第三章 《目指す場所へ》-3

「オレが覚えている顔に比べて、ほとんど変わっていないのはなぜだ?」


 問いかけとともに、ミクトルは緑と紫の二重虹彩に力を込める。瞳の赤色をさらに強め、法力を集中する。そしてフェリンとアナイの深部、法力器官より溢れる法力をその瞳に映す。

 そこに、一万年前とは微妙に違う光景を見た。魂の在り方が、変わっていたのだ。

 だから、ミクトルは顔を会わせるまでフェリンの存在に気づけなかった。


「生まれ変わったというのか。勇者の力も、女神の権能も全て捨てて」

「そうよ。貴方は、私がフェリンをどう思っていたかは、よく知っているでしょう?」


 答え、逆に問いかけるアナイ。

 見た目の若さに対してどこか妖艶な雰囲気は、彼女が肉体年齢以上の記憶や経験を保有しているのだと、ミクトルに再認識させる。


「お前と初めて戦った時には、すでにお前らはそういう関係だったからな」


 肩をすくめたミクトルの表情は険しい。信じられない、という感情が剥き出しだった。テーレにはすぐには呑み込めなかったのか、疑問符を浮かべながら答えを導き出す。


「どういうこと、転生って、生まれ変わりってこと?」

「法力とは、この世界の法則に対する思い込みだ。人の生まれ変わりがあるのだと信じ、実行すれば本当に叶うときがある」


 つまり、フェリンとアナイは一度生まれ変わり、ミクトルの見覚えのある年齢まで成長した、この時代で二十年以上の時間を、すでに過ごしたということだ。


「あなたはそっちを試そうとは思わなかったの?」


 かつての時代、女神と呼ばれていた女からの問いかけに、ミクトルは首を横に振る。


「記憶の継承率が低いからだろう。だが、そもそもなぜ冷凍睡眠していたのか分からん」


 記憶の欠落を起こす転生。それを、この二人は実行した。

 しかし、ミクトルが選ぶなら今回の方法だっただろう。冷凍睡眠のほうが成功率は高く、記憶の欠落も起きにくいとされる。

 ――はずだったのだが。ともかく、フェリンとアナイが選んだのは、転生だった。


「わざわざ自らの魂を徒人ただびとに堕としてまで、一万年もの月日の果てになぜ転生した」

「いや、実はもうこれで五、六回目くらいだと思うんだよね」


 フェリンの言葉にミクトルは口をぽかんと開ける。

 こいつは何を言っているんだといわんばかりだったが、先に話が進められた。


「わたしたちにも、結構曖昧なんだけど」


 やはり記憶は引き継げなかった。そう前置きしてアナイは一万年前の状況を語り出す。


「私たちとあなたの戦いが終結した後も、世界は完全に平和とは言えない状況だった」


 大きな戦いの後に訪れる平和の時代。それを信じるから兵士たちは戦える。しかし、上に立つものほど、それが簡単にはやってこないことを知っている。

 特に、敵対していた者たちの間で結ばれた、和平というものの脆さを。


「だから私は自分の魂とフェリンの魂に、転生の法術を仕掛けたの。私たちが必要とされる時代に、私たちを転生させるように」


 それは、ある種の呪いのようなものでもあった。

 ヒトの世界に大きな災いが降りかかるたびに、二人は戦いへと駆り出されるために生まれ、育ち、戦いに向かうのだ。

 幾度も混乱の時代に生まれ、幾度も戦いに身を投じてきたのだろう。


「記憶を摩耗させ、自らの魂を削り落とす道だぞ……」


 それは、自分自身をノコギリで切り分ける行為に等しい。本来の自分を捨て、魂に安寧を許さず、世界の求めに応じて生まれ出る。


「どんな生まれ変わりをしたのかは朧気で、忘れたことも多いけど」

「あ、でも人類秩序維持政府の設立にも協力したわよね。まだはっきり思い出せるわ。だいたい千年くらい前だったわよね」

「ああ、四百年くらい前にも一回生まれたよね」


 軽く言うが、それはただならぬ道だったはずだ。


「戦乱のたびにお前は転生し、隣の女もそれについて回ったということか」

「君に、後の世界を頼むとかなんとか、言われたからね」


 なんということはない、そうさらりと言ってのける。誰かの平穏や幸せのためなら、平気で自分の魂も地獄の劫火の中に投げ入れる。


「ああ、そうだな。お前はそういう奴だったよ」


 だからこそ、この男は勇者と呼ばれ、女神から愛されるわけである。

 もしミクトル本人が頼んでいたのだとしても、そこにはただならぬ自己犠牲の精神があったことを、彼は痛感する。


「初めて俺たちが戦った時、配線する神選軍のためにお前は殿を務めた。絶対に生き残れるはずのない、囮として」

「あのときほど、戦場で生き残ることがどれだけ難しいのか、実感したよ」


 勇者と呼ばれたフェリンだが、その本質はただの人であることは彼もよく知っている。その隣にいた女神までが徒人に堕ちた原因は、間違いなくこの男の影響だ。


「頑張ったな、と言ってやりたいが、そもそもオレがなぜ冷凍睡眠になっていたのか、なぜお前らがそこまでのことをしたのか、まったくわからん」


 ミクトルの額を押さえる手の下で、眉間にしわが寄る。その顔は、ひどく苦しげだった。

 敵対者、とは言えある意味勝手知ったる仲でもあった二人に、そんな苦行を押し付けたのだ。少なからぬ罪悪感のようなものが、彼の首にまとわりつく。


「――オレが守った世界か……。オレの代わりに、お前たちに何を託した?」


 何が、この勇者と女神を突き動かしたのか。

 その問いに、彼らは肩を竦める。


「それを僕らも完全に忘れてしまったんだよね」


 笑うフェリンに、なんだそれは、とため息をつきながらミクトルは苦笑する。

 全員そろって、物忘れだらけで何一つ解決しない。


「それで、ミクトルはまだ、フェリン兄さんのことを、敵だ思うの?」


 笑い合う三人に向けて、テーレは恐る恐ると言った様子で問いかける。


「そうだな……」


 共通点がないと思っていたが知り合いだったいうのはまだいい。

 だが、敵同士だったというのだから彼女も気が気ではなかった。今のところ和やかな雰囲気が続いているが、ここからどうなるのか、彼女には予想できなかったのだ。


「かつての時代ならば、間違いなくここで戦っていてもおかしくはない」


 ミクトルが真顔で言ったその一言に、テーレは喉がぐっと詰まったような感覚がした。息が止まり、次に出てくる言葉を恐れた。


「オレは、フェリンと決着はつけていないのだろう。戦っていれば、どちらかが死んでいるはずだからな」

 フェリンはミクトルの言葉に動揺も困惑もなく、静かに答える。


「僕も覚えてる限りじゃあ、君と戦う約束はしたけど、戦った覚えがないんだよね」


 遥かな過去に置き去りにした、決闘の約束。それは一万年の時を超えて、再開できるときが来てしまった。


「その約束をしたとき、オレはお前とは戦っていなかったな」


 眠りにつく前の記憶、そこが失われ、ミクトルは困惑した。


「でも、その相手は誰だったっけ?」

「覚えていない。覚えられないほど脆弱な相手だったのか、思い出したくもないほど恐ろしい相手だったのか」

「私たちの中に残っていたのは、世界を守れというあなたの願いだけ。生まれ変わった先でどんな敵と戦ったのか、記録は残ってないから、なおさらわからないのよね」


 滑稽というべきか、無頓着というべきか。誰も敵に関して覚えていない。

 ただ目の前の相手は、もう命を奪い合う相手ではないということだけ、わかっていた。

 きっと何か使命はあったはずだ。だがそれは、長い時間の果てに消え去った。


「正直、君の民が今どこで、どれくらい生き残っているのか全然わからない。少なくともこの街に君と同種族の末裔は、住んでいないはずだよ」

「環境に適応できなければ、我が一族と雖も滅びの道を歩む、か」


 ならば、目覚める時代が一万年も先の予定だったかどうかは別として。仲間の誰もいないこの時代で何を成すかは、今の自分にしか決められない。

 覇循軍は、覇王に循う者たちがいて、初めて成立するのだ。少なくとも、一万年前の覇循軍は、もうすでに存在しない。


「君に従った獣人ハヨーフ族や、巨人アナック族、小人ガマッド族、他の種族の末裔は街にも何人かいるけど、偽神と呼ばれた君の一族の者は、見たことがない」


 偽神――かつて神と崇められ、新たな神の出現に伴い偽りの烙印を押された者たち。膨大な法術を持ち、人間に虐げられた者たちから請われて神と戦った。


「もしかしたら、彼らは偽神について何か知っているかもしれないけど、さすがに一万年の時間は長すぎるね」

「あなたが覇王であることを、テーレ以外に求めるヒトはいないの」


 アナイの言葉に、ミクトルとテーレは顔を見合わせる。

 たった一人の覇循軍。彼女だけが、今は覇王に循うのだった。


「ならば、それも一興。どうせやることも、今のところないしな」


 困惑した顔のテーレに向けて、ミクトルはどこか挑発的な笑みを浮かべた。せっかく異なる時代に辿り着いた。ならば、この状況に悲観するのは勿体無い。

 目の前の勇者と女神は、度重なる転生の果てに記憶さえも摩耗させながら、愛する人のもとに辿り着き、新しい人生を生きている。ミクトルにも同じことができるかと問われれば、首を傾げることになるだろう。だが、彼には彼だけのやれることがあった。


「新しい生、というもの悪くはないのだろうな」


 彼の言葉に、一瞬とは言え寂しそうに俯くテーレ。彼女にミクトルは視線を向けない。

 けれど、意識は向いていた。だから――


「テーレ、俺にはやることがない、と言ったな」


 突然向けられた言葉に、テーレの方はビクッ、と震えた。

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