はじめてのランチタイム
まさかこんな形で、入社当初から気になっていた秘密が明らかになるとは思っていなかった。
「本庄さん、描ける方なんですね」
入社三日目でこっそり目撃してしまったことは内緒にしておこう。
「ええ、まあ……何年も描いてなかったから腕は鈍ってるだろうけど」
告白でも終えた後のように本庄さんの声は上ずっていて、視線は斜め下へと向けられている。組んだ指をもじもじとくねらせて。
さっきまでそれ以上に恥ずかしいことをしていたのに、羞恥の基準が謎だ。
「描きたくなったから描いた、それでいいじゃないですか。嫌々描くよりは」
「そうよね……描いていた頃は1日でも筆を置くと周りに追い抜かれる気がして、スランプでも何か描かなきゃ劣化しちゃうって焦っていた。でもそんな状態で描いたものが、満足な出来なわけがないのよ」
それで描くことそのものに疲れちゃって、長らく絵描きから遠ざかっていたのかな? 何かがきっかけで再熱したのはいいことだけど。
みんな睡眠時間と魂を削って、血反吐を吐きながら作っているんだよ。いわゆる出産みたいなもんさ。って同人の原稿に追われてた元友人が言ってたな。
だから作家や漫画家って不健康になりやすいのかなあ。
「ところで、もしよろしければですが。続きはお昼を食べながらにしませんか?」
時刻はもう正午を過ぎている。胃に空腹を覚えてきたし、本庄さんもお腹を空かせているだろう。お話にも興味があるし。
「上里は大丈夫なの? その、持病があるんでしょう」
「自宅ですし大丈夫ですよ。食べられそうなぶんだけ作りますし、残したら夕飯に使い回せばいいだけなので」
「誰かの手料理をいただくって久しぶりね」
ありがたくご馳走になります、と手を合わせる本庄さんに頭を下げて、いったん台所へと向かう。
本庄さんなら以前にも関係を持った方がいたんだし、手料理を振る舞われたのではと謎の対抗意識を持ってしまう。
美味しいって思ってもらえるといいな。
まな板の上でキャベツを刻みつつ、いったん中断した話題に胸を躍らせる。
人に自分の絵を見せるって、とても勇気がいることだと思う。
仲良くなってきたと認識している相手に、どこまで個人情報を開示するか。
この人なら趣味を共有しても大丈夫かな、と信頼しているからこそ一歩を踏み出せる。
自分のことをほとんど話さない本庄さんだからこそ、嬉しい気持ちがあった。
だから私も、この人の前ではちょっとずつ持病を克服していきたいと思った。
まずは一緒に、ご飯を食べるとこからと。
いや会社では他の社員さんと食べてるけど、やっぱり完食しなきゃって緊張のほうが先に来ちゃうからね。家ではのんびり味わっていただきたい。
「お、お待たせしました」
……で、張り合っておきながら。出来た昼食は大皿に盛った焼きそばだ。
刻んだ野菜と豚肉と麺を炒めてソースぶっかけただけ。これだけじゃ喉に詰まりそうなので、豆腐とわかめで簡単に作った味噌汁も添えて。
ぶっちゃければ手作り焼きそばなんて数年ぶり。めんどくさくてずっとペ○ングで済ませてたもんな。
家庭によっては、紅しょうがも和えたりご飯orパンに乗っけたり生卵落とす人もいるね。
「下品だけど、小さいときは口いっぱいに詰め込んで食べていたわ。豪快に頬張りたくなるのよね」
「わかります。絶対気道詰まるよってくらい飲み込んで、無理やり水で流し込むのが癖になって叱られたことはありました」
「こら、よく噛んで食べないと太るわよ」
ずずっと吸って食べるのはマナー的に気になったので、箸でちびちびと送って咀嚼する。
ちなみに本庄さんはパスタみたいにフォークに巻き取って食べていた。
ところで焼きそばに作法とかあるのかな。私の中ではすするものでも送るものでもなく、白米に乗せてかっこむものなんだけど。
「ごちそうさまでした」
食べながら話しましょうとか言っちゃったけど、けっきょく大皿を空にするまで一言も交わすことはなかった。
お腹空いてると食に集中するからね。自宅で食べてるってのもあるけど、久々に残したらどうしようとか気にせずのんびり食べられたなあ。
「なんだか嬉しい」
食後。淹れたばかりの熱いお茶を一口飲んで、本庄さんがにこやかに言った。
「上里、こんなに美味しそうに食べるんだって。発見できたことが」
私、そんなに顔に出ていたのか。
さらりと乗せられた褒め言葉に、じわじわと胸に湧き上がってくるものがある。
「よ、よかったです……家だとどうしても気が緩んでしまうので、育ちが悪そうとか思われなくて」
逆に本庄さんは、終始上品に食べていた。
人んちだからと見栄張って振る舞っている感がぜんぜんなくって、ああ幼いときから自然に身についてるんだってわかるような。
お金のやり取りを持ちかけるくらいだし、裕福な家庭の生まれなんだろうな。
「それって、わたしがいても緊張しなくなったってこと?」
「かもしれません。満腹って持病持ち的には気分が悪くならないかなとか無駄に心配しちゃって、空腹がいちばん安心できる状態だったのですけど。こうしてお腹がぱんぱんになっても、まったく不安を覚えていないので」
「ふうん、そっかあ」
気が向いたときでいいから、またお昼ご一緒しましょうね。
と、本庄さんは小指の代わりに湯呑を差し出してきた。
もちろんです、と私も掲げた湯呑を軽く合わせた。
食休みがてら、話題は絵の話へと巻き戻った。
「イーゼル、処分するんじゃなかったなと後悔してます」
私は絵は描かないし、父親のアトリエは離婚してからずーっとほったらかしてて埃っぽかったんだよね。魔の巣窟と化してた。
張りキャンバスも木炭鉛筆もクロッキー帳も石膏像も……要するに描くのに役立つ道具は全部捨ててしまった。
いまあの空間には、父親が描き残した風景画が飾られているのみだ。
ゆくゆくは物置き場として使う予定だったんだけど。
「大丈夫。アナログじゃなくてCGだから」
液晶に直接描画するタイプのiPadを持参してくるため、画材は不要だとフォローを受ける。
デジタルの絵描きさんか。どんな絵柄なんだろう。
こないだちらっと見た限りでは二次元寄りだったけど……私をモデルにするってことは、写実的な絵も描けるのかな。美術科に在籍していたくらいだし。
「それにしても一家にアトリエって、あんまり見ないわよね。上里も描く人なの?」
「いえ、父親が趣味で描いてたので」
美術教師だったことは伏せた。
父親はこないだの電話で本庄さんを知ってるみたいな言い方をしていたけど……気になるけど聞かないほうがよさそうだな。
「どんな絵に仕上げてくださるか、楽しみにしております」
「こちらこそ。上里に出会えてよかったわ」
それは、どういう意味でなのだろう。
どうして自分をモデルに選んだのか、おそるおそる聞いてみると。
「最初見たとき、すごく絵になる子が来たなって思ったの。絵に起こしたいって直感で思った。もう一度、筆を握ってみようと思わせてくれたのはあなただった」
その言葉は確かに、私の胸を打った。
本庄さんはうっかり口走ってしまったと、はっと口を押さえて顔を背けてしまう。
珍しくあわわとうろたえて、まだ70度くらいあるお茶を一気に煽った。火傷しないかそれ。
その仕草を見るに、本心からなんだって読み取るには十分で。
タイプってそういうことだったのか? と探ってしまいそうになる。
「あ、あと。金子さんの影響もあってね」
「なんですかそれめっちゃ気になります」
そういえば直属の部下だっけ。
もう一つの動機らしい金子さんのあれこれについては、本庄さんはあんまりべらべら話すのもねとうっすらとだけ明かしてくれたけど。
思いも寄らない事情を、私は次の日知ることとなった。
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