第一章 《初めまして新世界》-1



 深い、日の光の差し込みづらい、波打つように続く峡谷。

 何千年以上もかけて自然が作り出した通路があった。

 そこを四輪車バギーが砂埃を巻き上げて走る。武骨な車体とは裏腹に、そのハンドルを握るのは淡い象牙色アイボリーホワイトの服に身を包んだ小柄な人物だった。


 一旦停車し、腰にぶら下げているものを手に取る。

 平たい結晶体を複雑な装飾で囲んだような板だ。

 その表面に触れると、結晶に映像――この峡谷の地図が表示される。

 地図の端で点滅する光は、彼女の視線が伸びる先に何かがあると示していた。


「反応が強くなってる。やっぱり遺跡は上じゃない、下にあるんだ」


 誰もいない谷間。呟いた言葉は壁に反響しながら消えていく。

 顔に巻き付けた長く白い布を取り去ったとき、そこにあったのはまだ幼さの残る少女の顔であった。


 彼女は、発掘師テーレ=パリカー。


 十五歳ながら、その界隈では有名な少女だ。

 風になびく紫紺の髪を揺らす蒼い瞳の少女は、半ば墓荒らしのように言われることもある者たちの一人でもあった。

 彼女をはじめとした、幾人もの発掘師がこの峡谷とそれを造る台地で作業を続けている。ほとんどのものが雲より高い位置にある台地の表面を掘り進める中、彼女だけはこの峡谷に目を付けたのだ。

 しかし、既にこの峡谷には何もないと調査報告が上がっていた。峡谷の先は行き止まり。硬い岩があるだけだ、と。


 だが彼女はそう思わなかった。

 直観ではなく、確固たる確信を持って。


「おじいちゃん、必ず、わたしが見つけるから……!」


 祖父から託された形見の結晶体、この『記録晶板アベスタ』と呼んでいるものの光の示す場所へ、彼女は再度四輪車を加速させる。

 数分と経たず峡谷の最奥、せり出した岩に覆われた最も深い場所へと辿り着いた。


「まだ誰も発見できてない未踏破遺跡……ここにあるなら、誰にも邪魔されない!」


 強烈な好奇心と期待感に満たされかけた脳内で、ふいに蘇る声があった。



〝パリカーってあれだろ、確か凄腕のじいさんが一人で頑張ってたとこ。何年か前に潰れた、いわくつきの一族だろ〟

〝そこのたった一人の生き残りだ。街の奴らや、ギルド総会じゃあお偉いのジジイどもにちやほやされて。揃いも揃って親戚の寄り合いかよ、って感じ〟

〝いい師匠の下で学んだみたいだけど、知名度と実力って比例しないのよね〟

〝時々いいもん見つけるからなぁ。そのときまた横から頂戴させてもらおうぜぇ〟



 かぶりを振って、余計な思考を追い出す。思い出しても意味のない記憶だ。

 誰が何と言おうと彼女は、自分自身のするべきことは分かっている。


「大丈夫、ここでの発掘が完了すれば、もう誰も、おじいちゃんの七光りなんて言わせない。わたしたちは絶対に、故郷へ帰るんだ……」


 この記録晶板から発せられる光が、彼女の抱く未来への希望であった。記録晶板の放つ光に触れると、岩の一部が崩れていく。そして奥にある隔壁が開かれた。


「辿り着いた。ここが、神話の眠る場所……」


 期待と不安と緊張を綯交ぜにした、引きつった笑みを浮かべる。つい独り言も多くなり、自分でも緊張していることが分かってしまう。


「一万年近く前、ほとんど伝承の現存しない古代文明の痕跡。ようやく見つけた!」


 幸い、ここに古代遺跡につきものの防衛機構ガーディアンはいない。記録晶板が示す最も強い反応へと一直線に通路を進んでいく。


「この部屋の先に、アレが、ゼミウルギアがある!」


 最後の扉を開けたとき、その先にあったのは、空っぽの空間だった。



「う、ウソ、でしょ……」


 さっ、と血の気が引いていく。周囲を何度も見渡してみる。目を凝らしてみても、全体を俯瞰して見ても、そこにはねじの一本すら落ちていなかった。

 天井からは巨大な薄黄色の結晶体が突き出ており、シャンデリアのように全体を照らしている。

 だがそれ以外に、かろうじて価値を見出せるものはない。その結晶体とて、一体一山いくらになるありふれたものであろうか。


「何も、ない……」


 反応のあった場所へ、ようやく辿り着いたと思った。

 発掘師として名をあげる方法は、一つだけ。世界各地に点在する古代遺跡から価値あるものを発掘すること。それが金銭的か技術的か、どんな価値があるかは問われない。

 彼女は、その功績はあまり大きくはない。

 正確に言えば、評価の高さに対して、成績が見合っていないように他者からは見えるのだ。



〝あんなしょぼい発掘品、俺だったら恥ずかしくて他人に見せられねぇよ〟

〝作業用ゼミウルギアもないのに、私ら以上の業績が出せるなんておかしいよね〟



 溢れだしそうな感情を抑えようと、彼女は拳を握りしめる。


「何を言われても、どう思われても、ずっとここまでやってきたのに……ここが、正解だと思ったのに……」


 愛車から降りた彼女は、記録晶板を手にとぼとぼと歩き出す。

 カツンと鳴るブーツの音は力なく、その足の動きはまるで生きる屍のようなおぼつかなさだ。


「わたしたち、間違ってたのかな……おじいちゃん……」


 ガクリと膝を付き、記録晶板を床に落とす。

 震える声とともに涙が目じりから溢れ、床を濡らす。

 嗚咽交じりの声が何もない空間に響き、彼女の殴りつける床の振動に合わせて溜まっていた塵と埃が揺れ動く。

 発掘品を全て横取りされることもあった。作業を妨害され損失を出すこともあった。

 その全てを乗り越えてここまで来た。――はずなのに、目の前には何もない。

 彼女を慰めるものは、誰もいない。恥も外聞もなく、涙を零しながら地面を叩く。


 ただ悔しかったのだ。

 それは決して口さがない言葉に反発したかったからではない。

 ただ己の目指すもののために、全てを注ぎ込んでいたからだ。

 ヴゥン、と音を立てて記録晶板が光るのにも、気づかないくらい。



marhabaanおかえり bieawdatik《なさい》, alruwh■■■



「ふぇ!? 何? 今なんて言った!?」


 ズゴゴゴゴゴゴゴゴンッッ!! ――とさらに音を立てて遺跡が揺れる。

 さすがに彼女も驚きながら顔を上げた。

 瞬時に理解できる言語ではなかった。数千年前に失われた古代言語。その内容を聴き取るのは難しい。

 さらにとっさのことであったためよく聞いておらず、周りを見るも発信者の姿は見えない。となると、考えられる相手は一人――というより、一つ。

 この遺跡自体が、彼女に向けて呼びかけてきた。


 同時に彼女が項垂れていた地面に亀裂が走る。

 とっさに記録晶板を手に取って走り出すと、彼女の居た場所を境目にして床が二つに割れた。

 重低音とともに可動する遺跡。彼女にこの現象の原因は、一つしか思いつかない。


「おじいちゃんの言っていた通り、記録晶板が反応したのよ、ね?」


 疑問符を頭に浮かべながら、持ちうる知識や思考を動員していく。

 部屋の中央にできた亀裂からせり上がり現れたのは、巨人とそれに見合う玉座だった。


「なに、これ。玉座? ハンガー、ってわけじゃないだろうし……」


 壁には複雑な紋様が浮かび上がり、部屋全体を照らす。

 それは空間の中央、先ほど現れた玉座に向かっている。まるで、その玉座に燃料を供給するかのように光が走る。

 その文様は、どこか記録晶板の装飾に似ているようにも思えた。


「なんなのここ。遺跡とは言え、神殿でも墓でもない。倉庫でもないし、ここが古代都市の名残だったとして、ここが王城とも思えないけど……開いてよかったのかな……」


 記録晶板をぎゅっと胸に抱いた彼女は、恐る恐る部屋の中央へ近づいていく。


「……まるで、これだけ時間が止まっているみたいに綺麗ね」


 彼女の発掘師としての知識が周囲の状況を見極めていく。


「たしか、この周りの地層は一万年前ごろに人為的に造られたものだって報告があった。確認できる限り文明の残る一番古い時代。この遺跡はまだ生きてる……」


 今までの空間と違って、その巨体には塵も埃も積もっていない。



 漆黒――鋭い三角形の板を何万枚と張り合わせて作った鋭角の集合体のようだ。



 肉食動物、特にオオカミやトラを想起させる細身の中に強靭さを感じさせる形状。

 がっしりとしていながら細身な両足や、背部から延びる尻尾状構造など、獣を思わせる形が各所に見える。

 何より特徴的なのは、機体各所に存在する半透明な黒い結晶体――魔怪晶だ。それが一層神秘性を漂わせ、これがただの機械ではないようにテーレには思えた。


「この浮彫レリーフ、ただの装飾じゃない。壁のもそうだけど、内部のエネルギーを効率的に循環させるための文様だ。五千――ううん、八千年以上は前の技術で間違いない」


循環溝渠ギアライン』などと呼ばれるエネルギー循環技術の一つで、現代では遺跡の装飾と見られることも多いものだ。

 だがその美しさでも、これは骨董か芸術品アンティークかと聞かれればそれは真っ先に否定される。

 これは間違いなく兵器だ。

 神話に出てきそうな怪物じみているが、伝えてくるのは無機質な圧力。遥か昔の戦いで使用された、武骨な存在感を滲み出す遺物。

 記録晶板に表示された反応。そしてその眼で見た実測。全長はおおよそ成人男性の十五、六倍となる巨体であろう。

 そこから得た答えは――


「間違いない、これは……」


 彼女の目は輝きを増し、この遺跡に残されていた目当ての者の名を口にした。


「古代式ゼミウルギア、その完品だ……!」

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