【毬子視点】おうちデート2回め

 捨てる神あれば拾う神あり、なんて言葉がある。

 わたしが上里さんに目をつけたのは、最近恋人と別れて寂しかったからだ。


 あの子は神川かみかわという名字だった。上里さんも漢字は違えど『カミ』とつく。

 ただの偶然だけど。冒頭のことわざに通じていると思ったのはこじつけが過ぎるだろうか。



 デート2回めとなった、土曜日の正午。

 2月の透き通った水色の空の下。寒風を突っ切って、わたしはしばらく通うことになる一軒家を目指す。


 はあ、ときおり見かけるロウバイの淡黄色に心が躍る。もうすぐ春ですね。

 わたしの春も、今度こそ花開くといいのだけれど。


 上里さんの住む地域は、駅からそんなに離れていないのに広々と田園地帯が続いている。

 コンビニすら見かけない。ここ本当に東京の隣なのかしらと思ってしまう。



『上里』と表札が下がる、黒ずんだ塀の前でバイクから降りる。


「お邪魔いたします」

 インターホンを押すと、すぐにカギが回る音が聞こえた。


 迎えてくれたのは上里さん……なんだけど町中ですれ違ったら上里さんと気づく自信がない。いつもパリッと引き締まったスーツ姿しか見ていなかったから。


「どこのお嬢様かと思ってしまいました。よくお似合いですよ」

 大げさな言葉に聞こえるかもしれないけど、本心である。


 ボートネックのトップスに、ふんわりと足首まで広がる紺のスカート。

 ざっくりとした白いニット生地が柔らかい印象へと中和されていて、内巻きにボリュームを出した毛先は女性らしさを引き立てている。


「え、ああ、ありがとうございます。でも、本庄さんのほうがもっとお綺麗ですよ」

 上里さんは謙遜しつつ頭を下げた。

 どこか遠慮している、ぎこちない笑い方で。


 ああ、そうか。

 前回は作業着で私服をお披露目できなかったぶん、今日はわたしなりに気合を入れた。森ガールっぽいナチュラル志向で。


 フェミニンコーデで被っちゃったから、お世辞に聞こえてしまったかもしれない。


「なんか、ほんと。街中にいたら振り向いちゃうだろうなーって。モデルのお声とか余裕でかかりそうですよね」

 僻みとかではなく、単純なサービス精神で褒め言葉を述べてくれるのが上里さんらしい。


「あら、ナンパの心配をしてくださるのですか?」

 ナンパした側から言ってみる。上里さんは本庄さんでしたらたくさんの人が放っておきませんよね、と正直に言った。貴女こそ、自覚ないのかしら。


「ご安心ください。ナンパする人は眼中にございませんので」

 そう、寄ってくる有象無象に興味はない。

 わたしが興味を示すのは、気のない同性だけだ。



 上里さんのお部屋へと招かれる。

 中央の白いテーブルにはすでに湯呑みと急須がスタンバイされていて、ほのかに香ばしい匂いが漂っている。


 集合住宅ばかり行き来していたから、こうした一軒家は新鮮だ。そこかしこに、ひとつの家族の物語が刻まれているから。

 学校帰りに、友達の家で過ごした幼少期の懐かしさがこみ上げてくる。


 ファンシーなクッションに腰を下ろすと、すぐさま上里さんはお茶を淹れてくれた。

 よく蒸らしたほうじ茶の心地いい香りが、すっきりとした後味とともにじんわり体内に染み渡っていく。


「……えと。しますか」

 前回のやりとりを覚えているのか、上里さんは両手でお椀とお箸の形を作った。

 指を口元まで運ぶ動作をして、わたしの要求を引き出そうとしてくれる。


「ええ、ぜひ」

 上里さんは何食わぬ顔でバームクーヘンを一口サイズに切ると、ひな鳥のように目を閉じて待つわたしの口へとフォークを差し出してくれた。


 よどみない動作で、もう一口いかがですか、と追加のオーダーを訪ねてくる。

 上里さんには、なんてことないサービスのひとつとしか映ってないのだろう。


 わたしはまだ、上里さんの中ではお客様扱いだ。



 さて、今日のデートのプランは上里さんからの提案となった。


「……あの、これで本当によかったのですか?」

 ノートPCをテーブルへと置いて、とあるゲームのアイコンをクリックした上里さんが振り返る。


 ソロプレイが前提で、横から眺めるだけでも目の保養になるもの。

 つまるところ、美少女ゲームだ。


「PC版で全年齢移植って珍しいですよね。普通、追加要素込みで家庭用ゲーム機に移植されるパターンがほとんどですし」


「新ヒロインの声優さんが表の方でして。レーベルは引き上げられないってことで逆移植の際もそのまま全年齢で出たんです。あのハードはすぐ生産終了となってしまって、それだけのためにゲーム機を買うのも憚れたので……まあ、全年齢でもいいからPC版に作り直してほしいという声が相次いだのでしょうね」


 いつものぎこちない喋り方とは打って変わって、上里さんの舌はよく回る。

 得意な話題で饒舌になるのはよく見かける光景だ。

 上里さんもそれに気づいたのか、少し気まずそうな顔で話を戻した。


「というかその……これ、男性主人公で女性キャラクターを恋愛的に攻略するゲームですよ? 女の子同士ではないので……ええと……」


 同性愛者であるわたしには楽しめないのではないか。そういったニュアンスは感じ取れた。

 上里さんが気遣ってしまうのもわかる。女性同士の作品では基本、異性愛の描写や男性キャラクターの介入はよしとしないから。


「お気遣いなく。わたしはむしろ、対象としていない女性だからこそ楽しめているので」

「は、はあ」


 上里さんは不思議そうな顔をした。


 ちなみに上里さんはどうやって楽しんでいるのか聞いたところ、主人公としての投影ではなく主人公とヒロインのカップルを眺める感覚でプレイしているらしい。


 ゆえに、ヒロインよりも主人公が合わないと途中で投げてしまうとのこと。わかる。


 そのまま2人で、オートモードでつむがれる男女の恋愛物語を眺めていく。


 美麗な絵柄で、画面の中の少女は主人公に恋い焦がれていく。

 恋する乙女の姿を余すとこなく振りまいて、やがて二人の世界で瑞々しい純愛が繰り広げられる様をプレイヤーへと見せつけていく。


 誰も彼もが二人の間には割り込めない。

 女の子の目に映るのは、物語の主人公ただひとり。


 絶対に手に入れることはできない存在。

 だからこそ、わたしは惹かれるのだ。



「そろそろお時間のようですね」

 ゲームはまだ、攻略ルートの中盤だけど時間は時間だ。


 上里さんの抱える持病はあらゆる制約がかかっていて、他人との食事も人によってはできないとある。夕方にさっさと退散するのが望ましいだろう。


「あ、その、お疲れさまです」

 セーブしてゲームを閉じて、PCをシャットダウンしたタイミングで上里さんが頭を下げた。

 さて、次はあるのか。わたしは用意してきた台詞を口にする。


「次はいつがいいですか」

「ら、来週で。明日はゆっくりお休みください」

 ゲームの途中というのもあって、上里さんは次のデートを承諾してくれた。

 3回目。一般的には判断の分かれ目となるときか。


「さて、日給ですが金額は上里さんがお好きに決めてください。いくらが適正価格ですか?」

 ちなみに経験上、釣り上げる子は最後までいなかった。

 上里さんも例外ではなく、変動はないと言った。


 財布から千円札を取り出して、上里さんに預ける。

 お礼を言って、上里さんは貯金箱ではないどこかへと仕舞いに行った。あら、厳重に保管してくれているのかしら。


「あ、私の支払いですが。どうしたらいいですか」


 おずおずと上里さんは己の身体を差し出すように、身を乗り出してくる。


 そうそう、前回は写真を撮るだけだったから……今日はどこで支払おうか。

 わたしはある提案を切り出した。


「ところで上里さん。今は先輩と後輩の立場ではないのですから。遠慮なくタメ口でもいいのですよ? わたしは年下なわけですし」

「す、すみません。それだけは」

「……お友達から始めたいのですが、それでもダメですか?」

「そ、それ以前に私は雇われる側ですし。申し訳ございません」


 ダメか。それにしても珍しい。プライベートで敬語を使ってくる年上になんて出会ったことはめったに無いから。


 おそらく、家族以外には許さない一面なのだろう。

 むう、ごく限られた姿であればあるほど欲しいと思ってしまうのがわたしの悪いくせだ。


「……あの、でしたら」

 そこで上里さんは、意外な提案をしてきた。


「本庄さんからそうしていただければ、いつか崩れるかもしれません」


 はて。

 確かに上里さんのご友人は総じてタメ口だろう。まさか学生時代から敬語だったなんてことはあるまい。


 年下が年上にタメ口。そんなの、非日常でしか許されない光景だ。

 だけどそれでいつか上里さんの素朴な一面を引き出せる可能性があるのなら、それに賭けてみたい。

 難易度が上がるほど、わたしは燃える質なのだ。


「…………」

「あ、遠慮せずどぞどぞ。むしろこっちも敬語じゃない本庄さんに興味があるので」


 躊躇して沈黙してしまうわたしへと、上里さんは促すように手招きする。


「さん付けはしますか?」

「いえ、呼び捨てで結構です」


 タメ口のうえに呼び捨て。ますますハードルが高い。

 かみさとさん。かみさと、上里。口の中で転がして、自然に出せるように意識していく。


 目の前の人を、同年代の友達として見つめる。

 わたしは息を吸って、敬語を取り払った。


「ええ、次からよろしくね。上里」


 案外よどみなく、わたしの口からは滑り出た。

 もちろん会社では敬語で通すけど。


 上里さんは女言葉って今どき珍しいですね、と特に不快感を示さず返してくれた。


 今日の上里さん代は、いつかタメ口上里さんを見られると信じての投資。

 次はどこまで近づけるだろう。



 家に帰ると、わたしは途中だったスケッチブックを開いた。


 線を重ねて、形へと起こしていく。

 スマホに撮影した上里さんの姿を眺めながら。何度も何度も、納得いくまで消しゴムをかけて。


 もう、絵なんて描かないと思っていたのに。

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