私は普通の恋人になれない
中の人
プロローグ
秘密の副業
少し前から、私は入ったばかりの会社の先輩と”副業”を始めた。
私、
職場、私の家。
仕事内容、おうちデート。
日給、自由。
勤務時間、自由。
休暇制度、週休5日。祝日は出たり出なかったり。
同性愛者の先輩はこれまで何人とも関係を結んできたみたいで、私もタイプだったんだとナンパを受けた。
私は一人ぼっちになってしまった直後で、寂しくなったから流れで利用した。
現金自体はくれるなら欲しい。
金積まれてもタイプじゃない人とはごめんだけど、本庄さんは美人だし、人当たりも良い。一緒の空間にいても悪い気はしない。
彼女は、そんな私の弱みに付け込んだ。
今はまだ、一緒の空間にいるだけ。
私がお金でほいほい釣られる都合のいい女なら。
本庄さんもまた、寂しい時だけ来てくれる都合のいい女なのだろう。
さて土曜日の午後を回った今、玄関のインターホンが鳴った。
今週もまた副業のお時間がやってまいりました。
「はい、いつもの先払い」
長財布から取り出された、折り目のない千円札を受け取る。
表面の偉人、変わって数年経つのにまだ見慣れないな。
下限が千円なのは、県の最低賃金に倣っている。
本庄さんは端数も加味すると労基だからと、プラス千円をつけてこようとしたけど。
先輩からむしり取ることはしたくないので、千円からのスタートになった。
変なところで細かい人だ。
毎回おうちデートなのは節約のため、というよりは。
持病の関係で誰かと外出できない私に合わせた結果、必然的に行動範囲が自宅内になったというだけ。
外食も観光も映画館もドライブもできないつまらん女と居て、よく飽きないなと思う。
「…………」
今日は借りてきたDVDを見ることにした。
1年前に公開していた、子供のときからやっているアニメ映画を。
もう50年くらい続いてるんだっけか。リメイク込みとはいえ、よくネタが尽きないよね。
「この悪役生っぽい声ね。ゲスト声優かしら」
私はスマホをタップして百科事典のサイトを開いた。背後の本庄さんへと、画面を見せる。
「お笑い芸人ですね。最近バラエティでの露出が増えた方で。他シリーズにも出てますよ」
「ああ、この人だったの。ハリウッドの吹き替えは聴くに耐えないレベルだったけど上達したのね」
話題性なんだろうけど無名の声優も使ってあげてほしいわねー、と本庄さんは私の胸下で背後から組んだ手を弄ぶ。
「……ところで、今更ですが」
「なあに?」
「重くないですか、その体勢」
私は本庄さんの膝の上に抱えられていた。
お金をあげる代わりに、私を好きにする。契約内容のひとつだ。
まだ健全の範囲内だけど、他人とこんな風に密着するのは小学生依頼だ。
「こんなこと、他の人としたことある?」
「……もう子供ではありませんので」
「ふふ、いいわね。お金で言うことを効かせるって」
まったく足の痺れなんて感じていないように、本庄さんは私の背中へと顔をうずめた。
映画見づらいと思うんだけど、これくらいの要求ならと私も基準が甘くなりかけている。
「そろそろお暇するわ」
陽が傾いて、室内は暗くなり始めていた。もう5時か。
カーテンを閉めると同時に、本庄さんがカバンとコートを持って立つ。
いつも本庄さんはご飯の時間の前に帰宅する。そこまで気を遣わせないように。
昼食を済ませた頃に現れて、夕方には去っていく。子供が学校から帰るタイミングで退勤する、時短パートの主婦みたいだ。
「次はいつがいい?」
お決まりの台詞を、本庄さんは顔色一つ変えずに言った。
こういった選択は、基本私に委ねられている。
日程を自由に決められる反面、嫌になったらいつでも契約を終了できる立場にあるということ。
ずるい人だ。
私が独りになる寂しさを知っていて、簡単に断ち切れないことも分かって選ばせているのだから。
「……また、来週の土曜日に。時間も1時過ぎで」
「分かったわ」
本庄さんはやたっ、とわざとらしく可愛い調子でこぶしを握った。
「それと、今日はいくらだった?」
この台詞も契約のひとつ。下限千円から、私は支払いの金額を決められる。
上限はなし。ぼったくろうと思えば、いくらでも釣り上げられるということ。
「変動はありません。このままで」
そんな度胸はないが。
それも分かっていて、決めさせているのかもしれない。
でもそれはそれで、あなたとのデートは最低賃金レベルですよと価値をつけていることになるのか。価格設定って難しい。
「上里は謙虚ね」
「いえ、映画見ただけですし」
食事もしていない、体すらまだ売っていない。
客の立場ならお高く止まりすぎと激昂しているだろう。
こんなやばい契約を同じ会社の人間に平然と持ちかけるんだから、今までだって似たようなやりとりをしてきたはずだ。
きっと遊びのひとつなんだ、これも。
つまんないお茶に付き合って、つまみ食いしたらポイするんだ。そう自分に言い聞かせる。
そこまで予測できていてずるずる続けてしまう私もやばい奴だ。
私は無言で、空になった湯呑みと急須をお盆に乗せていく。
「じゃ、また。月曜日に」
「はい。それでは」
ドアが閉まる直前に、本庄さんはこちらへと振り向いた。
「また遊んでね。忍ちゃん」
まるで年の離れた親戚の子にでも挨拶するように、わずかな隙間から手が振られるのが見えた。
固まる。
ヒールの音が遠ざかっていって、玄関に静寂が訪れる。
……私、年上なんですけど。
ぬくもりが一人分減って、暖房は点いているのに室内が急に冷え切った気がする。
玄関に置いたままだった千円札を掴むと、私は茶箪笥の鍵付き引き出しへとしまった。
タンス預金か、これ。ピン札を折るのがもったいなくて、なんとなくこちらに保管してしまう。
途切れるまで、いくら貯まるんだろうな。
お金のやり取りがある以上は。何かしらサービス精神は出したほうがいいよな、とビジネスの視点で考えてしまう。
次は、もうちょっとおさわりの規制を緩めたほうがいいのかな。
ぽろっと湧いたやばい思考を、しかし振り払えず私は頭を悩ませていた。
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