第二章 《たった一人の覇循軍》-3

 テーレが拠点している街は、ミクトルのいた遺跡から、そこまでは離れていなかった。人が歩いたとしても半日程度だろう。


「こんな近くだったのに、あの遺跡がよく一万年も隠れていたな」

「土や森に埋もれていたものが崖崩れや地震でたまたま見つけたとか、湖の底にあったものが日照りで水がなくなったときに発見されたとか。案外見つからないの」

「オレのところは?」

「うまい具合に偽装されていたから、固い岩盤があるばかりだと思われてたの。私が見つけられたのは、運がよかったのよ」


 ミクトルの問いかけに、テーレはアベスタを取り出して見せる。


「おじいちゃんがこれを残してくれなかったら、見つけられなかったわ」


 改めてアベスタ手に取ったミクトルは、しばらくそれを眺めてみる。周囲の浮彫は確かに古代の――ミクトルの生きていた時代に培われ使われていた技術である。


「鍵であり地図であるか。誰がこんなものを用意したのやら……」


 ミクトルは覚えのある通信端末に似ていると思ったが、結晶体に表示される情報がどこに保存されているのか、もしくは受信しているのか、彼にも分らない。


「やはりオレの時代のものじゃない。オレより後の文明だ。一体何を検出している?」

「わたしにもよくわからないの。ただ、古代式ゼミウルギアを感知するのは、確かよ」


 テーレにアベスタを返したミクトルは、ふと遠くに高い建物を認識する。操縦席のアウトディスプレイに拡大表示すると、それが巨大な壁であることを認識した。


「あれは、街か?」

「そう。わたしが拠点している『アイドニシティ』よ」


 高い壁は、かつて世界各地に存在し、今も時折発見される巨大生物による攻撃を防ぐという目的もあれば、大規模な野盗集団の攻撃に備えるためでもある。

 周辺には農地が広がり、大量の農業用ゼミウルギアが稼働していた。


「あれは、全て現代式ゼミウルギアなのか? 畑を耕すのも、麦を運ぶ車も」

「そうよ。わたしが乗ってた四輪車。あれも変形して人型になれるんだから」


 ミクトルにとって、ゼミウルギアとは決戦兵器だ。決して大木のような鍬を振るうためでもなく、山積みの野菜を運ぶ輸送車でもない。

 戦術兵器だったものが、人の生活に浸透している。変形機構も移動速度を重視し、人型にこだわらず、法力を使うことを前提とした高出力も必要としない結果だった。


「……本当に、ゼミウルギアが多いな」


 それが、街に近づいたときにミクトルがどこか感慨深そうに漏らした言葉だった。


「わたしの家は北門から入った方が早いんだけど、あなたの服と食材を買わなくちゃいけないからこのまま南門から入ってね」


 南門へ続く大きな道を走り抜けていく。彼女はよく顔が知られているのか、門番たちも一度は〈アスラトル〉を警戒するも、彼女が顔を見せれば快く素通りさせてくれた。


「あの門番たちのゼミウルギアは軍用か? 胴体が細いが、装甲は厚めのようだ」

「そうよ。軍用ゼミウルギアの出力はさっき戦ったものの三から五倍以上になるの」


 出力三倍、とは言われてもミクトルあまり意に介した様子はない。


「なるほど。何とか維持政府が持っているのだな。それらは」

「『人類秩序維持政府』ね。軍用ゼミウルギアって言っても、全部が全部高スペックじゃないから。特注の機体なんて、目にする機会はないと思う」


 量産体制が整っているとは言え、エース向けの特別なものは存在するらしい。テーレも実際に見たことはなかった。


「反政府軍との戦いにしか使われないし、民間排出品なんて早々ないわよ」


 ミクトルが戦ったらどちらが勝つだろうか。そんな疑問に好奇心が擽られるが、実際にそんな事態になったら目も当てられない。


「あ、ミクトル。その坂降りて。ゼミウルギア用通路に降りていくの」

「そんなものがあるのか?」


 首を傾げるミクトルに、テーレは得意げに説明をする。


「アイドニシティみたいな大型の都市は、あなたが眠っている間の名残があってね。ゼミウルギアが街中を移動することが前提の都市なの」


 門をくぐり、坂を下った先には谷のような段差のある通路があった。

 ゼミウルギアが数台並んで通れるだけの広さがある。そして〈アスラトル〉の腹部辺り――現代式が車両に変形した時と同じくらいの高さに、露店の並ぶ高い道路があった。


「ゼミウルギアが通るための通路と、普通に人が歩いている道路の高さに段差をつけてるの。ゼミウルギアが普通に走り回ると砂埃が立つでしょ。だから人の通る道と、ゼミウルギアの通る道、それぞれを分けて、お店も両方の道路に面した造りになってるの」

「南の水上都市を思い出すな。あの船上集落は、面白い街だった」

「もしかしたら、その街は残っているかもしれないわね。わたしは見たことないけど」


 道路の両側にある店の影からは、向こう側に人が歩く道が見える。活気のある街のようで、喧騒はミクトルたちの元まで届いた。


「さ、このまま食料を買いに行くわよ。あ、屈みながら移動できるかしら、この子」


 ミクトルは要望通り、〈アスラトル〉を中腰にしながら街中を移動していった。

 目的地に到着すると、テーレはミクトルに外に出ないように言明する。すでに法力紡皮服を解除しているミクトルを、外に出すわけにはいかないという判断だ。

 対して自らは〈アスラトル〉の肩に乗ってそのまま買い物を始めた。


「八百屋のおじさん! 安めのキノコある?」

「おお、テーレちゃん、買い出しか……って、その黒いゼミウルギアどうしたんだい?」


 応えたのは日によく焼けた初老の男性、彼女の行きつけである八百屋の主人だった。


「掘り出し物よ! それよりキノコ! あといくつか野菜も欲しいの。これだけね」


 そう言って彼女はさっと書いたメモを取り出すと、八百屋の主人に渡す。


「ニ、三人分ってところか。いいのが入ってるから、ちょっと待ってな」


 ゼミウルギアに乗ったままの買い物はスムーズだった。他にも同じような客がおり、街の住人もこの光景に慣れていることがよく分かる。

 今ミクトルたちがいるのは南側の商業エリアだが、他の場所に行けば街を統括する政務エリア、工業エリア、居住エリアなどが広がっている。


「オレの時代より、はるかに人は増えているみたいだな」


 操縦席ハッチを開放し、周りを行く人々を見る。ゼミウルギアは他にも道路を走る。数多の喧噪が、ずいぶんと心地いい。平和の音が、全方位から響いてくる。


「おう? おいテーレちゃん、その兄ちゃん誰だい?」


 なんだなんだと周りの店からも衆目が集まり、ミクトルの姿を大勢の人が目にとめる。


「あ、ちょっとミクトル。なんで出て……ええ、と。あのね、彼はわたしの――」

「主人だ」


 何とか場を収める説明をしようとしたテーレに対し、ミクトルは気にせず告げる。

 テーレはぽかんと口を開け、八百屋の主人は持っていたキノコをポロリと落とす。地面に付く前にミクトルは指を向けると、法力の創り出した板に乗せた。

 そのまま移動して彼の手の中に収まる。大ぶりであり、栄養価の高そうなキノコだ。しかし、そんなことを気にしているのはミクトルだけである。


「あ、あなた何勝手に主人とか言ってるのよ! おじさん違うから。全然違うからね!」

「……そうか。テーレちゃんまだ十五とか思ってたけど、いい人見つけてたんだなぁ」


 テーレの主張を聞き入れた様子はなく、目じりに涙を浮かべながら、八百屋の主人は頼まれていた野菜を彼女に渡す。


「お代はいいからよ。うめぇもん、食わせてやんな」

「テーレちゃん、うちの肉も持っていきな!」

「こっちの魚だ! 店長にもよろしく言っておいてくれよ!」

「だから違うってばぁ!」


 他の店舗の主人たちも、わらわらと自らの商品を持ち出した。

 顔を真っ赤にしたテーレはそちらの対応に向かい、必死に説明しようとするのだがなかなか聞き入れられる様子はない。


「ふむ、テーレはなかなかに人気者らしいな。皆の孫、とでも言ったところか」


 臣下が人気ということはその主もまた人気になる、と勝手に判断したミクトルは、どこから嬉しそうにその姿を見る。

 そんな彼に向けて、八百屋の主人は真剣な眼差しを向ける。


「おう兄ちゃん、ちょっと――ちょっと来い」


 どこかしんみりとした声を出した八百屋の主人は、そう言ってミクトルを手招きする。


「オレを呼びつけるとは不遜だが、まあ無知であるがゆえに許す」


〈アスラトル〉から降りると、気が付けばそこには八百屋の主人だけではなく、十名近い初老の男女が並んでいた。

 その囲み方に、彼は覚えがある。神選軍が送り込んできた暗殺集団が、十人がかりで挑んできたことがあった。

 森の湖で沐浴している最中だったため、護衛兵も親衛隊も少し距離を離しており、〈アスラトル〉にも登場していなかった。


 ……あの時は、全方位の法力障壁で逆に吹き飛ばしてやったものだ。


 そんな過去の勝利を思い出す彼に、八百屋の主人はめつけながら顔を近づける。


「おめぇさん、本当にテーレちゃんとはなにもねぇのかい?」

「何も、と問われてもな。オレは奴の主人である。それには何の相違もない」

「いいか! あの子はな、今まで苦しい思いをしてきたんだ。生半可な覚悟であの子に関わろうっていうなら、容赦しねえぞ!」


 彼らにとって、テーレは赤の他人である。血統上何の縁もないはずだ。

 だが、それでも孫娘のように気にかけている。

 それはきっと、彼女が精いっぱい頑張ってきた結果なのだろうと、まだ出会って数時間ではあるが、その人柄を推し量ることができる。

 ならば、ミクトル自身も生半可な気持ちで主人だと名乗ったわけではないことを、伝えなくてはならない。


「テーレは、オレの目を覚まさせてくれた。単なる偶然だったかもしれないが、その恩義には報いるつもりだ。あいつの望む未来を創る。そう約束もしたからな」


 彼女がいなければ、ミクトルの冷凍睡眠はいつまでも続き、場合によってはコーダたちのような不逞な輩に見つかってどうなっていたか分かったものではない。

 まして解凍直後、彼女の乾パンがなければひもじくて死んでいたかもしれない。その点も、感謝するべき点であろう。

 だからこそ、コーダとの戦いでは彼女の希望に沿うように戦ったのだ。


「オレはテーレの主人だ。あいつに苦労は掛けるだろう。だが、オレを主人としたことを後悔させるつもりはない。このことは、我が父の名に掛けて、皆に誓おう」


 はっきりと断言したとき、老人たちの視線が変わる。

 一瞬伏せられた目に宿る光が、優しげなものになったのだ。


「お、お前さんも、苦労があったんだな……」

「む? まあ、確かにオレは戦いに明け暮れる毎日ではあったが……」

「あんたとテーレちゃんが惹かれ合った理由、おばちゃん何となくわかったよ」


 どうやら周囲の男女の間で、ミクトルにはよくわからない話が出来上がっている。

 妙に会話が成立していない気がするミクトルの頭の上に疑問符が浮かぶが、誰もそれには気づかない。本人も、違和感があるだけで理解していない。

 だから、八百屋の店主は感慨深い思いを抱いた顔をして、彼の両肩に手を置いた。


「よくわかった。テーレちゃん帰ってきたら、うめぇ飯食えよ」

「むろんだ。テーレともすでに約束している」

「ならすぐに胃も掴まれちまうことだろうぜ、兄ちゃん!」


 バシンッ! と豪快に背中を叩かれる。ミクトルにはなぜ叩かれたのか理解できないが、悪意ある攻撃ではないことはわかった。

 そう――頑固な整備主任の老人が、出撃前の景気づけに叩いてきたのと同じだ。

 なおのこと疑問符をさらに増やしながら、ひとまず彼は操縦席へ戻る。

 そして、妙にたくさんの袋を抱えたテーレの姿が人だかりの向こうに見える。〈アスラトル〉の手を差し出すと、彼女はそこにどさりと座り込む。


「あなたの発言で、もうてんやわんやよ……」

「間違ったことは言っていない」

「言い方ってものがあるわよ! おかげでもう説明しても聞き入れてくれない……」


 疲れた、とため息をつく彼女に、ミクトルは問いかける。


「……食事は作れるか?」

「それは大丈夫。いっぱい貰っちゃったし、店長たちも喜びそう」


 彼女を手の上に乗せて、〈アスラトル〉は街の中を進んでいく。


「善き者たちだったな」

「ええ。みんな、いい人たちよ……あなたの服まで貰っちゃったし」


 後方を映すアウトディスプレイには、二人に向けて手を振る町人の姿が映っていた。

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