利用してくれたっていいの

 突然のエンカウントに固まる私へと。

 女子のひとりが『コーヒー買う途中だったんだろ? 先買ってきなよ』と手で指し示した。


 知り合いがあらわれた。上里はにげられない。

 脳内にドット絵のコマンド画面が浮かんでくる。


 とりあえずコーヒーだ。うちはドリッパーセットしかないので粉を。

 味は……基本のコロンビアでいいか。迷ったら無難なやつを。

 店員さんに言って、おしゃれな紙袋に包んでもらう。


 席にはもう、雑談する前提で私専用の椅子があった。おごりだからってコーヒーも運ばれてくる。


 彼女たちが知っているのは、目立ちたくて調子乗っててクラスの中心にいた上里さんだから。その頃の私であれば、何時間でも店に居座ってたであろう。


 しっかし、変わったよねみんな。

 声でかろうじてわかるが、見てくれじゃどちら様だわ。成人式から5年も経ってんだからそりゃ変わるけど。


「上里はぜんぜん変わってないね」

「そっすかね」

「あんた大人顔だったし、年齢が追いついたからじゃないの?」

 もとから老けてたってことか。事実だけど。中身もすっかりしょぼくれたけどさ。


 それからしばらく、近況報告という名の女子会が始まった。


 当店自慢らしいパンケーキをかじりながら、日々の苦労を語り合う女子連中に耳を傾けているうちに。

 私はこの場から逃げ出したくなった。


 かたや、ヒラから役職についたばかりのバリキャリ。

 かたや、起業してそこそこの業績を上げている。

 かたや、誰もが無謀だと言った役者で少しずつ名が売れ始めている。


 私なんぞ比べるまでもない。足元にも及ばないどころか、蹴り払えば簡単に地面を転がっていくぺらっぺらな人生だ。


 同じ学校に入って、同じ教室から始まったのに。かつては友達と呼んだ、遠い世界に行ってしまった元同級生たちを遠い目で眺める。


「神川は結婚したんだっけ?」

「うん、ちょっと前にね。もうお腹にもいるよ」

「はえー」


 この面子の中では唯一の年下。部活の後輩である彼女は、けっこう遊んでる子で素行を度々注意されていた。


 でも今は目が覚めたらしく、私らよりも早く結婚して子宝にも恵まれている。

 頑張っておむつ代稼ぐんだって、近所の八百屋で臨月ギリギリまでパートする予定みたい。母は強しだね。


「で、上里はどうなん」

 当然最後には。それまで聞き役だった私へと、リア充たちの視線がぐるりと突き刺さる。


 あんた確かプロゲーマー志望だったよな、と当時の黒歴史を暴露する女子へ私はわりと本気でどついた。やめてくれ。


「…………」

 勧められたコーヒーをちびちび飲んでいたせいだろうか。

 喉が狭まる感覚に陥り、徐々に異物感を覚え始めた。長い付き合いとなってしまったアイツの仕業である。


「ただの会社員だよ」

 見えない位置で脇腹をつねって、私は短く答えた。


「何の仕事?」

「事務員」

 パート、という言葉はとっさに飲み込んでしまった。


 まさか私が、持病持ちでずっと非正規で実家暮らしで年下の美人上司に貢いでもらってるなんてこと、だーれも知らないだろうな。


「ぜんぜんコーヒー減ってないじゃん。口に合わなかった?」

「ああ、ごめんごめん。いただくね」

 飲食物の侵入を拒もうとする喉をこじ開けるように、無理やり胃へと流し込んだ。


 学生時代みたいになんにも考えずばかすか飲み食いできたことが、今となっては失ってしまったひとときに感じる。


 みんなマウント取ろうとしているわけではなくて、懐かしい人との再会に楽しくおしゃべりしたかっただけだろうに。

 どうしてそんな、当たり前のことができないんだ。



「そいや上里先輩、まだ女の人と付き合ってるんですか?」

 話題を変えようとしたのか、後輩が踏み込んだ質問をしてきた。

 タイムリーすぎね? コーヒーがむせてげほげほと咳き込む。


「あー、女食いまくってたよねあんた」

 噂に尾ひれいっぱいじゃん。一人としかしてないぞ。


 私はちやほやされたくて女ウケしそうなキャラで通してたから、そりゃプレイガールのイメージ植え付けられてもおかしくないか……


「余計なお世話かもしれませんが、セクははっきりしておいたほうがいいと思いますよ。相手は真剣なんですから」

 まるで経験談のように一度にまくし立てると、後輩はコーヒーを追加注文した。


 後輩の言ったセクとは、セクシュアリティのこと。

 男が好きなのか、女が好きなのか、両方が好きなのか、恋愛感情も性的欲求も抱けないのかどっちかはあるのか……はっきり自覚しておくべきだということ。


 この後輩も遊びまくっていたぶん、いい大人なのだからそろそろ身を固めないとと結婚に踏み切ったのだろうか。


 それに比べて私は。

 遠回しに己の不純さを指さされているようで、焦りから動悸がまた速くなってきたのを感じた。


 居心地が悪い。とても悪い。まっとうな道を歩んでいる彼らのまぶしさが、今の私にはとても息苦しい。


 隠し続けることに限界を感じたので、そろそろ失礼するねと残して逃げるように私は店を出た。


『久々に会いましたけど、やっぱ先輩ってかっこいいですね』と無垢な目で見つめられたことがトドメを刺した。

 私はあの頃以上にかっこ悪く落ちぶれているのに。



 帰り道。

 店で我慢し続けたぶん、発作はピークを迎えていた。自転車を漕ぐこともままならず、私は降りて押しながら歩いていた。


「あら、忍ちゃんじゃない。おかえり」

 自宅のある住宅街に入ったタイミングで、庭の花壇に水を上げている最中だった近所の女性と鉢合わせた。

 乗らずに自転車を押している私へと、不穏な目を向ける。


「どうしたの? 具合悪いとか?」

「ええ、まあ……そんなところです」

「車には乗らないの? あそこ、不審者情報ものすごいんだから。自転車を押している若い女性なんて格好の的だよ」

「すみません……」

「っていうか車あったでしょ? お母さんの。せっかくあるのに使わないの?」

「いえ、維持費の関係で手放してしまいまして」

「えー、もったいない。免許持ってるんだから乗ればいいじゃない。ずっと自転車じゃいろいろ不便でしょ。この辺りはお店もないし」

「はい、仰る通りです……」


 心配してくれていることは分かっているため、私には何も言う権利はない。

 小さいときから私を知っているから、顔を合わせたときには未だに幼子のような扱いを受ける。

 それからしばらく、私はお説教を受け続けた。



 ……疲れた。

 洗濯物を取り込んですぐ、私はベッドへと寝っ転がった。


 何に疲れてるんだろう。仕事? 持病? 周りから説かれる正しさ?

 でも、最後は言われているうちが華だ。それだけ私の周りには、まだ心配してくれる人がいるってことだから。


 いちいち正論にメンタルを摩耗して発作を起こしているようじゃ、この世界ではやっていけないんだ。


 なのに、私の指は意思に反して。

 LINEから最近登録した、1人を呼び出す。


「すみません、突然。今電話大丈夫ですか?」

『ええ。どうしました』

「いえ、緊急の連絡ってわけではないのですが……コーヒーの好みの銘柄を聞くことを忘れてたなあって」

 こんな会話、わざわざ電話するほどじゃない。

 LINEで一言聞けば済む話だ。無意味な通話にもほどがある。


 なのに私は、声が聞きたいと思ってしまった。

 昔の私ではなく、今の私を肯定してくれる人の声を。


『そんなにこだわりがあるわけじゃないし、味の違いもわたしにはよく分からない。選んでくれたものならなんでも飲むけど』


 プライベートの言葉遣いに切り替えた本庄さんは、こうして電話口だともっと年上の人と話しているように錯覚する。


「すみません……買う前に聞くべきでしたよね」

『ううん、でも、ちょっと嬉しかった。今日ぜんぜん話してなかったから、上里の声が聞けて』


 ストレートな言葉が、今はじんと胸に沁みる。


 発作がまだ治まらない中掛けたはずなのに、いつの間にか落ち着きを取り戻している自分がいた。電話の相手がなにもかも知っている方だからだろうか。


「こちらこそ。あ、たぶん夕飯の準備中とかでしたよね。お時間取らせてすみませんでした」


 向こうには向こうの時間がある。都合に合わせて呼び出してはいけない。お互い、社会人なのだから。


『上里。もしかして今、つらい?』


 だけど本庄さんは、自分の時間よりも私の時間へと踏み込んで。


『そういうときは、遠慮なくわたしを利用していいのよ』


 弱っているときに受ける優しさは、甘い毒で。

 その言葉に、私はまんまと乗ってしまうのだ。

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