第一章 《初めまして新世界》-3

 人治歴――。

 神話の時代を遥か彼方に置き去りに。

 大空、大地、大海原の全てに跋扈する怪獣の絶滅を経て。

 数多の群雄割拠の戦乱の時代を断ち切った末に――

 ようやく、人類が手に入れた平穏の時代だった。

 実に千年以上の月日を超えて現在人類は、『人類秩序維持政府』によって統括されたこの世界は、千年の平和を享受していた。


「ふむ、ずいぶんといろいろあったのだな……ではない。なんだ怪獣とは」

「わたしもよく知らないわ。千年以上前の戦国期で多くの記録が失われたらしいけど、古代遺跡とかからも出土しているのよ。その巨大生物の骨が」


 見つかっているのなら仕方がない、と、男は乾パンを咀嚼する。それはテーレから貰ったもので、身に纏うぼろきれ同然のマントも彼女の車にあったものだ。


「オレの時代にそんな奴らは欠片もいなかったが、突然変異か?」

「あなたがどこまで本気なのか冗談なのかわからないけど、古代語も喋ってた。このゼミウルギアが古代式なのは間違いないし、信じないと……いけないのかしら」


 テーレは殴りつけた結果逆に痛めた拳をさすりながら、じっと彼を観察する。

 本当にこの男は、一万年も前の古代人なのか。最大の問題は、それだ。


「まずいな、このパンもどき。オレの時代よりまずい」

「きちんと食べ尽くしてる癖に文句言わないでよ」


 先ほどの彼女の頭部への接触で完全に言語を習得したため、会話はスムーズだ。


 ……スムーズだが。


「疑っているのか。オレが本当に、お前たちの言う神話の時代の人間なのか」

「残念ながらね。あの冷凍睡眠の経過時間だって、狂っただけかもしれないし」


 今、この時代がどんな時代なのか。ゼミウルギアの中から解凍された男に、テーレは持ちうる知識を差し出した。

 今が人知歴一〇二四年であること。千年ほど前の戦国期、多数のゼミウルギアを用いた戦争が発生し、それ以前の記録の大半が消失した。

 その中でもわずかに古代文明に関する情報は存在し、彼女らの傍らにあるゼミウルギアが、一万年ほど前に成立した技術で造られたゼミウルギアということがわかる。

 結果的に分かったのは、目の前の男は神話時代の出身であると主張していること。

 経過時間を明確に割り出す術はない。

 しかし、このゼミウルギアが遥か古代の技術で造られたのは間違いない。


「人治歴の間の記録ならまだしも、それより前となると、ほとんど記録は喪失しているのよ。平和って言っても、秩序軍と反政府軍の戦いはもう三百年近く続いているし、人治歴以前の記録なんてボロボロの古文書しか残ってないんだから」


 長い長い戦いの時代は、伝えられるべき歴史や知識というものを摩耗させ、焼失させる。彼女が語るように、今も一部地域とは紛争が続いているらしく、平和な時代であるとは言っても、全てがそうであるとは限らない。

 一度失われた技術は、そう簡単に復活させることはできない。それはともかく。


「それで、そろそろ教えてもらえないかしら。あなたが何者なのか」

「オレはオレだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 男は胸を張って答えるのだが、テーレにはため息以外に返すものがない。先ほどから、ところどころ会話が成立しているようで成立しない。


「むしろ、お前の方が何をしにここへ来た。どうしてオレを目覚めさせた」

「それに関しては……偶然の産物かしら」


 逆にされた質問に、彼女は少しだけ口ごもり、目を伏せる。

 確かにこの遺跡を見つけたのは、テーレの持つアベスタのおかげた。そして彼の隠された玉座を起動させたのも、同じく。その理由を彼女は男から逸らしかけた視線を戻し、真っ直ぐに告げる。


「わたしには、古代式ゼミウルギアが必要なの」


 絞り出すような声で、その言葉は発せられた。


「……今この時代、現代のものではだめなのか」

「だめ。わたしが必要としているのは、そのゼミウルギアが持つ技術と、データ」


 妙に深刻そうな雰囲気を醸し出すテーレに、男も声が低くなる。


「見たところ技術屋ではない。ならば学者であるとして、探し物か」

「発掘師よ。でもそうね、探し物だけど、変なもの引き当てちゃったなぁ……」


 はぁ、と肩を落とすテーレ。それに抗議したいのか、男はゴン、と床を叩く。


「変とはなんだ。これでもオレの名を知らぬのは赤子だけと言われたほどだぞ」

「いや、だからわからないって。一万年前の人間なんて、誰も知らないんだから」


 もっと言えば、二千年前であってもわからなかっただろうが。


「……かつては誰もがオレのことを恐れたものだったのだが、今では見知らぬ男ということか。伝承もほとんど残っていない。時とは残酷だな」


 寂しいような悔しいような。彼はそんな表情を一瞬する。

 テーレに向き合った古代人は腕を組み、高らかにその名を宣言した。


「オレはミクトル=シバルバ。かつて戦場において覇王と呼ばれた者だ」

「覇王……?」


 目を点にするテーレ。別に驚愕しているわけではない。

 驚きならすでにゼミウルギアからミクトルが出てきた時点でやり切っている。どちらかといえば、彼女は彼の言っている意味がわからないから、目を点にしている。


「ふむ、反応が薄いな。本当にオレは忘れ去られた存在なのか……」


 たかが一万年、と思いはしたのだが、ミクトルの想像以上に長い月日が経っていた。


「お伽噺や伝承の覇王って、悪者だから。あ、別に覇王って名乗るがおかしいってわけじゃないわよ。ただそう名乗るのって、大概がちょっと、その……イタい人だから」


 彼女も言いづらそうだったが、最後まで言いきった。

 紛争地域で活躍する傭兵の中には、戦神とか皇帝とか、様々な異名で呼ばれる者たちがいる。それは確かな実力者もあれば、見栄を張って噂を流している者だっている。

 総じて大半がお調子者なのだ。

 もしもミクトルが古代式ゼミウルギアの中から冷凍睡眠で目覚めてこなければ、テーレは彼の言葉に失笑を禁じ得なかっただろう。どちらにしろ困惑したが。


「なるほど。オレはお伽噺の住人と同じか」


 神話とお伽噺は親戚のようなものだ。大半が嘘からできているという意味で。


「とりあえずここを出ましょう。あなたは……どうしましょう」

「やれやれ、せっかくの覇王復活だというのに、祝いの盃もなしか」


 誰も自分ミクトルのことを知らないこの時代。一万年前は誰もが恐れたその力を、目の前の少女一人恐れない。斬新かつ不思議な状況だが、少々納得しがたい状況であった。


「古代のゼミウルギアを探していると言っていたな。ならば、教えてやれることがあるやもしれん。目覚めさせた礼に、一つ二つ教えてやらん事もないぞ」


 じゃあさっそく、とテーレは傍らにある古代式ゼミウルギアに触れる。


「このゼミウルギア自体は本物なのよね。推定でも、八千年、怪獣の跋扈した時代より前の技術で造られていることは、間違いない。この紋様は、法力を通す管よね」

「そんな初歩的な話か? いや、その通りだが、どのゼミウルギアにもあるものだろう」


 唯一確かなのは、この黒色のゼミウルギアが古代式であるということだけ。そして彼は、このゼミウルギアに乗っていた。

 それでもミクトルの存在そのものを疑わざるを得ないテーレに対し、さてどうしたものかと思う。

 考えを巡らせようとすると、ふいにミクトルの腹が、ぐぅぅぅ、と鳴った。

 その音を聞いたとき、テーレは仕方ないと思いつつ、彼に告げた。古代の覇王への質問攻めの前に、まずはすることがある。


「起こした人の責任もあるし、ご飯くらい出すわよ、一旦、腰を落ち着けましょう」


 ひとまず、彼女の拠点に向かうという話になった。

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