第33話 毒に冒されて(後編)

 何となく目が開いた。

 緑の梢の向こうに、赤く染まった空が見える。


……俺は……


 ボンヤリする頭で周囲を見渡した。

 ここは森の中で、少しだけ開けた草地だった。


……どうしてこんな所にいるんだ……


 俺はハッキリしない記憶を手繰り始めた、


……俺はリックの奴らと勝負をしていて、途中でオークに襲われて毒を受けて……


 そこで記憶が繋がった。

 アーレンの街を出た俺は途中で意識を失ったのだ。


「気がつきましたか?」


 上体を起した俺に、そう横手から声をかけてきた人がいる。

 振り向くとそこには皮製の水筒を持った銀髪の美しい少女がいた。


「君は?」


「通りすがりの者です。と言ってもお会いするのは二度目になりますが」


 少女は優しく笑うと俺のそばに膝をつき、水筒を差し出した。


「二度目?」


 俺は水筒を受け取りながら聞いた。

 この少女に見覚えはない。

 これだけの美少女だったら、まず忘れる事はないと思うのだが。

 彼女は流れるような銀髪にアクアブルーの瞳を持っていた。

 肌は透き通るように白く、それに似合った白い柔らかなドレスを身に纏っている。

 身体は細身ながら、胸は十分に大きい。

 スタイルも完璧だ。


「ええ、先ほど州都アーレンの魔術師協会で、あなたとぶつかったんです。忘れてしまいましたか?」


 そう言えばそんな事もあった。

 あの時は意識が朦朧としていて、相手の顔なんて見ていなかったが。


「私もあの後、すぐにアーレンの街を出たんです。魔術師協会には預けてある物を取りに行っただけなので。乗り合い馬車に乗ってミッテンに向かう途中、あなたが倒れているのが見えました。それで私だけここで降ろしてもらったんです」


「わざわざ見知らぬ俺のために、ですか?」


 驚く俺に彼女は当たり前と言った様子で微笑む。


「当然ですわ。私は白魔道師。困っている人を放っておく訳には行きません」


「ありがとうございます」


 俺は丁寧に頭を下げた。

 もう夜になろうとしている。

 つまり乗り合いバスは、その時間が最後の便のはずだ。

 それを見ず知らずの俺のために、夜の野宿を覚悟で途中下車してくれたのだ。


「俺の名前は千条ハヤテと言います。最近、ミッテンの街で運び屋を始めました」


「私はリシア・ファルファーネと言います。さっきも言いましたが白魔道師です。修業中の身ですが」


 その時、俺は彼女の耳を見ていた。

 長い銀髪に隠れて目立たなかったが、普通の人より若干長くて尖っているような感じだ。

 俺の視線に気がついたのだろう。

 リシアは耳にかかる髪の毛を掻き揚げるようにした。


「気付きました?私はハーフ・エルフなんです」


 そして彼女の目はちょっと悲しそうに曇った。


「私が怖いですか?」


「怖い?どうして?」


「ハーフ・エルフは不吉な者とされています。災厄をもたらす存在だと」


 この世界に来て日が浅い俺には、そんな知識はなかった。

 ただエルフは人間より高等な種族のように思われている感じはした。

 長寿で全員が魔力を持ち、霊的に質が高いとされているようだ。

 食事もそんなに必要としないらしい。

 そのせいかエルフはあまり人間と交わらず、彼ら独自の国を築いている。

 人間は人間でエルフにコンプレックスを抱いているようだ。


「そんな。怖いなんて全くそんな事はないですよ!むしろあなたのような人と知り合いになれて嬉しいくらいです」


 思わず本音が出てしまった。

 だがそれを聞くとリシアは顔を赤らめた。


「そう言って貰えて嬉しいです。私は二重の意味で不吉な存在と言われてますから」


「二重の意味?」


 思わず聞き返したが、彼女は別の話題を持ち出した。


「そんな事より、お体の具合はどうですか?毒に冒されていたようなので解毒の術を施したのですが」


 そう言われて初めて、自分の身体の状態に気がついた。

 まだ頭も重く身体にダルさは残っているが、頭痛や筋肉痛そして吐き気は消えていた。


「大分いいです。リシアさんがこれを?」


「良かったです。毒の種類が解らないから、とりあえず想定される毒の解毒法を試してみたのですが効いたみたいですね」


「ところで今は何時ですか?俺はどのくらい気を失っていたのか?」


「今は午後六時前です。あなたが気を失っていたのは、おそらく一時間くらいかと」


「マズイ!」


 俺は慌てて立ち上がった。

 だが立ちくらみがして、思わず膝を着く。

 そんな俺にリシアは寄り添うように手をかけた。


「無理しないで下さい。解毒の術を施したとは言っても、毒の成分が解っていて治療した訳ではないんです。『これで命を落とす事はない』という程度です。本格的な治療をするまで、身体を休めていなければ」


 だが俺はその手を振り切るように立ち上がった。


「そうはいかないんです。俺は今、ある連中と競争をしていて、彼らより先にミッテンの街に戻らないとならない。もし負ければ俺達は信用を失い、それによって仕事も失ってしまうかもしれない」


 リシアはそれを聞くと、人差し指を顎に当てて首を傾げた。


「競争?もしかしてそれは騎馬と騎竜の二人組ですか?」


 俺は目を丸くした。


「ヤツラに会ったんですか?」


「会った、と言うより乗り合い馬車がアーレンを出る時に彼らが入れ替わりにやって来たんです。私が乗った馬車の御者と知り合いだったらしく『ブラウン・スライムは運んでおいたよ』みたいな話をしていて」


……ブラウン・スライム……


 俺はその単語を聞いて絶句した。

 もしや、ヤツラは故意にブラウン・スライムを街道にぶち撒けたとしたら?

 そしてそれは俺を迂回路に誘導し、オーク達に襲わせるためだとしたら?


 そこまで考えた時、既に薄暗くなった街道を一騎の騎馬が駆け抜けていくのが見えた。

 ヤツだ。リックのチームの騎馬だ。

 どうやら持久力のない騎竜は置いていき、体力を温存しておいた騎馬だけ先に行かせる作戦だろう。

 こうしてはいられない。

 今すぐに出発しなければ!


「色々とありがとう。俺は今すぐに出発します」


「え、でも……」


 そう言う彼女を無視し、俺は周囲を見渡した。

 少し離れた潅木の所にCBRが倒れている。

 急いでCBRの所に向かう。

 CBRはかなり悲惨な状態になっていた。

 カウルはバキバキに破損し、ウィンカーと一体になったバックミラーも折れている。

 クラッチ・レバーも反対側に曲がってしまっている。


……クソッ、エンジンは無事か?走りには影響しないだろうな?……


 キュルルッ


 セル・モーターが回転する音がする。だがエンジンがかからない。

 ここでエンジンが掛からなければ、俺の負けは確定だ。

 二度、三度とセル・モーターのスイッチを押す。

 五度目でやっとエンジンが息を吹き返した。

 ヨシ、これで後は走りに支障が無ければOKだ。


 俺はリシアの方を振り向いた。

 彼女は心配そうに俺を見ていた。

 リシアは俺のために、野宿を覚悟で最終の乗り合い馬車を降りてくれたのだ。

 このままここに一人で置いていく訳にはいかない。


「リシアさん、一緒に行きませんか?」


「えっ?」


「俺は今すぐにここを立たなければならない。でもリシアさんをここに残してはいけない。あなたもミッテンの街に行くつもりだったんですよね?」


「でも……」


 彼女は不安そうな顔をした。

 バイクが恐いのだろうか?


「大丈夫です。この乗り物はバイクと言って二人まで乗れます。お願いです。一緒に来てください」


 彼女は少し躊躇ったような表情をしたが、やがて「わかりました」と答えた。

 俺はリシアをタンデム・シートに載せると「しっかり俺に捕まっていて」と言って、CBRを発進させた。


 既に暗くなった街道をバイクでかっ飛ばす。

 少し前輪ブレーキが掛かったような状態なのが気になるが、それでも時速百キロは越えている。

 ヘッドライトが無事なのが不幸中の幸いだ。

 体験した事のないスピードのせいか、リシアは俺にしがみついていた。

 こんな状況にも関わらず、薄い布越しに感じる彼女の豊かな胸の感触に、ちょっと役得感を覚えてしまった。


 やがてヘッドライトの光の中に、リックの騎馬が映った。

 ヤツが驚いて俺を振り返る。

 そして俺が追い上げてきているのを知ると、ヤツは馬に鞭を入れてさらにスピードを上げようとした。

 しかしいくらこの世界の馬が優れていようと、マシンとでは比較にならない。

 それに馬はここまでもかなり無理して走って来ているらしい。

 既に相当に疲労が貯まっているのは確実だ。

 もはやヤツの今もトップスピードは出せない。

 俺は無言でヤツの騎馬をブチ抜いた。

 ヤツの悔しそうな表情を横目で見る。

 ツバでも吐きかけてやりたいが、俺はそのままスピードを緩める事なく、夜の街道を疾走した。


 ミッテンの街が見えてきた。

 俺は魔法通信を使ってレミに呼びかけた。


「俺だ。もうすぐミッテンに入る。ゴールの中央広場で待っていてくれ!」


「ハヤテ?無事なのけ?毒の方は大丈夫け?」


「そっちは取り合えず大丈夫だ。それより城壁の門番に連絡しておいてくれ。すぐに街に入れると助かる」


「わかった!広場で待ってるやん!」


 それで通信は終わった。

 城壁の門に着いた時には、レミが連絡しておいてくれたお陰で、すんなりと街に入る事が出来た。

 そのまま街のメインストリートを突っ走る。

 周囲には既に俺が到着する知らせが入っていたのか、見物人が詰め掛けていた。


 中央広場に入る。

 そこも集まった人で埋め尽くされていた。

 ゴールにはレミ、ミッシェル、ハルステッド商会のミネルバさん。

 そしてリックや他の輸送業者ギルドの二人がいた。

 俺が噴水前にバイクを止めると、大歓声が沸いた。

 レミ、ミッシェル、ミネルバさんまでが俺の所に駆け寄った。


「毒の方は平気け?ハヤテ」


「レミから聞いたぞ、本当に大丈夫なのか?ハヤテ」


「ハヤテさん、よくぞ無事にここまで」


 俺は彼女達に笑顔で答えた。


「俺は大丈夫です。それよりマルクスラバッハ辺境伯のサイン入り証書を持ってきました。確認して下さい」


 そう言ってジャンパーの内ポケットから封書をミネルバさんに差し出す。

 彼女は俺から受け取った封書を、すぐ横にいた太った立派な紳士に見せた。


「市長、マルクスラバッハ辺境伯の封書です。未開封な事を確認してください」


「大丈夫だ。開いてくれ」


 この太った紳士は市長だったのか。

 彼の答えを聞いて、ミネルバさんが封書を開いた。

 無言で証書を見つめると、彼女は顔を上げた。


「間違いありません。マルクスラバッハ辺境伯の証書です」


 そういう彼女の声も喜びに弾んでいた。

 周囲が一斉に歓声を上げる。

 ミネルバさんがリックの方を振り向いた。


「リックさん、これでハヤテさんの話が嘘ではない事が証明されましたね。これからも緊急の親書の輸送は、ハヤテさんにお願いしたいと思います」


 リックは顔を歪めたが何も言わなかった。

 そのまま背を向けると、広場を立ち去っていく。

 他の輸送業者ギルドの二人も、同様に不機嫌そうな表情でリックの後に続いた。


……勝ったんだ……


 俺は勝利感より、むしろ疲労感の方が強かった。

 そんな俺に、ミッシェルが厳しい表情でこう言った。


「ところでハヤテ、オマエが後ろに乗せている女性は誰だ?」


 レミも急に険しい目付きになる。


「そうだっち。その女は誰やん?どうして一緒にいるんだやん?」


 俺は急に向けられた矛先に慌てた。


「いや、彼女は俺を助けてくれた人なんだ。名前はリシアさん」


「いったい、どこで知り合ったんだ?」


「アーレンからミッテンに向かう途中で、俺は気を失ってしまったんだ。そこを彼女が乗った乗り合い馬車が通りかかった。道で倒れている俺に気がついたリシアさんは、最終の乗り合いバスだって言うのに途中下車して俺に解毒を施してくれた。彼女がいなければ、俺はまだ途中の森で倒れていたよ。夜だからモンスターに喰われていたかもしれない」


「それで彼女を一緒に乗せて来たって訳け?」


「そうだ。命の恩人を夜の森に一人で放っておけないだろ。彼女もミッテンに来るつもりだったし」


「「ふ~ん」」


 ミッシェルとレミは怪しむような目をした。

 一方、リシアはキョトンとしている。

 そんな俺達にミネルバさんが近寄って来た。


「さあさあ、今はそんな事より、ハヤテさんの休養が必要でしょ。解毒の処置を受けたとは言っても毒の正体が解ってない以上、まだ完全ではないはず。早く家に帰って休まないと」


 彼女の言う通りだった。

 俺は安堵したせいか、そのまま暗闇に吸い込まれるように、再び意識を失っていった。



この続きは明日7:20頃公開予定です。

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