第三章 《目指す場所へ》-4

「テーレ、俺にはやることがない、と言ったな」


 突然向けられた言葉に、テーレの方はビクッ、と震えた。


「え……、うん……」


 そのせいで、顔を上げたはいいが、答えた声は震え気味だった。

 やりたいことができた、と言われるのかと彼女の心は身構える。せっかく辿り着いた星征都市への手がかりが、指の間からすり抜けていくように思えたのだろう。

 不安そうな彼女に、ミクトルは大丈夫だと告げる。


「やることがないのは変わらない。ただそれでかまわんさ」


 その様子に、記憶をなくしたことへの不安や、寂しさはない。

 真っ直ぐに歩くことを決意した男の姿が、そこにあった。


「オレは記憶をなくしている。教えてくれそうだった奴も頼りにならない」

「だって記憶ってそう簡単に引き継げるものじゃないんだよ」


 フェリンの言い分を無視して、気にせず続ける。


「いいか、テーレ」


 体ごと横を向いたミクトルは、彼女の両肩に手を置いて、真っ直ぐに目を見る。

 そして、彼女が困惑する内容を一つずつ説明していく。


「お前が発掘したのは、一万年前に存在した覇王と呼ばれた男だ。それでこいつらはその時戦った相手の生まれ変わりで、勇者と女神と呼ばれていた」


 テーレにとって、この発掘は驚くべきことばかりだろう。

 まさか自分が古代式ゼミウルギアを発掘するだけではなく、その中に冷凍睡眠していた男を復活させ、しかも兄姉と慕う者たちの前世の知り合いだったとは。


「確かに忘れたことは思い出したいとは思う。だが、忘れる程度ということは大した記憶ではないのかもしれない。だから正直、あまり気にしていない」


 記憶を一部とは言え失っているのに、彼は大胆にも気にしていないと宣言する。

 それは決して虚勢や強がりではなく、今この瞬間に必要だと感じ得なかったからこそ、無理して思い出すほどのことではないと判断できたのだ。

 たとえ思い出したところで、すでに一万年も前のこと。記録さえもまともに残らない、はるか神話の時代の話。


「だから、過去の因縁だのなんだというは、どうでもいい」


 もしこれが、眠りについてから百年や二百年の話だったら、そうはならなかっただろう。しかし、一万年という時代は長すぎた。

 それは、偶然では済まされない覇王と勇者の奇跡の再開――という驚愕すべき出来事を、ただ驚愕しただけで終わらせるほどに。


「別にこの二人と争う気はないし、その必要もない」


 ミクトルにとって、優先すべき課題ではない。だから、この時代で目覚めさせてくれた者に報いる余裕は、いくらでもあった。

 テーレの探すべきものの情報に指先をひっかけることはできている。必要なのは、この幸運を受け入れるか否かの判断のみ。


「今のお前は我が臣下でありオレが主人だ! お前が何者であろうと関係ない! お前は、オレとともに星征都市へ向かう。いいな!」

「うん、当然!」


 即答。これほど幸運な発掘は他にないと、彼女は断言できる。

 ミクトルが、自分の保護者が、何ものであろうとやるべきことは変わりない。

 つまり、結果的に二人で旅に出ることに変わりはない。その途中で気紛れの寄り道が増えることぐらい、旅の醍醐味だ。

 安堵したような笑顔を浮かべるテーレに、ミクトルは誇らしげに笑う。

 何が道を遮るように横たわろうと、過去が襟首を掴んで来ようと、関係ないのだ。

 進むべき方向に、変わりはない。たとえ立ちふさがるものが、己の過去であろうと。


「基本的な探し物は一つ。それをどう探すかなんだけど……」

「あれがあるではないか。オレを見つけたアベスタとやらが」


 ミクトルはテーレの持っていたアベスタを手に取ると起動させる。そこに地図を表示する。この街と、さらにミクトルがいた遺跡までの部分を表示させた。


「まず、最初に向かうべきはオレの寝ていた遺跡だ。基地の機能が生きているのなら、なにかしら情報はまだあるだろう。そこから、他の遺跡を探せばいい」

「うまくいけば、星征都市に関する情報が得られるかもしれないのよね」


 それに今回の発掘では、取るものも取らず帰ってきてしまった。

 唯一の収穫である古代式ゼミウルギアはミクトルのものだから、実際のところ収入がゼロだったのだ。本来は遺跡で取得できる遺物や倒した防衛機構などを回収し、それを売ることで発掘師は生計を立てている。

 今回はボウズどころか彼女の愛車の大破という大損失。


「まずはコーダたちのゼミウルギアを回収して、今回の損失額を補填する。さらに星征都市の情報についても集める。――でいいわよね」

「そのうえ食費まで稼がなくてはならんか。世知辛いな」

「残念ながらあなたの臣下は一人しかいないので、頑張って稼ぎましょうね、覇王様」


 臣下からの皮肉気な言葉がミクトルの胸に刺さる。

 そう、現代によみがえった覇王は、ほぼ無一文の孤軍だった。

 先ほどテーレと話したように食糧問題には悩まされたことはある。特に反乱軍結成初期はそれが顕著で、覇循軍が本格的に機能してからは、そのあたりは部下に任せっきりだった。久しぶりに数字に悩まされることだろう。


「二人分の計算なら、楽なものだな」

「あなたの覇循軍もないわけだから、人数が少ない分いろんな仕事を覚えなくちゃね」

「部下がいなければ、メンテナンスも拠点を任せる相手もいないからな……」


 そう言ったところで、ふと思う。


「オレのいた遺跡がゼミウルギアの保管施設だとしたら、メンテナンスのための施設もあるはず。記録サーバーを探るついでだ。何はともあれ、あそこに戻ることだな」


 資金の元手となるものも、多く転がっているかもしれない。必要なら壊れて放置されたコーダたちのゼミウルギアをばらしてジャンク品にする。

 話を進める二人の間に、フェリンの手が待った、と差し込まれる。


「その前にテーレ。僕らにわからない点があるのだけれど」

「なんですか?」


 そういえば、とミクトルは気づくが、テーレは普段の会話に慣れているからだろう。フェリンたちの頭に浮かんだ疑問符に気づいていなかった。


「星征都市って、なんのことかな」

「あ……」


 その質問に、テーレはばつの悪そうな顔をする。

 反対されると思っていた。

〈流星の魔女〉は、星征都市を目指すと掲げたことで襲撃にあった。

 古代式ゼミウルギアを見つけ、そこからデータを得て古き都市を目指す。

 前者はまだ発掘師の掲げる目標としては普通だが、後者は明らかに危険に突撃する行為だ。現状実害が出ていないとはいえ、自ら罠に飛び込むのに等しい。

 じっとりと目を細めるフェリンとアナイに、いたたまれなくなったテーレは視線を反らす。二人の視線はゆっくりとミクトルにも向けられるが、彼は余裕の笑みを浮かべる。


「オレが一緒だ、心配する必要はなかろう。星征都市を目指したことで命を狙われたのだとしても、今度はオレがそうはさせん」


 事情を理解したフェリンたちは、ミクトルの堅い意志に頷く。


「確かに、ミクトルが一緒だと思えば、危険か安全か考えても安全が勝つかな……」

「ギルドのこととかほとんど相談してくれなかったけど、テーレちゃん、やっぱり諦められなかったのね」


 彼らも予想はできていたのだろう。娘のような少女が、危険を顧みず突っ走ることは。

 今回、それを実現させかねない大物が発掘されたのだ。

 しかも二人の相性は悪くないようで、話もとんとん拍子に進んでいく。


「やっぱり二人だけだと心配だなぁ……」


 フェリンの言葉は、完全に娘をよく知らないところに嫁入りさせる父親のような言葉だが、事実でもある。まだ十五歳のテーレと、この世界で目覚めたばかりのミクトル。親代わりではないにしても、心配だった。


「なら、少人数での不安をどうにかするものが、ギルドなのだろう」


 その提案は、ミクトルから発せられた。


「星征都市が何なのか、今はまったくもって見当も付かない。だが、より多くの者で情報を集めれば、断片的なものでも繋げて一つの答えにすることはできる」

「けど、当てはあるのかい? ここに、君の軍はないんだよ」


 フェリンの指摘に、その通りだと彼も頷く。

 かつて彼には力があった。覇王と呼ばれた者が率いる、神に反逆する者たちの軍勢が。

 だが、一万年前の戦いの後に眠りについた彼のもとには、一人として残っていない。


「ならば、また作り直せばいい。確かにヒトとヒトの繋がりなど、生糸一本より細く脆いものだ。だが、それも寄り合い紡げば、強い糸になる」


 何かを掴むように握った拳。それを見つめる眼は、どこか遠くを眺めているかのように、テーレには思えた。彼女の知らない何かを、彼は見つめていた。


「この時代で、紡ぎ直すのも悪くはない」


 それが、彼の答えだった。彼の眼が、テーレに向き直る。


「ギルドとは、どこかに組織することを申請したり、登録したりするものか?」


 早速始めるつもりらしい。一瞬面食らうテーレだが、すぐに答える。


「ええ。一応政府へは届け出をするものよ。遺跡の中には政府管理のものもあって、そこの発掘許可を出すのに、ギルド登録が必要なの」

「お前のギルドは、その登録からまだ弾かれていないのだな?」

「……ええ」


 同じ肯定でも、ずいぶんと声の調子は違う。返答までに妙な間もあった。

 含みのある答えにミクトルが疑問をぶつけると、彼女はため息交じりに答えた。


「ギルドの設立には、五人以上のギルドメンバーと、設立後は一定額の活動税がかかるのよ。メンバー数に応じて金額は変化するから、今うちのギルドは、わたし一人……」


 つまり、活動税に関しては最低額――五人分で済むということだ。そもそも発掘師ではないフェリンとアナイは〈流星の魔女〉の所属ではない。それ以前に、問題はまだある。


「壊滅状態になった七年前から、現在までわたし単体で活動してた時間が長すぎて、結構税金滞納してるの。だから場合によってはすぐにでも取り潰しになるわ」


 乾いた笑みを浮かべるテーレ。つまり、その取り潰しまでの猶予はない。


「二人を巻き込みたくなかったから、ギルドの話はしてこなかったのにね……」


 それにはフェリンたちも苦い顔をする。テーレのほうから助けを拒んでいる――というより、自分で解決したいと思っていたのだ。だからそれを尊重したかったのだ。

 かつて、同一の血族によって構成されたギルド。たとえ取り潰しの危機が迫ろうと、〈流星の魔女〉はその在り方を守り通したと、誇りを持てるように。


「だが、仲間が必要なのは間違いない」


 あまりにも正鵠を射た指摘だった。

 もし、ギルドの仲間がいれば、拠点から離れるものもいれば、滞在して守るものもいるだろう。安心感という点では、やはり仲間がいることは心強い。


「メンバーには当てがあるわけではない。しかし、オレの軍とて最初は成立するかどうかもわからない烏合の衆だった。そこから神と呼ばれた奴らを殺しかねん脅威にまで成長したのだ。集まれば案外どうにかなる時も、なくはない」

「比較される規模が少しおかしいんだけど。でも、そうね」


 苦笑いながら、テーレも納得する。


「ありがとう、ミクトル。まさかギルドのことを考えてくれるなんて思わなかった」

「地盤固めは必要だ。特に組織というのは簡単に構築することはできないからな。必要なときに協力者を募れるものがあるのは有利になるだろう」


 ギルドの集合写真に描かれた大きな建物は、襲撃のあった後に手放していた。

 だから残ったものはこの写真だけ。構成メンバーは現在たった一人。


「大変よ。わたし、それなりにおじいちゃんやギルドのことがあって有名な自覚あるけど、どちらかというと不吉な方向でなんだから」


 今一度、〈流星の魔女〉が襲われるのではないか。そう怯えるのは、当然だった。


「すぐにメンバーを増やそうとは言わんさ。だが拠点を持てることに越したことはない」


 一万年前だろうと、現代だろうと、どこかに拠点を持つことは重要だった。


「何よりな――」


 立ち上がった彼は、窓際の写真を手に取る。かつて存在したギルドの集合写真。それを見たとき、彼の口元が少しだけ緩む。

 何を思い出しているのか、それを見る三人にはわからない。

 けれど、きっと彼も古き仲間たち思い出したことだろう。彼女らはそう考えていた。


「覇循軍の復活もいいが、ギルドの立て直しもおもしろいかもしれんと思った」


 それはつまり――テーレが失ったものを、取り戻そうということだ。

 元の形に戻るわけではない。けれど、あの頃の姿に近づくことはあるだろう。

 その言葉を聞いて、テーレは一度伏せた眼を、フェリンとアナイに真っ直ぐに向ける。


「フェリン兄さん、アナイ姉さん」


 迷いのない澄んだ声で、二人に呼びかける。


「今までいっぱいご迷惑をかけてきました。無茶も言ったり、無理をしたり、心配させてきました……」


 黙って話を聞く二人の表情は動かない。眼は感情を隠すように半開きとなり、呼吸音さえ聞こえなくなる。


「今から、ギルド〈流星の魔女〉を再興していきます。いつか、みんなが本当の故郷に帰られるように……」


 一歩、進んだ。これまで動かなかった彼女のギルドについての問題が、覇王の登場で進んだのだ。そのことにフェリンもアナイも口にも表情にも出さないが、内心悔しかった。

 大切な妹――いや、娘が、誰かに貰われて行く感覚が沸き上がる。

 けれど同時に嬉しかった。止まっていた彼女の時間が動き出したのだ。


「気にする必要はないわ、テーレちゃんが頑張るんだもん。今まで通り私たちも応援するわよ。お姉ちゃんと、お兄ちゃんとしてね」


 アナイの迷いない言葉に、テーレは涙ぐみながら肯いだ。


「まさか元勇者の目の前で覇循軍復活の基盤造りを宣言されるとは思ってなかったけど。でも、やっと道が開けたんだね」


 彼もテーレについて言われている陰口のことは知っていた。だからこそ、この一歩がどれだけ大きい一歩なのか、よくわかった。


「じゃあ、ギルドについては届け出しないといけませんし、さっそく準備しますね」


 椅子から立ち上がったテーレは、てきぱきと準備を始める。アナイもそれの手伝いを始める中、フェリンに呼ばれたミクトルは、そろって先に外に出る。


「ねえ、ミクトル」

「なんだ、フェリン」


 ガシッ、とフェリンの腕がミクトルの肩を掴む。思ったより強く、そして若干の震えを伴っていた。今まで聞いたことない、冷たい声が聞こえてくる。


「テーレを泣かせることがあったら、本気でぶっ飛ばすからな」

「一度でもオレに勝ってから言え……と今までなら言っていただろうが、安心しろ」


 掴んでいる腕を外させると、真っ直ぐにかつての勇者を見ながら答えた。


「オレは神をも超えて――――」


 続く言葉に、フェリンは堪えきれなかった笑い声をあげた。

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