第三章 《目指す場所へ》-6
ミクトルたちの姿は、街の役所から食堂の中へと戻っていた。
ギルドへの新規メンバー加入の手続きは、滞りなく進んだ。
長い間、それまで一人だけだったギルド〈流星の魔女〉は、晴れて二人目のメンバーを獲得した。〝星征都市へ向かう〟――その荒唐無稽な目標を掲げようにも仲間のいなかったギルドに、ようやく一人だけ仲間ができた。
孤独な少女に手を差し伸べた古代の覇王、その物語の始まりは、とても静かなものだったかのように思えた。
「それが、どうしてわたしお風呂に入っているんでしょうか」
「これから先機会が減るでしょうから、いいじゃないの」
フェリンたちの家の風呂に、テーレとアナイの姿があった。
髪を結い上げ、手の間で泡立てるアナイの前に、テーレがお湯で体を濡らしながら座っていた。首を傾げ、なんとも湯気に包まれたこの状況に疑問を感じていた。
「本当はテーレちゃんが帰ってきた時点でお風呂に入れればよかったんだけどね。時間なくてごめんね」
「ううん。そんなことないよ。お腹は空いてたし、アナイ姉さんたちも忙しかったし」
アナイの手がテーレの背中を撫でる。発掘師と言う仕事上、汚れとは隣り合わせだ。大きな荷物も運ぶその腕を動かす背中には、確かな筋肉がついている。滑らかな指が、土埃に汚れた少女の肌を撫でる。
「にしても、昔に比べて、筋肉もついて、背も大きくなったわね。ついには彼氏まで連れてきて、子どもが育つのって早いわぁ」
「彼氏じゃありませんって! 一番アナイさんたちがわかってるんでしょ! ていうか、いつまでも子ども扱いしないでよ!」
「ふふ。彼のことは、フェリンのことほど覚えているわけじゃないけれどね」
背中を洗い終わると、今度は髪の毛を洗い始める。乾燥してゴワゴワしていた髪の毛が、するするとほどけていく。
「彼は王様として、すごく頑張っていたと思う。私は何度も彼と戦ってきたし、一度ならず撃墜されかけたし、彼の軍でも私たちの軍でもない敵と戦うために、協力したこともあった。信頼できるってことは知っているわ」
昔を懐かしみながら、楽しそうに過去を語る。
「ミクトルは、二人の敵だったのに?」
「時には味方以上に信じられたわ。敬意を持てる敵って、
髪についた泡を流し落とすと、今度はテーレがアナイの背中を洗う。
「彼が十五で反乱軍の総指揮権を継承した頃に出会ったから、かれこれ三年くらい戦ったのかしら。時々顔を見る機会があった程度だから、久しぶりに見ると成長していたことがわかったわ」
当時のアナイが、生物としてどのような存在だったかはテーレにはわからない。だがミクトルを単なる敵として見ていなかったことだっけはわかる。
「毎日顔を見ていても、七年経てば変わったのはよくわかるわ。ほんと、いつの間にか大きくなっちゃって」
テーレの成長を実感しているようで、アナイは感慨深そうに彼女を横目で見る。
「そんな、大きくなったって言っても……」
肩越しに見えるアナイの胸に、テーレの視線が向く。そこには、暴力的と言えるほどの双丘が盛り上がっている。
「ああ、そういえばミクトルの側にいつもいた子は、あなたにちょっと似ていたかな。おっぱいは大きかったけど」
「ふぐっ!」
テーレは腕で前を隠す。彼女はまだ成長途中というべき十五歳の少女だ。
あまり気にするところではないと自分に言い聞かせるが、視線は向いてしまう。勇者と呼ばれた男は当然、敵味方問わず魅了したであろう女神の肢体がそこにある。
「――って、ミクトルのそばに、いつもいた子?」
なんのことか。可能性の塊である自らの体のことより、気になるのはアナイの言葉だった。〈アスラトル〉は複座式――その理由が思い当たらないわけではない。
「あら、気になっちゃう? ミクトルのことが」
妖艶に笑うアナイに、テーレは顔を赤くする。
「そ、そんなことないです! い、一万年前の人間関係は、今の時代に関係ないし」
「そうね。私もぼんやりとしか覚えてないから。似たような髪ってことしかわかんない」
ふわっと笑うアナイは、自ら体と髪にお湯をかける。
泡を流したところで、テーレを後ろから抱きしめるようにして湯船につかると、揃って熱気に頬を上気させる。
「味方だった神々や、将軍たちの顔も忘れてしまうくらい、私とフェリンの記憶は朧げになってるの。それでもミクトルのことは、二人とも忘れてなかった。そして彼に関連する人物のなかで、最もよく覚えているヒトがいる」
それがテーレによく似た人物、と言うことだ。
「一万年前の時点で、彼女の消息は不明。私たちも彼女がどうなったのかわからないし、ミクトルと一緒に居なかったのなら、彼に尋ねる気はないわ」
「じゃあ、ミクトルがわたしを助けてくれるのって――」
常に傍にいたという女性の代わりなのではないか。そんな考えが頭をよぎる。背後に視線を向けたテーレに、アナイは首を横に振る。
「それはない。ミクトルはあなたに恩義を感じて、助けたいと思って、ギルドの復興を提案してくれた。彼のことを疑う要素はいっぱいあるかもしれない。でも同時に、信じられる理由も、テーレちゃんはいくつも知っているはずよ」
諭すような姉の言葉が、頭を撫でられるとともに体の奥へと染み込んでくる。
「ただね、星征都市に向かうって聞いて、実は私たちすごく不安なの。なんだかとてもよくない響きに聞こえるから。彼が一緒でも、すごく怖いわ」
「姉さん……それでも見てみたいんです。みんなが夢見た、わたしたちの故郷を。――わたしは、彼と一緒に」
自分を包む姉の腕を、テーレもぎゅっと掴む。告げた言葉の力強さに、アナイは微笑んで答える。
「わかってる。だから――応援しているよ。助けが欲しい時は、必ず呼んでね」
その後しばらく、二人は久しぶりの〝姉妹〟としての長風呂を楽しんだ。
そのころ、ミクトルはフェリンの出す茶をすすっていた。
「ごふゎっ!」
「人間の出す音じゃないね。そんなにまずかったかい、
ミクトルが盛大に吹き出したのは、白いカップに注がれた黒い液体だった。眉間に皺をよせ、唇の端から零れたものを腕で拭き取る。
「な、なんだこの苦いインク? 黒蜜? イカスミ?」
「栽培している人に失礼だな。人の話を聞かないからそういう目に合うんだよ」
豆を挽いて作った粉から抽出した飲み物――というのはミクトルにとっては初めての経験だった。葉っぱから作ったお茶しか経験がなく、予想以上の苦みに吐き出した。
呆れた様子のフェリンを睨みながら、カップを口から離し、顎に溢れた分を拭う。
「現代人は、こんな泥水みたいな苦いものを毎日飲むのか。焦げ臭くて苦いだけで、美味ければ呑むとは言ったが、本気でまずいぞ」
「いや、君に飲ませたのは特に苦いやつ。本当に美味しいやつはもっと匂いもいいよ」
「毒でも飲ませたつもりかお前は! 効かんがな!」
ガチャン! とカップとソーサーが鳴るが、割れはしない。絶妙な力加減だった。
その後差し出された二杯目は何の苦も無く飲み干した。唇の端が釣り上がり、匂いを吸い込む姿勢もどこか様になる。
そんな珈琲で一喜一憂する覇王を眺めながら、フェリンは呟く。
「娘を送り出した父親の気持ちって、君には……わからないよね」
どこか哀愁漂うような雰囲気に、ミクトルは飄々と返す。
「ん、そういうお前はあるのか? あの女との娘でもいたか?」
「覚えている限りはいないよ。アナイとは、子どもをつくった覚えがない」
その言葉に、ミクトルは少し視線を逸らした。転生を前提として生きるのなら、子孫と他人となり、時には敵対する可能性も考慮しなくてはならない。転生した時代で子殺しの咎を背負うような真似は、彼らができるはずもない。
そこまで把握した時、彼はバツの悪そうな顔をする。
「すまん、軽率だった」
「かまわないさ。ただ僕たちは、多くの人間たちの生き様を見て来た。アナイとは転生した先でも結婚はしていたから――アナイの当時のお父さんにご挨拶に伺ったことは何度かあるよ」
つまり、娘を送り出すことを経験した父親は何度も見ているということだ。しかも律儀にその時代その時代ごとに、結婚という関係性も繰り返したという。
「生真面目な奴だ。女神よりもいい女なら、他にもいそうだがな」
「そんなことないさ。彼女は僕の勝利の女神で、導きの標だ。彼女が一緒じゃなくちゃ、自分の進む道筋さえ、僕は決められなかった」
「導きの標、か……。あれば鬱陶しく思え、なければ寂しく思う、か」
豆を炒る匂いは、戦場で草木が焼けた時の匂いに似ている。無論こんな穏やかな香りではない。殺伐として乾いた死を伴う臭いだった。
「数多の戦場、幾度とない戦い、その中で進むべき方向を違えなかったのは、奴がいたからか」
「テーレには、伝えるつもりなのかい。彼女のこと」
フェリンの指摘に、ミクトルの眉間に皺がよる。口はへの字に曲がり、不機嫌そうな表情となった。
「必要は……ないだろう。奴はもうどこにもいない。テーレは、奴ではない」
断言するミクトルに、フェリンは肩の力を抜いて微笑む。
「そっか、君がそう思ったのなら、それでいいと思うよ」
過去で生きていたものは、ただの思い出でしかない。
「過去の影を追うつもりはない。奴が発掘師という、過去を見ながら未来のために生きるのなら、オレも過去を押し付けるつもりはない」
たとえ覇循軍の生き残りの子孫がいるかもしれなくても、今の時代にまでミクトルに従う必要はない。未来は、過去を踏まえた現在が創る。
ならばこそ、過去の因縁も関係も、今この瞬間は関係なかった。
「改めて、任せるよ。あの子の未来を」
「星の半分を率いて神と戦った男には、愚問だな」
自信たっぷりに返すミクトルに苦笑しながら、フェリンはポットを示す。
「その通りだ……。これから遠出するのなら、珈琲、持っていくかい?」
「二杯目の奴なら、貰って行こう。料理も含め、いい味だった」
その後しばらく、男同志の―― 一万年前のライバルによるお茶会は続いたのだった。
その中で、ふとミクトルは思った。
「そういえば結局、オレたちの軍はどっちが勝ったのだ?」
「……引き分けなんじゃない? 和平だから」
「それは何か、納得がいかんな」
不満そうな顔をするミクトルに、フェリンはイタズラ小僧めいた笑みを浮かべる。
「現代って結構面白いゲームが増えたんだ。それで決着をつけないかい?」
転生しようが冷凍睡眠から復活しようが、彼らがライバルという存在で合ったことには、変わりがないのかもしれない。
結果夜更かししそうになった二人は、揃ってアナイから叱れるまで、盤上の遊戯に熱中するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます