【毬子視点】たった一人のファン

 いま、客観的に当時のわたしを評するなら。

『クラスに一人はいる、中途半端に絵が上手い子』でしかなかった。


 ポスターや卒業文集の挿絵や年賀状のリクエストを片っ端から引き受けて、もてはやされることでクラスのヒエラルキーを獲得していた。

 美術の授業での作品発表が、何より楽しみだった。


 壁にぶち当たったのは、高校に上がってから。


 ちなみに学生が抱く将来の夢は、中学生と高校生で大きく異なる。

 女子を例に上げると、中学生のトップ3は芸能人、動画配信者、そして絵を生業とする職業。


 ところが高校生への調査結果は、公務員、看護師、ITエンジニアと一気に現実的な回答へと変わる。これは男子もそこまで変わらない。


 つまり、この3年間で現実の洗礼を受けたということ。

 みんな通った道だったのだ。


 わたしは愚かにも、県内に3校しかない美術学科のある高校を選んだ。

 本気でイラストレーターを目指せると、他にライバルがおらず一強だったわたしはすっかり鼻が伸び切っていたのだ。


 入学早々、それは見事にへし折られる。

 当たり前だ。美術学科へは実技試験をくぐり抜けた者のみが入れるのだから。


 素描、油絵、水彩画、ビジュアルデザイン、彫刻。

 どの分野においても、わたしは下位の者であった。


 彼らがひとたび画材を握れば、数時間後にはキャンバスに命が吹き込まれる。

 精密かつ圧倒的な描写という説得力によって、他者にリアリティに満ち溢れた世界を否応なしに叩きつけていた。


 わたしはどんなに筆を重ねても、彼らの十分の一も内なる世界を表現できなかった。

 天と地ほどの実力差を、入学ひと月でまざまざと見せつけられたのだ。



 ついでに彼らは、昼休みには落書き帳を広げて好きなキャラクターを描きまくっていた。

 絵を描くことが三度の飯より好きな人間の集まりだから、当然のごとくオタクの子も多かった。


 とどめは、ついに刺される。


 もとからの美術技法に長ける人は、アニメキャラクターも下手なわけがないのだ。

 基礎がしっかりしているのだから、デフォルメした二次元の画風なんて彼らにとっては息抜きに等しい。


 短時間でさらさらと。サイン色紙でも描く感覚で、いともたやすく仕上げてみせる。


 わたしは鏡とにらめっこしながら時間を掛けて、バストアップがやっとなのに。

 クラスメイトは鼻歌まじりに、自由自在なポージングを崩れることなく描き込んでいく。


『アナログは久しぶりだなー。ずっと板タブだったからさぁ』

『難しくないの? 画面見ながら手元動かさないといけないって』

『なら液タブにすれば? 高くて手が出ないならタブPCもあんだし』


 そこで今更ながら、手元を見ながら描けるタブレット端末の存在を知った。


 ペンタブレット自体は持ってはいたものの。デジタルの世界に慣れることができず、早々に押入れのスミでホコリを被っていたのだ。


 彼らはわたしが紙の上で満足している間に、とっくの昔にプロと同じ道具を揃えてCGソフトを使いこなしていた。

 相応の評価と共に。


『ほら、あの子とかいま描いてるよ』


 隣の席でちょうど、タブレットPCに向かってペンを走らせていた子がこんな感じだよと絵を見せてくれた。


 控えめに言って、平積みされているライトノベルの挿絵と遜色ない出来栄えにわたしは椅子から崩れ落ちそうになる。


 嘘でしょ? 今の高校生ってこれくらい描けるの?


 気になってSNSのアカウントを交換した次の日。彼女の描いた一枚の絵には、数千もの称賛が集まった。


 たった数十人から上手いと言われふんぞり返っていた、お山の大将が引きずり降ろされる瞬間だった。


 心が折れる音がした。

 在学中でなければ、そのまま筆も折りたかった。


 わたし、下手くそだったんだなあ。


 ようやく、わたしは己の実力不足を思い知ったのだ。

 その日、10年以上継続してきたお絵描き皆勤賞は途絶えた。



 プライドをすっかり砕かれたわたしは、3年を通して大して画力が伸びることがなかった。


 何のために美術学科に入ったのか。

 進路ではほとんどが美大か芸術分野の専門学校に進む中、わたしは普通の大学への受験を希望した。

 実力を上げるのに不可欠な要素である、自信の火種は燃え尽きてしまった。


 上手いクラスメイトは早朝や放課後美術室にこもって、常人の何倍も描き続けている。わたしも食らいつくべきだったのに。


 磨かれなかった原石は、未だ路傍の石ころのまま。

 好きではじめたものすら、本気で挑まなかった。


 息抜きであった落書きすらも面倒になり。

 提出期限に急かされて、惰性で画材を握る日々。


 何の想い入れもない卒業制作が事実上、わたしの最後の作品となった。

 それからは白紙を前にしても、描き放題のキャンバスに見えることはなくなった。



「というわけで。お絵描き大好きっ娘だった毬子ちゃんは、ちょっと絵が描けるだけの凡人だったのでした」


 ほとんどまくし立てるように身の上話をぶっちゃけて、わたしはめでたしと付け加えた。


「でも、すごいですね」

「なにが?」

「逃げなかったじゃないですか」

 

 実力者だらけで押しつぶされそうな苦しさの中、よく最後まで通ったなあって。

 逃げ癖を知らないわたしに向かって、上里さんは褒め言葉をかけてくれた。


 そんなもの、学歴のためだ。

 いくら行きたくなくても中卒では、せっかく通わせてくれた親を裏切ることになってしまう。ただでさえ反対を押し切って願書を出させてもらったのに。


「提出さえ出来てれば、どうでもよくなってしまった。先生にもよく叱られたわ。お前やる気あるのかって」

 

 あんなに描くことが好きだったのに。いや、好きだったからこそか。


「好きの反対は無関心ってやつ」

「は、はあ」

 首をかしげる上里さんに、たった今思い浮かんだ持論を述べる。


「1年のときはまだやる気があった。クラスメイトの凄まじい作品を見るたびに、胸を掻きむしりたくなるほど悔しくなった。何日も掛けて、何枚もボツにして。思うように描けない苦しさに毎晩枕を濡らしたわ」


 そのさんざん己をむしばんだ対抗心が、ある日突然芽生えなくなっていた。

 奇しくも、没頭できる新しい趣味を見つけたタイミングで。


「なんにも思わなくなったの。感動も、焦りも。なーんにも。それでああ、わたしの絵描きとしての感性は死んだんだなあって。悟りの境地に居たわ」


 むしろ、高校生の時点で気付かせてくれたことに感謝すらしていた。

 夢追い人として若さを棒に振る前に。お前には才能がなかったのだと。


「ま、でもいまこうして描いてるのだし。なにがきっかけで再燃するか分からないわね」

「貴重な描き手さんが戻ってきてくれたのは嬉しいことです」

「きっとどこかで未練があったのね。誰か一人でも応援してくれたら辞めなかったのにって。面倒くさいけど」

「活動中は何の反応もなくて、引退してから見えないファンが殺到する感じですか」

「そうそう。今さらすぎておせーよってなるアレね」

「クレームではなく、好意を形として伝える世になってほしいものですね」


 わたしは今まで、いろいろなものから逃げてきた。親への期待から。高校生活から。就活から。人間関係から。


『友達だからとか会社の人だから、という理由でフォローしたわけではありません。あなたの絵を見ることが楽しみになったからです』


 会社では先輩であっても、この世界ではど素人同然。

 そんなわたしに、上里さんは期待をかけてくれた。


「じゃ、そろそろお絵描きに戻るわ」

「お風呂先いただきますね。夜更かしはほどほどに」


 脱衣所に向かう上里さんを見送って、ペンを握りしめる。


 絵は英会話と似たようなもの、かあ。

 そういや中学時代、親は家庭教師をつけてくれたのに英語はさっぱり身につかなかったわね。先生は語学の資格を取って、留学まで行って話す努力をしていたのに。


 描こう。

 一日でも早く、たった一人のファンのためにいま自分にできる全力を出し切ろう。


 この一枚がわたしのスタートラインとなる。

 思うように描けない悔しさをバネにして、次の一枚はより精度を上げていくんだ。


 意中の人に届くまで、真心を込めて描き続ける。

 それはある意味、恋文というのかもしれない。

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