第二章 《たった一人の覇循軍》-6
「はい、テーレのキノコとベーコンの炒め特製スパイス入りと、僕の新鮮野菜とレンズ豆のスープだよ。あとこれピタね」
フェリンは両手に皿を二つずつ、さらに腕にはパンに似た薄く白いピタの入ったかごを吊り下げている。見覚えのない食事に、ミクトルは首を傾げた。
「ピタ? パンではないのか」
「ピタパンって呼ぶ人もいるけど、小麦粉が原料と言う点は同じよ」
「中が空洞で、食材やソースを挟んで食べるのさ。最近のはやりでね」
ミクトルの前に置かれた器に料理。漂う芳醇な香りを大きく吸い込んだ彼は――
「いい香りだ。いただきます」
ミクトルは握った右手を左手で包む。その仕草は、祈りを捧げるているようにも見えた。
「案外礼儀正しいところはあるのね。いただきます」
対してテーレは掌を重ね合わせる。少しだけ仕草に違いがあった。
食前の挨拶を終えると、ミクトルは待ちきれなかったとばかりにスープに手を伸ばす。口に運ぼうとした時点で、あることに気づく。
「しかしフェリン。お前料理などできたのか……?」
「おや、覇王ともあろう者が、出された食事に恐れをなすのかい?」
フェリンは挑発するような言葉を返すが、普通は警戒する。
何せミクトルとフェリンは戦場でしか会った覚えがなく、互いの日常生活など知りもしない。毒が盛られているとはさすがにミクトルも考えていないが、料理の味については疑いがあった。
赤色のスープ、トマト、タマネギ、他にも肉の入ったドロッとしたスープだ。その見た目に懐疑的な視線を向けるミクトル。対するフェリンは、得意げな表情を浮かべる。
意を決した覇王は、一口目を口に入れる。
脳裏に、電撃が走ったような気がした。
「う……!? うま、い? うまい!! フェリン、お前料理の才能があったのか!」
空腹の胃の中に、料理が吸い込まれていく。焼き立てのピタを割り、スープにつける。爽やかな酸味と甘み。ジューシーな肉。炒め物も鼻の中を香りが突き抜けていく。
「ふふ、そうだろう。ミクトル、遠慮はいらない。もっと褒めてくれていいんだよ」
心底嬉しそうな顔で賞賛を受け止めるフェリンの姿に、テーレは少し目を丸くする。こんなに楽しそうな兄を見るのは、彼女は初めてだった。
そうこうしているうちに、ミクトルの手はテーレの作った料理に移る。
「なるほどこれが現代のスパイスか。独自のブレンドだな、食材ともどもいい味だ」
素早いが丁寧な手つきで食事を勧めるミクトル。そして――
「良き食事、作り手と食材に感謝を」
全てを平らげたところで、ミクトルは感想を告げる。百点以上の合格点だ。
「ま、まあね。フェリン兄さんたちから教えてもらっていたの。これでも自信ありよ」
「君からの賞賛は最高だ。さて、じゃあ僕は仕事に戻るよ」
気分よく厨房に変えるフェリンを見送ると、不意にミクトルはテーレに問いかける。
「あいつらは……フェリンとアナイは、お前の保護者、いや。家族なのか?」
「うん。いろいろあって、一人になっちゃってね。もう、七年くらいになるかな」
少しだけ目を逸らしたその動きをミクトルは見逃さないが、あえて指摘もしない。代わりに、提供された料理に話題を向けた。
「まさか奴らがレストランを営むとはな。考えられんことだ」
「その、状況はよくわからないけど、あなたの知る兄さんたちは料理するような人じゃなかった?」
「そうだな。少なくとも、あの二人が料理をするとは思えなかった。そんな立場でもなかったからな」
口元をナプキンでふき取りながら、提供された果実の
「オレがいた時代は、料理はないがしろにされていることのほうが多かった」
「戦争の時代って、料理とかお酒とか、嗜好品が増えるもんじゃないの?」
テーレの疑問に、ミクトルは首を横に振る。
「単純に食料難だったんだ。今のように平穏でもないし、ゼミウルギアを農業に使うこともできなかった。レシピがあっても、材料がなかったのだ。……そうそう、兵たちに味の薄いスープを出したときなど、目に見えて士気が低下した。あの時はそこら中に交渉に出向いて塩とハーブをかき集めたものだ」
ため息交じりにその時のことを思い出す様子に、テーレははっとした。
「今、あなたって王様らしいことしていたんだって実感させられたわ」
「何を言うか。これでもオレは立派に王であったぞ」
ジュースの最後の一滴を飲み干すと、ミクトルは腹をさすりながら息を吐く。
彼にとって、一体どれだけぶりの上手いと思える食事であったのだろうか。
そんなことを思っていたテーレに、彼はある疑問を投げかけてきた。
「ゼミウルギアが生活に浸透し、主だった争いもない。食料も十分ある」
おもむろに告げたのは、この街の様子を見たときの感想であった。彼の生きていた時代とは、様々な点で違っていた民草たち。
「ある程度は良い時代になったものだ。問題全てが、ないわけではないだろうが」
確かに今は平和な時代だ。だが、全てがそうとは限らない。テーレの抱える問題があるように、個人ではどうしようもないことは、いくらでもある。
「このような平穏があるにも関わらず、なぜ反乱が起きている。事情でもあるのか?」
「どうしたって不平不満は溜まるものよ。王様だったのなら、わかるんじゃないの?」
「……それもそうか」
かつての世界を思い返せば、確かにそうだったと、彼は納得する。
彼は、秩序維持政府とやらと戦っている反政府軍と、同じ立場の存在だった。
やむにやまれぬ事情があったと言い切ることは簡単だ。だから、そんな戦いを続けなくてもいい世界にするために、ミクトルは一万年前、戦場に赴いた。
「そういうところは、オレたちが生きていた時代と、あまり変わらないんだな」
「なんだか、残念そうね」
「当然だ」
少しだけ、苛立ったような態度で天井を見上げながら、ミクトルは答えた。
「オレは、十五で父から軍の総指揮を継いだ。当時はまだ反乱軍と呼ばれていたが」
時間的には一万年以上前だが、ミクトルの記憶ではたった三年程度前のことだ。
敵の攻撃で負傷した父に代わり、ミクトルは全軍の総指揮官として戦場に出向いた。
「力あるものは、立たなければならない時代だった。助けを求める者に手を差し出せば、必ず誰かが敵になる。その中で、オレは反逆者の王となった」
そうして、彼は戦いの終わりまで彼は反乱軍の総司令官として戦った。
最高戦力――覇王として。
その部下たちは、覇王に
以降、反乱軍は覇循軍と呼ばれるようになった。
「だが、いざ時代が変わっても、力は必要だ。何も変えることなどできなかったのか。それとも月日が経ち過ぎているだけなのか。……できれば後者であってほしいな」
遺跡での戦闘時とは打って変わったしおらしい雰囲気は、テーレに目の前の人物が本当に同一人物かと思わせるほどのものだった。
だが、これが彼の本来の姿なのではないかと、彼女には思えた。
話に聞く限り、彼は覇王と呼ばれるほどに強く、総司令官として戦いに身を投じてきた。それは彼の父親から受け継いだ職務だという。
否応なしに受け継いだものに相応しくあろうとした時、彼は本来の自分ではない自分を演じ続けたのではないか。
なまじ実力があったために、途中でやめることもできなかったのではないか。
「ミクトル、あなたは兄さんたちと戦っていたのよね?」
「……そうだな」
「でも、本当は、あなたは……」
戦いたくなかったのではないか。――と、言えるはずもなかった。
「お互い、父や祖父から、余計なものを背負い込まされたのかもしれんな」
ふっ、と笑ったその顔は、どこか諦めたようで、どこか嬉しそうで。なぜか、テーレには彼の気持ちが分かったように思えた。
「ま、少し位やんちゃな奴らがいる方が、オレも生き甲斐があるというものだ。この時代のゼミウルギア乗りがどれほどのものか、確かめてみるのも悪くはない」
一部撤回、とテーレは心の中で思う。今のは間違いなく本心だ。彼は戦いを楽しめる性格であると、彼女には確信できた。
「さて、奴らを巻き込んで話をした方がいいのだが、まだ客足は途絶えそうにないな」
「しばらく、上で待っていましょう。わたしも、兄さんたちに聞きたいことはいくつかできたわ。でも、その前に、あなたと話したいことがある」
冷凍睡眠から一万年。目覚めたら意外すぎる出会いが、目の前に転がってきた。
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