事務やってても仕事の取り合いになっちゃうんだよね。
そんなわけで、工場長が現場の異動を提案してくれた。猫の手未満の私に。
キャリアやスキルの目線で考えたら、こっちのがいいか。事務にこだわりがあるわけでもないので。
ブルーカラーなら、働き口もホワイトカラーよりはある……と思うし。
で、配属されてから数日後。私は自分の実力の程を思い知ることになった。
「進捗どう?」
そろそろ針が正午を回る頃。工場長が視察に作業場を訪れた。
午前中に何ケース仕上げられたか、サボりチェックも兼ねて本社に報告するために。
工場はパレットを一瞥すると、んーと微妙な調子の声を漏らした。
「ま、明日はもうちょっと頑張ろうか」
「はい……精進します」
LINE WORKSに報告するのか、スマホを取り出した工場長に向かって頭を下げる。
これからだよと励ますように手を振ると、工場長は外へと続くドアに手をかけて去っていった。仏の顔も来週半ばくらいまでだろう。
いちばん簡単な作業ですら、満足に成果を上げられないのか。
お情けでなんとかねじ込まれているだけという己の立場に、ぎりっと奥歯が鳴る。
私に与えられた仕事は、プレート溶接。
流れていくレーンにひとつひとつプレートとスペーサーを乗せていけば、所定の位置で機械が溶接してくれる。
あとはひたすら、ダンボールがいっぱいになるまで並べていくだけの簡単なお仕事。
数もカウントしてくれるため、目標個数に到達すれば勝手に機械が止まってくれる仕組みだ。
つまり、求められるのは乗せる速さと正確さのみ。
現場に配属された人たちは、まずこの仕事で様子を見る。
製造業というからには当然、ノルマも存在する。なるべく少ない時間でたくさん仕上げなければ、赤字になってしまうからだ。
「…………」
会社用に先日支給されたタブレットを起動して、過去の記録表を見る。
みんな、1日で基本20ケースは上げている。それがこの商品の最低ラインだからだ。
ちなみに最高記録は川角さん。担当日はだいたい、25ケース以上は上げている。
さすが会社でいちばん仕事ができる大ベテランさんだけあって、定年後も再雇用されたわけだ。
落としていた肩を上げて、持ち場へと戻る。
そういや材料がもう残り少ないな。何ケースか持っていこう。
私は台車を引いて、出来上がったスペーサーの箱が積み上がっている棚へと向かった。
「……すみません。お世話になります」
「いえいえ。無理しちゃダメだよ」
台車へ次々と積み上がっていく光景を眺めつつ、作業着の裾を握りしめる。
推定15キロはあるスペーサーの箱は、どれだけ引っ張ってもびくともしなかった。
見かねて手を貸そうとしてくれた花崎さんの好意に甘えて、運搬をお願いした。
女だから持ち上げられない、は理由にならない。
本庄さんや川角さんは男性の手を借りず、一人で運んで作業に当たっているのだから。
男性に混じって、同じ作業にあたり、彼らと遜色ない働きを見せる。
それが男女平等というものだ。
そんな私の顔色を察したのか、花崎さんは助け舟を出してくれた。
「あのね。俺、前は運送会社だったからわかるんだけどさ。頼るのが恥ずかしいからって無理して運んで、そんで腰痛めて辞めた女性何人も見てきたからね。持ってくときは遠慮なく声かけてよ」
「はい。お心遣いありがとうございます」
花崎さんだって、もう50はいっているのに。年齢を感じさせない蓄えた筋力で、次々と箱を積み上げていく。
私も鍛えれば、いずれ力仕事が身につくのかな。
はあ、せめてフォークリフトさえ運転できればなあ。せっかく現場に来たんだし、いずれは免許も取得しないとだよね。
「フォークリフト? 運転免許を持っていれば最短5日以内で取得できるわよ」
「そ、そんなに短期間で取れるのですか?」
「ええ。お金も3万くらいの出費で済むわ。自動車講習よりも簡単だし、学科試験もあっちほど引っ掛け問題は少ない。取っておいて損はないわよ」
昼休み。本庄さんの車の助手席で、私は昼食を摂っていた。
プライベートでも職場でも関係が変わった、というのもあるけど。ここ最近はずっと、一緒に昼休みを過ごしている。
狭山さんとは直属の上司というつながりが切れた途端、疎遠になってしまった。
川角さんとは仲良く談笑しても、隣の私には目も向けない。
川角さんもさすがに温度差に気づいて話を振ってくれるけど、会話が続くのは彼女が間に入っているときだけだ。
明確な拒絶の意思が、声に出さずとも狭山さんからは感じ取れた。
そりゃ、そうだ。私は特例で現場に入れていただいたのだから。
本来であれば使えない人材として首を切られる立場だったことを、忘れちゃいけないんだ。
「忍ちゃん」
無意識に膝へと落ちかけていた目線が、ぐいと持ち上がる。
目の前には頬を挟む本庄さんの姿があった。
「仕事熱心なのはいいけど、昼休みのときくらい忘れましょう」
せっかく二人っきりなのだから、とつぶやかれる。
気のせいかふたりっきり、のとこで噛んだように聞こえた。言い慣れてそうな言葉なのに。
恋人の前で、こんな暗い顔でいるなんて失礼だ。
膝上の空になった弁当箱をしまって、軽く咳払いをする。
「では、忘れさせてくれますか」
歯の浮く台詞を声に乗せた。
小さなことでくよくよしたってしょうがない。今は貴重な時間をめいっぱい満喫しよう。
「あら、どうしてほしいの?」
目を細めて、本庄さんは意味深に口元を釣り上げる。
意識する前から綺麗だなって常々思っていたけど、改めて見ると蠱惑的にもほどがある。
こんなド美人にこんな顔されて赤面しない男女っているのってくらいに。
「わかってるくせに」
席を後ろへ倒す。
衝動のまま、目の前の恋人の首に両手を回して。ぐっと引き寄せた。
「おっと」
そのまま押し倒されるような体勢で、私たちは折り重なった。
首元に本庄さんの吐息を感じて、ちょっとくすぐったい。
しばらくこうしてていいですか、と聞くと。
「こうしてるだけでいいの?」
「ひゃっ」
変な声が出てしまった。柔らかい何かによって、頸動脈に沿ってなぞられたからだ。
「ど、ど、どこを、」
「ああ、そういえば聞くの忘れてたわね。忍ちゃんは自分のセクシャリティってわかる?」
淡々と尋ねつつ、本庄さんは頬に軽いキスを落とす。
いややってることと聞いてることが違うんですけど。
いつぞやか、かつての後輩も同じようなことを言ってたっけ。
『セクははっきりしておいたほうがいいと思いますよ。相手は真剣なんですから』って。
セクか。好きだけどセックスはできないとか、やれるけど恋愛感情は持てないとか、そういうの聞くもんな。
「わたしとこういうこと、できる?」
求めている答えは一つしかないくせに。
ぞわぞわとくすぐったさなのかべつの感覚なのか悶える私に構わず、本庄さんは生暖かい吐息といっしょに訊いてくる。
「……い、」
「い?」
「……いい、ですよ。本庄さんの、」
お好きになさってください、と言おうとしたんだけどその先はさえぎられてしまった。
「ん、んー」
数秒だけ呼吸を塞いで、妖しく微笑んだままの本庄さんが離れる。艶めく唇から赤い舌先がのぞいた。
「今は名前で呼んでほしいなー」
可愛らしく頬を膨らませて、鼻先に人差し指が突き立てられた。
そ、そうだった。さらっと呼称変えてたもんな。
あのときは感情が高ぶってたから言えたけど、改めて意識すると恥ずかしい。
「ま……毬子、さん」
声が裏返りそうになって、羞恥に耳が熱くなっていく。
よろしい、と満足そうにほ……毬子さんはうなずいて、首元に軽く唇を落とした。
『2週間以内で20ケース上げられないと、だんだん工場長からの警告が増えてくるよ。始めたての頃は、自分の檻の前で止まらないことを祈る死刑囚の気分だったね』
川角さんの洒落にならない例えを振り払うように、私はひとときの恋人との戯れを享受した。
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