第五章 《覇王の名のもとに》-2
「ごほっ! ……う、がっ、はっ! え……」
吐き出した息で喉が痛む。瞼を開けたとき、飛び込んできたのはミクトルの顔だった。恰好は町人から貰った服であり、間違いなく、ここが現実だと認識させた。
「わたし、どうしたの……」
〈アスラトル〉の前側の席に座らされていたテーレは、胸を押さえながら尋ねた。ひやりとした感触が指に伝わる。
体を起こそうとした時、その体をミクトルの手が抑える。
「心臓が、奴の攻撃で貫かれた。しばらく体を動かさない方がいい」
その状況でどうして自分が生きているのか、テーレには大いに謎である。
どういうこと? と問いかければ彼はおもむろに答える。
「オレは……治療法術は苦手で、お前を助ける方法は、これしかないと思った」
「これって、どれ?」
ミクトルは左手でテーレの右手をとると、そっとゼミウルギアの操縦桿を握らせる。
「あれ? なんか、ピリピリする……。足元はムズムズするし……」
「お前の体とアスラトルの間で、法力が循環しているんだ」
ミクトルの説明に首を傾げるテーレ。彼の言っていることが、今一理解できない。
だから彼も少しずつ説明していく。
「……心臓を破壊された以上、オレに助けるすべはない。あるとしたら、アスラトルの生体再生システムだけだ」
「アスラトルって、そんな機能があるの!?」
まずそこが、テーレにとってはびっくりだ。
操縦者はゼミウルギアにとって心臓と脳の両方の役割がある。ならば、そこが危険にさらされたとき、どうにかして再生させなくてはならない。
そのため、機械的に法術を起動するシステムが開発された。
「やっていることは吸収した法力で治療法術を強制発動しているだけだが、自分で使えないオレにとっては、貴重な回復手段でもあった」
しかし、それが使えるのは、〈アスラトル〉に生体登録されたパイロットのみ。
古代式ゼミウルギアは、奪われたり鹵獲されたりした結果、相手に使われないようにするための生体登録を行うことが一般的だった。〈アスラトル〉の場合であればミクトルが登録され、他の者には使うことができなかった。
だから、彼はある決断を下した。
「登録者は二人分ある。オレとお前を登録することで、お前にも再生措置が施されたんだ」
「なるほどね……。でも、だいぶ苦しい」
「間違いなく心臓は貫かれ、再生機能が起動するまでかろうじてオレが血液を循環できるように法術で管を作っただけだ。痛みは残るし、流れた分の血までは補えないからな」
肩をすくめたミクトルだが、結果的にテーレの命は助かったのだ。
戦闘兵器であるゼミウルギアだが、誰かの命を助けることができる。その証明だ。
「まだしばらく治療法術は起動させ続ける。しばらく安静にしていろ」
「うん。あ、ねぇ、ミクトル……」
「なんだ?」
「……ううん、ただ、お腹空いたなって、って」
「だろうな。少し待っていろ。その間に、服を着替えておくといい」
「うん。……うん?」
ミクトルの言葉に肯いた後、視線を体に向けると、薄布一枚乗っただけの、上半身裸の自分が居た。
「ど、どうしてわたし上着来てないのよ!」
振り払った腕がミクトルの顎にめり込むが、むしろ殴ったテーレのほうが痛い。
「法力と血を循環させるのに、傷に触れる必要があった。お気に入りの服だったか?」
「そこじゃないの! ――てかミクトルは生身なのに……あいかわらず固い……」
殴った手も痛いがそれ以上にドクドクと脈打つ胸が痛い。悲しいとか恥ずかしいとかいう意味ではなく、単純に物理的な痛みだ。
「だから安静にしていろと。お前の心臓は今、生まれたばかりに等しいのだ」
テーレの腕を降ろしたミクトルは、彼女の上着を数枚取り出した。
「食事を作ってみた。すぐ持ってくるから、着替えておけよ」
「は、はい……」
テーレが力なく答えると、ミクトルは〈アスラトル〉の操縦席から降りる。離れても法力の供給は止めていないようで、機体の周辺には法術円陣が存在し続ける。
テーレは震える手で着替えながら、〈アスラトル〉の操縦室の計器を操作する。
そこで、機体内の言語が彼女の知っている言葉に変更されていることに気づいた。
「わたしが生体登録されたから、それに合わせて言語登録も変更されているんだ。ミクトルがわたしの頭から言葉を学んだり、自動で更新したり、それを反映しているのね」
夢の中ではゼミウルギアが空を飛んでいた。遠くの場所にいるはずの誰かと伝声管もなしに会話できていた。それらは全て、古代式にのみ残されたシステムだ。
「古代式ってやっぱりすごいなぁ」
機体データをスクロールしていくと、生体登録者の欄を見つける。
腕を動かすたびに胸のあたりに走る鈍痛に顔を歪ませながら、情報を開く。
そこには二人分の名前が書かれている。
もちろん『ミクトル=シバルバ』と『テーレ=パリカー』だ。最終更新から二十時間経過と記されており、一日近く経っていることに初めて気づいた。
「うそ、わたしそんなに眠ってたんだ」
日頃の発掘作業の疲れと、大量出血による負担もあったのだろう。
しかし、外が静かなもので、敵はすでに逃走した後だとわかる。
それだけ眠っていたのにも関わらず、体を起こすこともできない。かろうじて腕を動かすことはできるが、立ち上がることはできない。
その事実よりも、彼女には気になることがある。
「わたしの前に、誰か登録されていたのかな」
妙な確信を持って探すが、どこにもデータが残っている様子はない。
「わたしがアスラトルに登録されたことで、あの夢を見たんだよ、ね……」
こちらに確証はないが、テーレにはそう思えた。
間接的ではあるが、ミクトルの法力による治療が施されている。
その時〈アスラトル〉の中を介したことで、機体に残っていた記録が彼女の中に流れ込んできたのかもしれない。
むろん、全て単なる予測だが――アナイは言っていた。
ミクトルの側には、
「あの声の人が、前はここに座っていた」
ミクトルは言っていた。
彼をここまで導いてきた存在がいたこと。空に現れた巨大な敵と戦うために、ミクトルを導いてきたのだと。
なら、きっと彼女もここにいて、そして〈アスラトル〉の操縦権を持っていたはず。
「あれは、誰なんだろう」
――見つけて、どうしたいんだろう。
貫かれた胸のあたりに手を添えると、心臓が弱弱しくドクンドクンと鼓動する。
もやもやした感覚が、胸に残る。先ほどのような痛みはない。苦しいわけではない。
けれど、奇妙な違和感を残していた。
「テーレ、待たせた」
とっさに情報を消そうとするが、表示の消し方がわからず、間に合わない。
彼は自分の席でいくつか操作すると、コクピット回りの壁が少し広がった。
席の横を通って移動することが容易になり、わざわざ背もたれ越しに身を乗り出す必要がなくなる。まだ知らないシステムが、この機体にはいくつもあるのだ。
ミクトルは座席の横を通り、彼女に向けて一つの器を差し出す。
「荷台に積んでいた食材を使ってスープを作ったが、味には期待するな」
湯気の立つ出来立てだ。コショウの匂いが鼻に付き、見た目はジャガイモや豆を潰したせいでドロッとしているが、飲みやすいようにと考えてくれたのだろう。肉もかなり細かく刻んであり、野菜もほとんど原形を留めていない。
外で転がる壊れたゼミウルギアの群れの中に、調理キットが並んでいる。おそらく、そこで彼が調理したのだろうと、テーレは理解した。
「結構、長時間煮たんだね」
「容体が安定してから作ったが、かれこれ五時間ぐらいかかった気がする」
「……目を覚ました時、ちょうど来てくれたんだね」
「ああ、アスラトルが教えてくれた」
生体登録されたミクトルに、テーレの状態はすぐに伝わったのだろう。
すぐに来てくれたという事実は嬉しいが、その理由が〈アスラトル〉の通達由来ということに、拭い切れない脱力感を覚えるがそれは口に出さない。
「食べられるか?」
せっかく、彼がスープを作ってくれたのだから。
眼前の表示は消すことができないまま、器を受け取ろうとする。
「うーん、腕が上がらないかな。スプーンも持てない……」
「仕方がないか。熱かったら言えよ」
テーレの右側に立つミクトルは、スプーンで一口を掬う。
垂れないように気を付けながら、湯気をそっと吹き飛ばす。ドロッとしたスープをテーレの口元に運び、彼女は首を少しだけ動かして租借した。
「どうだ?」
かつて覇王と呼ばれた男は、初めての緊張感に身を固くした。
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