第27話 祭りのあと

 文化祭時には封鎖されるプール前。人気ひとけのないここは絶好の待ちあわせ場所だ。


「誠汰くん!」


 夕愛は俺の姿を認めると、ぴょんと飛びあがるみたいにして手をあげた。


 そしてタックルするみたいに胴に抱きついてくる。


「ぐふぅ!?」


 予期せぬ衝撃に肺の空気が一気に押し出され、視界がちかちかする。


 しばらく痛いくらいぎゅっと抱きしめられたあと、身体を離した夕愛はなぜかちょっと泣きそうな顔で言った。


「誠汰くぅん……!」

「な、なに……?」

「頑張ったねえ……!」


 と、感極まったように顔をくしゃっとさせた。目尻に光るものがある。


 夕愛が喜んでくれた。それだけですべてが報われた気がした。やってよかったと心の底から思えた。


「緊張に耐えてよく頑張った。感動した!」

「なんか聞いてことあるなそれ」

「あの大人しい誠汰くんが文化祭の舞台に……。わたしの知らないあいだに立派になって……」

「なんでちょっと恩師の立場なんだよ」

「どんなご褒美がほしい?」


 ――褒美、か……。


 ねぎらいの言葉だけで満足していたから、そんな発想はまったくなかった。


 夕愛は恥ずかしそうに指をもじもじさせた。


「なんでもいいよ。誰も見てないし……」

「『なんでもいい』?」

「え?」

「本当になんでもいいのか?」


 俺は夕愛の顔を覗きこむ。彼女は気圧されたみたいに一歩後ずさり、壁に背をつけた。


「う、うん」


 ちょっと怯えたような、でもなにか期待するようなまっすぐな瞳だ。


 身体の芯が痺れるような快感を覚えた。多分、まだ俺の中に『颯人』が残っていて、そいつが俺に大胆な行動をさせている。


「じゃあ」

「……」

「文化祭、一緒に回ろう」

「………………へ?」


 夕愛はきょとんとした。


「文化祭を……?」

「そう」

「それだけ?」

「そうだけど」

「そんな肉食系の顔して、お願いの内容はかわいいんだね」


 じとっとした目つき。


 しょうがないだろ。いくら颯人が俺の中にいるとはいえ土台は俺なんだから。


「でもいいの? ひとに見られるよ?」

「どうせ誰も見てないさ」


 やはり気が大きくなっている。唯一、夕愛に変な噂が立たないかは気がかりだが――。


「なにか言われたら、ぼっちでかわいそうな先輩を案内してやったって説明すればいい。半分以上事実だしな」

「ん~……。まあ、誠汰くんがいいなら。じゃ、行こ!」


 と、腕を組んでくる。


「く、くっつくのはやめとこうか」

「もう! 肉食なの草食なの? どっちなの!」


 夕愛はむくれた。






 どこを見て回ろうかなどと相談しながらぶらぶら歩いていると、外から重低音が聞こえてきた。


「なんだ?」

「そうだ、バンド」


 夕愛の目が輝く。


「野外ステージで軽音部がってるはずです」

「や、『演ってる』?」


 なんだその玄人っぽい言い回しは。


「なにすっとぼけた顔をしてるんですか。行きましょう!」


 俺の手をつかみ、駆けだす。その様はまるで、太鼓の音が聞こえてきて居ても立ってもいられなくなった江戸っ子のようだ。


 玄関から外へ飛びだすと、音はより大きくはっきりと聞こえてくるようになった。俺たちは小走りで音のするほうへ向かう。


 野外ステージはグラウンドの手前の土手に設置されていた。プロのアーティストがコンサートで使うステージと比べると一回り――いや四回りも五回りも小さいが、ちゃんと屋根もあってけっこう立派だ。


 ステージ上のバンドメンバーは同じデザインの黒いシャツを着ている。観客も五十人くらいだろうか、盛況とはいわないまでもそこそこ集まっている。俺たちもその中に混ざった。


 ボーカルが次の曲名を告げる。前のほうに陣取っている観客から黄色い声援が飛んだ。けっこう人気らしい。


 ドラムがハイハットでカウント。地響きのようなベース。耳をつんざくようなギターの調べ。ボーカルの声はまるで少年のように高い。


 激しいロック。たしかオルタナティブロックとかいわれているジャンルだと思う。


「うきゃー!!」


 さっきのより甲高い声がした。しかしそれは前に陣取ったファンたちからではなく、すぐ隣――つまり夕愛から聞こえてきた。


「ひょー!!」


 彼女は奇声をあげ、飛び跳ねたり、激しくヘッドバンギングしたりと、全身で音楽を楽しんでいる。


 ――すげーな……。


 俺は怖くてライブになんて行ったことがない。聞いた話によると、興奮した観客が飛び跳ねたり身体をぶつけ合ったりするらしい。ちょっとついていけない文化だ。


 しかしまあ、心底楽しんでいるひとを見ると、こちらも楽しい気分になるものだ。


 前のほうでさっきのファンたちも夕愛に負けじと歓声をあげ、縦ノリをする。やがて静かに観ていた客たちも身体を揺すったり手拍子をしはじめた。すると軽音部の演奏もさらにノッてくる。


 夕愛の発した熱が会場全体に伝播した。


「ははっ」


 思わず笑ってしまった。馬鹿にしたんじゃない。すごすぎて笑えたのだ。ああ、やっぱり彼女には敵わない。


 軽音部の演奏が終わり、俺たちは会場を離れた。


「いやー」


 満足げな表情を浮かべていた夕愛が急に頬を赤くし、手で顔を覆った。


「ちょっとわざとらしかったかも……」

「わざとって、なにが?」

「すごくいい感じだったじゃないですか、軽音部」

「だな」


 俺は素人だが、かなりうまかったんじゃないかと思う。


「なのにお客さんが静かで。だから『わたしが盛りあげないと』って」

「なにその使命感」

「音楽なんて頭空っぽにして楽しんでなんぼじゃないですか。でもみんな固かったんで、誰かが先頭に立ってバカにならなきゃと思って」


『でもそれが夕愛である必要はない』


 そう言おうとしてやめた。そこで身体が動いてしまうのが夕愛なのだから。


「夕愛でもそんなふうに後悔するんだな」

「しますよ、そりゃ。――最近はいつも」


 夕愛も俺と同じなんだ。近ごろ感じていた寂しさがすうっと消えていく。


 隣を歩く夕愛から視線を感じた。じっと俺を見ているようだ。


「なに?」

「い、いえ」


 慌てて顔を逸らす。そしてぼそぼそと言った。


「……また後悔しそうです」


 なにを? そう尋ねようとした瞬間、


「そ、それにしても!」


 と、すっとんきょうな声で遮られた。


「劇、よかったです。やっぱり誠汰くんの声、すごく聞きとりやすかった」


 ――でもセリフが飛んだしなあ……。


 いま思いだしても冷や汗が出てきそうだ。


「とくに最後の告白がめちゃくちゃエモかったです。『あれ? 颯人と遥がくっつくどんでん返し?』って思いましたもん」

「あれは……」

「あんな告白、わたしに言ってくれてもいいんですよ?」


 と、悪戯っぽく微笑む。


『お前に言ったんだよ』


 喉まで出かかった言葉を俺は飲みこんだ。


「どうしたんですか?」


 急に黙った俺を夕愛は怪訝な目で見る。


「い、いや……。それより、コッペパンはまだ余ってるかな。テイクアウトで食べようか」

「お買いあげありがとうございまーす! ご一緒に食べてもいいですか?」

「ハンバーガーショップの店員みたいなノリで奢られようとするな」

「ふふっ」


 うまくごまかせた。一時の勢いとテンションに任せて言うべきことじゃない。


 それが正しい。それが真っ当。そう確信している。


 とはいうものの。


 ――後悔しそうだな……。


 そうも思った。

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