第五章 《覇王の名のもとに》-1
眼下に広がるのは、広大な自然だった。
鳥の視点から見下ろすそれは、はるか遠くまで続いている。
ふと、大地を駆け抜ける動物の姿が見えた。
獣の姿が目の前で拡大表示され、ようやく自分がいる場所がゼミウルギアの中だと理解した。それも、座った覚えのある椅子の上。
テーレは、勢いよく振り返った。
「ミクトル、わたし――!」
彼女の目には、ミクトルの姿が映った。
今彼が来ているような服ではなく、冷凍睡眠から目覚めた直後、崩れ去る前の服によく似ていたものを彼は着ている。パイロットスーツにも似ているが、少し違う。
テーレの知っているミクトルよりどこか精悍さを持っており、少し立派に見えた。
服装が違うだけで雰囲気はこれほど変わるのか、ミクトルは本当に王と呼ばれる立場だったのだと、彼女に納得させた。
だからか、今の状況がどのようなものかを、不思議なくらい簡潔に理解させる。
「これ……もしかしてミクトルの、アスラトルの、記憶?」
「アスラトルマークスリー、飛行試験ユニット、順調に稼働中。旋回試験を開始する」
ミクトルの言葉とともに突如彼女の乗るゼミウルギア――〈アスラトル・Mark-3〉が急旋回した。急激な制動と反転、全身が別々の方向に引っ張られるような圧し潰されるような痛みを感じる。
「うそ、これ、飛行型? マークスリーって、わたしの知ってるものより二世代上?」
これが飛行能力を持つゼミウルギアの空中機動。人生初めての経験に歯を食いしばって耐える。背中も胸も圧迫されて息がしづらい。
ちらりと見えるミクトルの表情は余裕そのもので、人間と偽神の肉体強度の違いを改めて実感した。
テーレは人生初めての経験に歯を食いしばり耐える。一方アクロバット飛行を続けるミクトルに、席の前方から呼びかける声がする。
現代では存在すら知られていない、テレパスと呼ばれる通信システムだ。
実際のところ音声だけではなく、映像までも表示できる。
後部座席では、映像を交えて会話していることだろう。
『ミクトル陛下、第二世代の飛行システムの調子はどうですか?』
「問題ない。これなら法力障壁と合わせて突撃すれば、それだけで相手を殴り倒せる」
やはり背後から聞こえてくる声は、間違いなくミクトルだった。
通信の方は知らない声であったが、不思議と安心できる。ミクトルにとって、きっと仲の良い相手だったのだろう。
『そんなことをしたら、陛下は無事でもフライトユニットの方が持ちませんよ!』
「では、強度実験も行うとするか。せっかくの、世界初の単独飛行なのだ」
単独飛行、それは現代式ゼミウルギアでは構築できていないものだ。
間違いなく、これは一万年前の光景だった。
『わかりました。最高速度に挑戦してみてください。空中分解の心配はありませんから』
「ああ、お前が手ずから仕上げた一品だ。信頼している」
直後、急加速の衝撃がテーレの体に襲い掛かる。
世界が後ろに流れていく。
雲を吹き飛ばし、雨をかいくぐり、太陽に向かって鋼鉄より硬い翼を羽ばたかせる。
「これが、ミクトルが見てきた世界……」
「素晴らしい速度だ。最高速度での旋回時強度を確認する!」
「ま、待ってミクトル、まだちょっと覚悟がぁぁぁぁっ!」
テーレの懇願は聞こえていないわけではない。
そもそも、彼女が見て感じているのは過去の光景だ。現在のテーレが何をしようと、変わるわけがない。
ミクトルのゼミウルギアは一気に加速する。
〈アスラトル〉はどこまでも空を突き進む。
度重なる加速と停止、急旋回と急上昇、急下降は、テーレの三半規管を大いに揺さぶり、彼女の内臓へ負担をかける。
「う、ぅぅううぉ、くらくらする……首、
パイロットスーツがなぜ必要なのか、テーレは何となくわかったような気がした。
どこまでも突き進む中で、黒い影が太陽を覆い隠す。
あまりにも巨大な物体が、突然現れた。巨大すぎるため、それとの距離感も狂ってしまいそうだ。
雲より高い位置に存在し、巨大な歯車が擦れ合うような重低音を響かせている。
「なに、あれ?」
「なんだ、あれは」
ミクトルにも見覚えがないらしい。
〈アスラトル〉は空中で停止し、その巨体を見上げる。
彼の方を見ると、テーレとは視線は合わないがそこに強い警戒心を感じ取る。
視線を前に戻せば、巨大な都市のように見えるそれから、小さな影が複数飛んでくる。
細い四肢に見合った細い体。人間が乗るスペースを考えていない設計だ。どうやって飛んでいるのかわからない構造で、ハチの群れのように飛び、単眼が怪しく光る。
「あのでかいものから降りてきているの?」
「神選軍の機体ではない。だからと言って覇循軍のもののはずがない。……どこの敵だ」
上空へ向けて〈アスラトル〉は加速する。
そこに上空のゼミウルギアの集団は攻撃を仕掛けてくる。
法力を使った火炎弾、氷塊弾、雷撃弾、様々だ。
敵だと判断した相手を右腕に出現させたブレードを使って切り捨てていく中、事態を知った彼の仲間たちも集結し始める。
「これが、ミクトルが最後に戦っていた相手なの?」
ミクトルがフェリン、アナイと話していた相手が、この巨大な影から舞い降りるゼミウルギアたちが、きっとそうなのだろうとテーレは理解した。
これが――戦っていた〝誰か〟なのだ
何百、何千と増え続ける敵勢力。
「なかなかの数だ。これだけの数を揃えられる勢力となると、やはり神選軍ではないな」
ミクトルが迎撃する中で、テーレはあることに気づいた。
〈アスラトル〉の腕が、見覚えのあるものと違う。機体の全体的なシルエットは同じなのだが、今の腕以上にギザギザとして、指の先には鋭い爪がある。
飛行しているということは背中に翼でもあるのだろうが、そちらは見えなかった。
テーレが機体に目を奪われている最中も、ミクトルは指揮を止めはしない。
「――では、出番だぞ、ハイダス、アムリ」
『ミク兄ちゃん、すっごい敵がいっぱいいるね!』
『ミク兄さま、あたしたちの活躍、見ててくださいね!』
青と赤、二色で彩られたゼミウルギアが〈アスラトル〉の後方から飛んでくる。それはまるで二つのゼミウルギアが背中合わせにくっついたような形状をしていた。
そこから聞こえるのは、小さな少年と少女の声。
右に青、左に赤の機体が配置され、横顔に道化師のような仮面を張り付けて二つの顔が一つになったかのように見せている。むろん手足も四本あり、正面に向けて移動しようとすれば横歩きになるだろう。
「うわ、何この形状……人型、なのよね?」
こんな複雑怪奇な機体は、後にも先にもこれしかないとテーレは思った。
現代式の四角いブロック形状には見慣れているが、接近してくる仲間の機体はどれもスマートな体を持ち、流線形のように滑らかな形状だ。
『さあ行くよ、ザリチュ!』
『活躍しないといけませんね、タルウィ!』
双胴型古代式ゼミウルギア〈ザリチュ・タルウィ〉。
機体各所に法力循環のための紋様が施されており、表面が動くたびにわずかに輝く。そのことから、テーレにとって古代式と呼ぶ分類の機体だと見てわかる。
この機体は平たいグライダー状の機械――第一世代フライトユニットの上に乗っており、風に揺られながらミクトルのもとにまでやってきた。
一万年前、ミクトルとともに戦った仲間の一機だろうか。左側の両手に創り出した火球を、迷うことなく敵性ゼミウルギアの大軍へ向けて投げつける。
燃え上がる敵性ゼミウルギア。炎を掻い潜って迫りくる個体は、中距離で右側が持つ氷の槍が叩き落とす。
『ミク兄ちゃん、こいつら何なの? 神選軍じゃないみたいだけど?』
「わからん。あのでかい要塞から落ちて来ただけだからな。あの要塞自体なんなのか」
『気になりますね。確認してまいりましょうか?』
「アムリ、接近はやめておけ。遠すぎて接近できるのかもわからんがな」
大量の敵性ゼミウルギアはまだまだ降りてくる。それに対し、ミクトルはもちろん、二機も怯む様子はない。
幼げな子どもだというのに、一切戦いに対して恐れがない。
つまりこれが、この時代の戦士たちなのだ。問われるのは年齢ではなく、戦う力。ミクトルが信頼するほどの力を、顔は見えないが幼い双子は保有していた。
これが、一万年前に起きた戦いの一つ。
その光景を、テーレはまるで追体験のように見せられていた。
「ていうか、何でわたしはこんな……」
――光景を目にしているのか。
自分がどうなってしまったのか、どうしてこんなところにいるのか。
貫かれた覚えのある胸に触れると、そこに傷はない。
「わたし、確かにやられたはずなのに。傷も何もない……」
目の前の状況含めて、わからないことだらけだった。
「■■■、奴らが何かわかるか?」
ミクトルからの問いかけが、前の席に座るテーレに向けて発せられる。振り向いた彼女は驚きながら彼を見る。
……今、彼が呼んだのは、誰だったのだろうか。
「おい。どうした? お前にもわからないのか?」
「え、いや、わたしに聞かれても……」
《天より上の者たちだ。お前たち、いいや。この星が戦うべき、敵さ》
その声は、テーレの喉から発せられた。正確には、テーレと同じ位置から、ミクトルに向けて発したはずの言葉だ。凛とした、少し男勝りにも思える声だ。
「なんだそれは?」
「この席に、誰かいたんだ……」
自分より前に、〈アスラトル〉の前側には、誰かが座っていた。
《わたしがお前を戦いに赴かせたのは、最終的にこれと戦ってもらうためだった》
「他人にそんな面倒ごとを押し付けさせようとたくらんでいたとは、やはり魔女か」
《ええ。だってわたしは、あれから落ちてきたんだから》
どういうことだ? そう問いかける視線をミクトルは向けるが、テーレの席にいた者からの返答はない。困惑するテーレには、何も答えられない。
「ヒトを導いた末に全てを押し付けるか。後で話してもらう。だから、最後まで手伝えよ」
《ええ、もちろん。責務は果たすわ。星征の者たちを、止めるためなら》
頭上を見上げるミクトル。テーレも視線を上に向けながら、問いかけた。
「あなたは、誰?」
聞こえるはずがない。そう思っていた。
《ミクトルのことを、頼むよ。あいつは、時々妙に危なっかしいから》
けれど、確実に、間違いなく、ミクトルへ向けてではなく、自分へ向けて答えが返ってきた。びくりと震えるテーレは、若干かすれた声で問いかける。
「言葉が、届いてるの?」
《わたしはもう、あいつの隣にはいられないから。ミクトルと一緒に、世界を巡ってくるといい。……きっと楽しいから》
先ほどと同じ声が、今度は優しげに、耳ではなく全身に伝えてくる。
かつてこの席にいた誰かが、テーレに何かを託そうとしているのか。
聞こえてくる理由も、内容の意味も定かではない。
けれどどうしてか、テーレの目から涙が零れる。
《星征都市を探して。望む場所も、見つけるべきものも――》
応援してくれる人がいる。託してくれた人がいる。
《きっと――――わたしたちもそこにいるから》
そのことが、彼女の心に熱を与える。
「ミクトル!」
張り上げた叫び声が、操縦席の内側に響き渡る。
「行こう、星征都市へ!」
周りの景色も人の姿も何もかもが吹き飛んで、自由落下する感覚が全身を襲う。
「きっと……」
落ちていくその先に、あの黒髪と、緑と紫の二重虹彩を見つけた。記憶ではない、本物の彼がそこにいる。
「きっと、きっとわたしたちなら見つけられるから!!」
いつの間にか、ミクトルの顔が目の前にあった。
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