【毬子視点】スランプ
運命的な出会いを果たし、惹かれ合って、やがて結ばれる。
そんな夢物語をつむぐのには、偶然の確率に賭けるだけでは無謀。
そう早い段階で気づけた者のみが、使えるものはなんでも使って理想の恋を勝ち取る。
いい男もいい女も、学生時代から行動しているのよ。
出会いがなければ探しに行くしかない。
同性愛者ならなおさら、選択肢は限られる。
なのにわたしは夢物語にこだわり続けた。
マッチングアプリもガールズバーも利用せず、ナンパ女として街中を散策していた。
今までヘテロだった娘がそう簡単にセクが変わるわけがないと分かっていても、わたしは彼女たちを振り向かせたかった。
たとえ終わりが見えていても。
お金、身体、心からの愛の言葉。
使えるものはなんでも使って、理想の恋を勝ち取りたかった。
そうして何度も出会いと別れを繰り返して。そして。
あの日からずっと、わたしの心は舞い上がりっぱなしだ。夢心地にたゆたう浮遊感が抜けてくれない。
しばらくは起床のたびに、これ夢じゃないわよねとほっぺをつねった。
最近は忍ちゃんに触れることも増えた。健全と不健全な意味の半々で。
わたしの幸せは紛れもなくリアルにあるよと、彼女の温かさによってつなぎ止めてほしかったのかもしれない。
「…………」
ネットサーフィンってどうしてこんなに時間が溶けるのかしら。
息抜きに人気動画を視聴していたつもりなのに、気づけば日付が変わる頃まで時計の針が回っていた。
ブラウザを閉じて、それから未だラフの段階で筆が止まっているキャンバスを前にため息を吐く。
今日もまた、下書きにすら入れなかった。
最後の更新から、いったい何日経っただろう。
フォロワーはたくさん増えたけど、所詮わたしは大勢のお気に入り絵描きのうちのひとりだということを忘れてはいけない。
進化が見られなければ簡単に見向きもされなくなる。
みな目が肥えている。プロと同じ基準で、アマチュアの絵を吟味する。常に向上心を怠ってはいけないのだ。
前回の1枚よりも、もっと鮮明に。もっとエモーショナルを刺激するように。
もっと、上手く。
そうして自分に課するハードルを上げていったせいなのか。最近は衝動のままに描くことができなくなっていた。
構図が似通ってないか、流行りの塗りから外れていないか。期待を裏切らない出来栄えか。そんなことばかり気にするようになって。
楽しんで描いていることには変わりないのだけど、納得いく一枚を仕上げるのに時間がかかるようになったのも事実だ。
明日のわたしが頑張ってくれることを期待して、わたしはキャンバスを閉じた。
「お休みになりますか?」
「そうね」
わたしが片づけに入ったタイミングで、忍ちゃんが消灯にまわろうと立ち上がる。
付き合ってからは当たり前のように、デートの日は彼女のおうちに寝泊まりするようになっていた。
歯磨きを終えて、お互い寝室へと向かう。忍ちゃんは自分の部屋へ、わたしはかつて彼女のご両親が使っていたらしい和室へ。
そこで、わたしは足を止めた。
不思議そうに振り返る忍ちゃんに、わたしは思い切ったお願い事をする。
「今日はそっちのベッドに行ってもいい?」
「ええ、構いませんよ」
「ありがとう。そういえば二人で寝たことってなかったなって」
「……ああ、そうでしたね」
ややあってうなずく忍ちゃんを不思議に思いつつ、わたしは枕だけ和室から持ってくる。
すぐ眠りにつけると思っていたのに、いざ布団に入ってからというものの。どんどんわたしの頭は冴える一方であった。
どうしよう。眠れなくなってしまった。
忍ちゃんがいつも使っている毛布。隣に感じる、忍ちゃんのぬくもり。
彼女の香りに包まれすぎて、息が苦しい。
生娘みたいに心臓をばっくんばっくんさせて、わたしは薄暗い天井をにらみ続ける。
「…………毬子さん?」
わたしがずっと目を開けていることに気づいたのだろう。
すでに寝入っていたはずの忍ちゃんが眠そうに目をこすって『眠れないのですか?』と聞いてくる。
「……ちょっとね。絵で悩んでいて」
最近ずっと上げられず、スランプの真っ只中にいるのだと。
絵についてなんか1ミリも考えていなかったくせに、わたしは嘘をついた。
「今日もずっと画面とにらめっこしていましたしね。お疲れ様です」
だから添い寝したいって申し出てきたのかと、忍ちゃんが納得いったようにうなずく。
行き詰まるたびに忍ちゃんを補充しているうちに、いつものことかと慣れてしまったみたい。
現場に馴染むのも早かったし、適応力が高いのかしら。
わたしはテーブルを挟んで正面にいた。なので忍ちゃんからは画面が見えなかっただけで、今日もわたしは描いていない。
わたしの絵を待ってくれている、ひとりのファンに対して。なおも嘘を重ねて、絵描きを気取ろうとするなんて。
「だから……その。抱きしめてくれるかしら」
そしてわたしは恋人の権利を行使して、彼女を利用しようとしている。
どこまでも、ひとは堕ちようと思えば地底まで沈んでいける生き物なのだ。
「毬子さんから甘えてくるって珍しいですね」
ぎゅっと。長い腕がわたしの背中を捉えて、一段と忍ちゃんの香りが強くなった。
そんなことまで頼んでいないのに、頭頂部に添えられた手はどこまでも優しい。当分、今夜は寝られそうにない。
ぬくもりと香りに包まれて、ひとつになってしまいたい。
そんな思いから、忍ちゃんの柔らかい胸元へと頭をうずめる。とくとくと、加速しはじめたリズムを耳に感じる。
「はやいわ」
「甘える毬子さんが可愛いからですよ」
甘ったれになったわたしとは対象的に、忍ちゃんは年上らしく母性がにじんでくるようになった。
責められているときの忍ちゃんは普段のギャップもあってすごく可愛いのだけど、こうやって受け止めてくれると、どこまでも甘えたくなってしまう。
いつぞやの”息抜き”から、わたしは初夜への開発も兼ねて忍ちゃんと恋人らしくスキンシップを重ねるようになった。
もちろんもっと忍ちゃんに触れたいって下心のほうが強いけど、残りのもう一つは、醜い対抗心だ。
『××さんの激エモ絵を見れて幸せです これからも応援しております』
『朝から良いものを見させていただきました これで一日がんばれます』
わたし以外の描き手に向けた、忍ちゃんのコメント。
思い出したくないのに脳裏によぎって、そのたびに胸がしめつけられる。
描かないくせに人のコメントを覗く余裕はあるのかと、責め立てる言葉がじりじりと焦りを募らせていく。
それでもだましだまし。モチベ回復のために忍ちゃんを求めて、ひとときの優越感を糧にわたしはがんばれた。
なのに今は。
こんなに幸せなひとりじめを謳歌しているのに、一筆も入れられなくなってしまった。
彼女のフォロワーさんが目に見えて上達してきたあたりから、自身のクオリティに疑問を感じるようになった。
評価やフォロワー数は、あの子たちよりわたしのほうがはるかに上なのに。
つくるひとのほとんどは、感想に飢えている。見て見てって、子犬のようにしっぽを振って待っている。
ひとりでも目に止めてくれたお客様のために、もっと頑張ろうと努力する。
忍ちゃんのために頑張っている人も、きっといるだろう。
わたしは何と戦っているんだろう。
ずるずると。スランプを言い訳に、描くのを先送りにして。
彼女という立場に甘えて、画力以外のところで張り合って。
誰と交流しようが忍ちゃんの自由で楽しみ方のひとつなのに、いちいち心を痛めている自分の嫉妬深さに吐き気がする。
完璧を目指そうとすればするほど、完成は遠のく。
かつてわたしが放った言葉はブーメランとなって、今のわたしにぶっ刺さっていた。
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