第四章 《我、覇王であるがゆえに》-5
鋭い触手が血肉を貫き、ミクトルの顔を赤色に染める。
彼を命がけで助ける者は、この時代ただ一人――テーレだ。
「テーレッ!!」
彼女はいつの間にか〈アスラトル〉の結界から飛び出し、ミクトルに向けて飛び掛かってきていた。
狙いを外した触腕は、彼女の胸を貫き空中に持ち上げる。直後、刃の閉じた触腕は、血を流すその身から引き抜けて、テーレを地面に放り捨てた。
そこで、引き伸ばされていた時間感覚が一気に動き出す。
『これは、想定外だな。一万年経って、古代人が現れるのは想定外であり、それを現代人が命がけで守ろうとするのもまた、想定外だ』
光学迷彩が完全に解除され、巨大な人型の姿が見えた。
そこには、数本の触腕を灰色のマント状の装甲から覗かせるゼミウルギアがいた。機体各所から漏れ出る法力の粒子と発せられた言葉も併せて、ミクトルは理解した。
「オレと同じ、神話の存在か……!!」
『かもしれない。だが、こっちに構っていていいのかい。そのお嬢さんの命は……もう治療法術が起動しているか。さすが覇王様だ』
テーレの体が古代式ゼミウルギアの触腕に貫かれた瞬間、ミクトルは発動しようとした防御法術を変更。彼女の体が空中に浮かんだ瞬間から法術行使を開始。敵から目を離さずに、テーレの傷口をミクトルの盾が塞いでいた。
『覇循軍の覇王はモノづくりが苦手だと聞いてたけど、その盾といい治療技術といい、眉唾物だったかな。まぁ、どっちでもいいけどよ』
飄々とした物言いにミクトルの怒りが沸き起こる。
無理やり自分を落ち着けるように大きく息を吐くと、サティのゼミウルギアから降りる。そして裏拳を繰り出すと、黒い巨体は白い巨体へ向けて吹き飛んでいく。
すでにクナンもサティも機体から脱出していたため無事だったが、彼女らのゼミウルギアはもう使い物にならないだろう。
一瞬でジャンクへと変わった部品の塊は、遠くで止まる。
人の十倍はあるゼミウルギアを殴って吹き飛ばすミクトルの姿に、灰色の機体からはピュー、と口笛を吹く音がする。
「お前は、自分が何をしたのか分かっているんだろうな」
『わかっているかって、当たり前じゃないか。ミクトル=シバルバさんよ?』
「――アスラトル!!」
直後、怒号とともに結界の中にいた〈アスラトル〉が起動。
全身の結晶体から光を放ちながら、覇王のゼミウルギアは飛び上がる。右腕のブレードを展開し、灰色マントの敵性ゼミウルギアへと突撃する。
現代式ゼミウルギアを容易く切り捨てた〈アスラトル〉のブレードが、マントの下から生える触腕に受け止められる。
稼働領域の多さに対し、全体の強度も衝撃吸収性も高い。
生半可な技術で造られたものではない。
加えてパイロットは、言動からミクトルが一万年前活動していた時期のことを噂や伝承ではなく、明確な記録として知っている素振りまである。
だが、その機体はミクトルにも全く見たことがないタイプだった。先ほどから触腕でしか対応してこないが、少なくとも戦場で出会ったことはない。
「その機体、神選軍でも、覇循軍でもない。どこの所属機だ。顔を見せろ!」
『答えるわけがねえだろうが。一生悩んでろ!』
追撃の拳を全速後退で回避したゼミウルギアは、その触腕で倒れているテーレを狙う。
とっさにミクトル自身が全力で防御に回るが、これはブラフ。触腕は容易く弾かれ、その場に落ちる。
その間に近くの瓦礫に隠れていたクナンとサティを摘まみ上げる。
『これで大体の目的は果たしたからな。また今度、遊んでやる』
しかし、掴まれた方も状況に混乱する。
「な、何すんだテメエ! 話が違うかったじゃねぇか!」
「こ、これ以上の損失はさすがに困るんですけどぉ……」
『その分はこっちで補填するから気にすんな。今は逃げるぞ。目的は少なからず果たしたっていっただろう』
とっさにミクトルは〈アスラトル〉に乗り込み自動操縦から切り替える。
「目的と言ったな。テーレが狙いか!?」
……逃がすと思うか。
問いかけとともに機体に法力を充填させるが、敵性ゼミウルギアは装甲を前後に展開。大量のスモークを発生させたかと思うと、空中に浮きあがり飛んでいく。
「飛行システム!? お前は一体、なんなのだ……」
『お前は知っているかもしれないし、知らないかもしれない。よく思い出してみな』
煙に巻くような言葉を吐くと、その法力反応がスモークの中に紛れるキラキラした粒子によって乱れる。
魔怪晶を粉末状にしたもので、視界と法力感知、両方が遮られた。
『失意の中で待っているといい。お嬢さんの状態は延命が関の山。だから――』
飛行できるゼミウルギア、少なくも、今の〈アスラトル〉よりも数世代先の機体だ。
『今度会うときに、お前も殺してやるよ』
明確にミクトルへの敵意を露わにする。
それは、明確な勝算がある故なのだろう。
『覇王と戦うなら、最低でも世代が上の機体を用意しないと勝てないからな。ちょっと時間をおかせてもらう』
まるで、〈アスラトル〉より世代が上の古代式ゼミウルギアが手元にあるといわんばかりに、聞こえるように告げて飛び去る。
飛行できるゼミウルギア、少なくも、あれも〈アスラトル〉よりも数世代先の機体だ。
遠くに飛び去る姿が見えるが、ミクトルはそれを追いかけることはしない。すぐに〈アスラトル〉をテーレのもとに移動させる。
彼女を抱え上げると、その血で黒い装甲が赤く染まる。
「やはり、血が止まらない……」
襲撃者は勘違いしていた。ミクトルは、治療法術どころか延命措置など発動していない。彼が行ったのは体表を覆い、貫かれた太い血管を鋼の管で補強しただけだ。
細かい部分は何もつながっておらず、正直役立っているのは彼女の傷を抑え止血しようとする二枚の盾だけだ。
「オレの力では、止血くらいしかできぬか……!」
悔しそうに、彼は奥歯を食いしばる。敵性ゼミウルギアから聞こえてきた声の通りだ。
ミクトルにとって法力を用いた武装の精製は、得意分野といっていい。
だが、治療法術は彼のもっとも苦手とする分野だった。
守ることはできても、直すことはできない。それなのに、今の彼は――。
「テーレ……」
力なく、その名を呼んだ。守れなかったものを、失いたくない、と。
「ミクトル、ごめん……」
小さく、彼女の声が響く。
「テーレ! 無理をするな。喋れば余計に――」
「一緒に、いけないかも……」
その体には、わずかな猶予しか残されていなかった。こうしている間にも、彼女の命は消えていく。ともに世界を巡るという計画は、全て消えていく。
覇王と臣下の約束は、始まる前から破られるのか。
……まさか、法力も持たない人間に、庇われるなんてな。
神話の時代だったら、考えられないことだった。
法術師は、その力をより多くの者たちのために使うことを求められ続けてきた。
戦場においては最前線か、治療を任せられた。
日常においては人の力が及ばない難行に駆り出される。ミクトルと同じ、後に偽神と呼ばれるようになる一族は、その中でも特に法力量の豊富な一族だった。
彼の一族を慕う者たちは時間とともに増加し、いつしか大きな共同体を作り出した。
人間はもちろん、偽神によく似た外見に対し血は赤い種族である亜人。
人間より極端に小さい、もしくは大きい小人や巨人たち。
種族を問わない仲間が増えていった。
その中で、強力な法術を操れる偽神の一族は大きな力を与えられていた。当時はまだ希少だったゼミウルギアを扱い、平和を守っていた。
何が原因でそれが崩れたのかは、一万年前の戦争で戦っていた者でも、知るものはいない。当事者たちでさえきっかけを思い出せない。
余りにもくだらないことだから先祖も伝えることをやめてしまったのか、とっくに解決した問題であるはずなのに争いだけが残ったのか。
ともかく、人間は新たな神を見出した。
同じ外見。同じ赤い血。けれど力だけは何よりも強かった。
だから、それまで崇めていた一族を偽神として追放した。
当時の支配者であった人間たちを主軸とした神選軍。
偽神の一族を盟主とした他種族の連合である反乱軍――後の覇循軍。
彼らの反逆は、短くも苛烈に継続した。
星の上で生きる命を九割も失ってなお終わることのなかったと言われる戦い。
その中で、法術師は最前線で戦い続けた。
多くの者が、王を守って散っていた。
だが、戦士でも法術師でもない者が、王を守る盾になることはあり得なかった。
……オレの慢心が生んだ結果か。
最初からゼミウルギアに乗っていれば、このような事態にはならなかった。
無理に情報を聞き出そうとせず、速攻で倒してしまえばよかった。
思考の中で繰り返される自嘲と叱責。その果てに、彼は呟いた。
「こんな愚か者のために死んでは、誰も浮かばれん」
ほんのわずかな時間の後悔。その間に、するべきことの思考は済ませる。
〈アスラトル〉の手から受け取ったテーレを、前部コクピットに座らせる。
もう数秒後には、彼女命は消え去るだろう。
「アスラトル、生体認証登録を変更する。オレの登録は残し、第二登録者を変更せよ。肉体再生措置の実行と並行し、パイロットの生命維持を最優先で実行しろ!」
ゼミウルギアの周囲に法術円陣が展開され、機体全体が黄金色の光に包まれる。
「絶望するならすればいい。お前とともにいるのは、それを許さぬ者だ……」
驚くほどに、力強く、彼は言い切った。
諦めるのには、とうの昔に飽きていたのだ。
その時――〈アスラトル〉が獣のような雄叫びを上げた。
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