第30話 州都アーレン(後編)

 サン・ビフィエルまで残り三分の一、約50キロぐらいの所まで来た。

 ここまではとても順調だ。

 ミッシェルもレミもだいぶ心配していたが、この調子なら楽勝だろう。

 夜の走行は基本的に避ける事にしているが、明日の昼過ぎにはミッテンに戻れそうだ。

 その時リックのチームは、やっとサン・ビフィエルを出るくらいか?


 俺はだいぶ余裕があったので休憩を取る事にした。

 軽食を取って、消費したガソリンを補給しよう。

 道端の木陰にバイクを止める。

 キャリング・ケースを開けてカナンが用意してくれた携帯食を取り出す。

 干し肉が入ったビスケットだが、割りと美味い。

 カナンが来てくれて助かった。

 料理や掃除などは学問魔術師だったレミは全然出来ないし、貴族で元騎士だったミッシェルはなおさらだ。

 その点、彼女は家事全般が得意だ。

 他にもドライ・フルーツが入っていたので美味しく頂いた。


 さて、ガソリンを給油しようかな。

 そう思ってキャリング・ケースからドラゴンの油袋を取り出す。

 これはとても頑丈で中身がこぼれないし、揮発もしないので重宝している。


 袋の口に取り付けたネジ製のキャップを外す。

 そこで違和感に気がついた。

 ガソリン特有の臭いがしない。

 俺は袋の口に鼻を近づいた。

 やはり何の臭いもしない。

 袋の首を押さえて中の弁を開き、少しだけ中身を出してみる。

 こぼれる液体を左手で掬った。

 透明な液体は全くの無臭だ。

 俺は舌先を付けてみた。


 これは……水だ。


 油袋の中に入っていたのは、ただの水だったのだ。

 俺は顔色が変わるのを感じた。

 まさか、どういうことだ、これは一体……

 カナンが間違えたのか?

 いや、ドラゴンの油袋はガソリンの容器以外には使用していない。

 飲み水を入れる水筒は、この世界では緑羊の胃袋などを使用している。


 考えられる事は……カナンが油袋の中身を水にすり変えたのだ。

 だがどうして?なぜカナンが?


 色々な考えが頭の中を駆け巡る。

 俺は頭を振って、それらを追い払った。

 今はともかく、ガソリンを手に入れる事が先決だ。

 このままで勝負に負けるどころか、ミッテンに戻ることすら出来ない。

 ここまでの走行距離が約200キロ。

 CBRのタンク容量は16リットルで燃費は約17キロだから、あと走れるのは70キロ程度だ。

 ミッテンまで戻る事は出来ない。


……一体、どうすれば……


 その時、目の前にそびえる山影が目に入った。

 ザルム山地だ。

 ここは『ドラゴンの住処』だと言っていた。

 ここならドラゴンの死骸が、つまりガソリンが手に入るかもしれない。

 もはや迷っている余裕はない。

 バイクが走れる内に、そして明るい内にドラゴンの死骸を見つけないと。

 俺は街道を戻り、ザルム山地に向かう道を探した。



 俺はザルム山地の奥深くに入っていた。

 既に時刻は夕方。

 陽ももうすぐ沈もうとしている。

 ドラゴンの死骸は簡単には見つからなかった。

 やっと見つけた一体は、死後だいぶ時間が経っているらしく、肝心のガソリンが残っていなかった。

 街にいる時は『街に侵入しようとしたドラゴンを騎士団が仕留めている』から、新鮮でガソリンたっぷりのドラゴンの死体が手に入ったのだ。


 そして俺は、山に入って50キロ以上は走り回っている。

 燃料警告ランプも点きっぱなしだ。

 もうすぐガス欠になるだろう。


 俺は途方に暮れていた。

 どうすべきか?

 勝負は諦めて街道に戻るべきか?

 夜になるとドラゴンの活動も活発になる。

 こんな山の中で動かないバイクのそばにいる俺は格好のエサだ。


……仕方ない、街道まで戻ろう。そこで乗り合い馬車が通るのを待つしかない……


 今夜は野宿する事になりそうだ。

 ともかくドラゴンのエリアを離れないと。


「兄ちゃん、こんな所で何をやってるんだ?」


 突然かけられた声に驚いて振り返る。

 周囲には誰も人はいないと思っていた。

 そこには小柄だが頑丈そうな身体、そして頭髪から繋がる長い髭。

 この世界に来て始めて見るがドワーフだった。

 頭髪も髭も真白なところを見ると、おそらく老人なのだろう。


「俺はドラゴンの死骸を探していたんだ」


 するとドワーフの目が鋭く光った。


「人間がドラゴンの死骸なんかに、何の用なんだ?」


「火を吹くドラゴンは喉から胸にかけて油を蓄えているんだ。俺の世界ではそれをガソリンと呼んでいる。そして俺の乗り物、バイクって言うんだが燃料はガソリンなんだ」


「兄ちゃんの乗り物って言うのは、その派手な色の荷車か?」


「そうだ」


 ドワーフはノシノシと近づいてくると、興味深そうにバイクを眺めた。


「これは……ワシらドワーフでも、こんな金属は作れん。それにこれほど精巧な加工を、一体どうやって……」


 しばらくバイクをアチコチから眺めていたドワーフは、不意に立ち上がると俺を手招きした。


「ついて来い」


 そう言って、先に立って歩き出す。


「どこに行くんだ?」


「ワシの家だ。それともオマエさん、こんな所で一夜を明かすつもりか?確実にドラゴンに食われるぞ。黙ってワシについて来い」


 仕方ない。

 俺は言われるがままにCBRを押して、白髪のドワーフの後をついて行った。


 百メートルほど離れた場所で、小高い丘に埋もれるようにドワーフの家があった。

 半地下とでも言うべきか?

 正面は丸太の壁で出来ていて、両側面から屋根にかけては丘の一部のようになっている。


「さあ、中に入れ」


 ドワーフは頑丈そうな扉をあけて、俺を室内に招き入れた。

 家の中は思ったより広い。

 そして入り口の反対側は工房になっていた。

 ドワーフが俺にお茶らしき飲み物を出してくれた。


「ワシの名前はズール。見ての通りドワーフだ。ここに一人で住んでいる」


「俺はハヤテ。ミッテンの街で運び屋をやっている。と言ってもやり始めたばかりで、運び手は俺一人だけどな」


「人間にしては珍しいな。ドラゴンの油に目をつけるとは」


「たまたまさ。俺の世界にはよく似た油があって、乗り物はほとんどがその油で動いている」


「兄ちゃん、この世界の人間じゃないな?」


 俺はドワーフを見つめた。

 この世界に来て、こんな事を言われたのは初めてだ。


「この世界の人間なら、ドラゴンを恐れ、嫌いはしても、利用しようなんて考えない。そんな考えを持つのは別の世界から来た人間だけだ」


「俺以外に別の世界から来たヤツを知っているのか?」


 だがズールは首を左右に振った。


「ワシは知らん。だが長老がそういう話をしていた。長老自身も聞いた話らしい。大昔、この世界とは異なる世界の人間がやって来て、我々ドワーフでさえ知らない工具を発明していったとな」


「そうなのか」


 俺は少し落胆した。

 俺以外にも現世の人間がこの世界にいるかと期待したんだが。


「ドラゴンの油は扱いにくいからな。燃える時は勢いよく燃えすぎるし、ヘタに火をつけると爆発さえしかねない。そしてすぐに揮発して無くなっちまう。普通の樽なんかじゃ、まず保存できない」


「俺もそれで苦労している。今のところはドラゴンの油袋のまま、保存しておくしかない」


「ところで兄ちゃんは、なぜミッテンからここまで来たんじゃ?」


 俺は街の既存の運送屋と競争している事を話した。


「なるほど、それでいつの間にか油袋の中身をすり替えられていた、と言う訳じゃな」


 俺は答えなかった。

 普通に考えればその通りだろう。

 ガソリンを水にすり替えたのはカナンだ。


 だが俺はそれを認めたくなかった。

 彼女がそんな事をしたとは考えたくない。

 するとズールは工房に向かった。

 戻ってきた時には両手にドラゴンの油袋を抱えている。


「コイツをやる。ワシはドラゴンの油はそんなに使わないでな。余り過ぎて困っていたくらいだ」


 差し出された油袋を、俺は信じられない思いで見ていた。

 両方で20リットルはあるだろう。


「ありがとう。本当に助かったよ」


「礼は要らん。ワシも兄ちゃんの珍しい乗り物を見せてもらったしな」


 そして壁際のソファを指差した。


「今夜はここに泊まるといい。明日の朝から出発しても兄ちゃんの乗り物なら追いつくじゃろう」




この続きは明日10時頃に投稿予定です。

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