第40話 おうちデート2

 夕愛はお願いの内容を口にした。


「明日の練習をさせてもらいたいなって」


 明日って――。


「会食の?」

「はい。婚約者の松方さんの写真を見せてもらったんですけど、すごく真面目そうなひとだったんです。だから、なにを話せばいいの分からなくて……」


 自信なさげに言う。


「いつもどおり、俺と接するみたいな感じでいいだろ」

「だ、駄目ですよ! 嫌われちゃう!」

「嫌われるようなことを俺にしてるのか」

「じゃなくてえ! 誠汰くんは特別だし……」


 あまりフォローになっていない気もするが、『特別』と思ってもらえていることが嬉しくてどうでもよくなった。


「で、どうすればいい?」

「じゃあ誠汰くんは松方さん役をやって。わたしはお母さんやるから」

「分かった」


 ――……ん?


「いやいや! 夕愛は夕愛役をやらないと!」

「でも、誠汰くんが他の女とくっつくなんて、考えただけでも奥歯砕けそう」

「顎の筋肉すごいな」


 ワニかなにかか。


「というか俺、松方さんって知らないし、シミュレーションにならないと思うけど」

「そっか……。じゃあ、質問を何個か考えてきたんだけど聞いてもらっていい?」

「それならまあ」


 夕愛はスマホの画面を見ながら言う。


「ご趣味は?」

「お見合いか」

「好きなタイプは?」

「お母さんだろっ」

「ファーストキスは何歳?」

「破談させたいのか!?」


 俺は呆れてため息をついた。


「思いのほかひどいな……」

「だって、恋バナ以外思いつかなかったんだもん……。真面目な話、苦手だし。歳も離れてるし」


 ふてくされたみたいに下唇を突きだしててうつむく。


 コミュニケーション強者の夕愛がこうなってしまうなんてちょっと意外だ。でもたしかに、杏樹さんの婚約者なら四十代、下手をすれば五十代だろうし、共通の話題も少ないだろう。


 まして夕愛には父親がいない。もしかすると歳の離れた男性に苦手意識があるのかもしれない。


「でも実際、恋バナは悪くないんじゃないか? 馴れ初めを聞くとか」

「なるほどー。さすが年の功」

「一歳しか変わんないだろ」

「あとは?」

「あとは……、生い立ちとか家族構成とか」

「ふむふむ」


 夕愛はスマホにメモを入力する。


「それから、休みの日になにをしてるかとか」

「『ご趣味』だよねそれ。わたし合ってたんじゃん!」

「ま、まあ、どうせボケたことを言ってくると思って勢いでツッコんでしまったところはある」

「わたしそんなふうに思われてるの……? ショック……」


 と、肩を落とす。


「す、すまん」

「嘘ーん」


 夕愛は某夢の国のネズミみたいに両手を開いてぺろっと舌を出した。


「そういうところだぞ……!」

「ふふっ」


 してやったりみたいな顔で夕愛は笑う。俺も釣られて笑った。


「そんな感じでいいと思うぞ」

「そんな感じって、どんな?」

「そんな感じはそんな感じだよ」

「だから、どんな?」


 俺は目を逸らした。


「そのままだよ。夕愛らしく振る舞えばいい。それが一番、可愛かわっ――。あ~……、印象がいいと思うから」


 そして皿の上のクッキーを乱暴に口へ放りこんだ。わざとぼりぼりと音をたてて噛む。


 夕愛は黙ってココアをすすっている。耳ざとく俺の言い直しに気づき、鬼の首をとったみたいにからかってくると思ったのだが。


「わたしらしく……」


 カップを置いた夕愛がつぶやくようにぼそりと言った。


「本当に、わたしらしいのが一番だと思いますか?」


 いつもとは違う暗いトーンの声色に俺は戸惑う。


「え? ま、まあ、そう思うけど」

「もしそれで嫌われたら?」

「いや、嫌わないだろ、それくらいで」


 夕愛の瞳が揺れる。不安、というよりは、なにかに怯えているように見えた。


「でももし、お母さんに――」


 ――杏樹さんに?


 松方さんに嫌われるって話じゃないのか?


「なんで杏樹さんに嫌われるんだよ」

「だって、お母さんの期待に応えなかったら――」


 と、言葉を詰まらせた。


 杏樹さんの車で家まで送ってもらったときのことを思いだす。


 久しぶりに会った娘へ、今までの分を取り返そうとするみたいに愛情をそそぐ杏樹さん。


 それに応えようと、すべてを受けいれる夕愛。


 それから、前に聞いたお兄さんの話。杏樹さんが仕事で家を空けることが多くなったころから、夕愛の様子がおかしくなりはじめた。


 杏樹さんと話した直後にはまとまらなかった思考が一本の筋となり、腑に落ちる。


 やはり、今の夕愛を形成したのは杏樹さんの存在だ。


 杏樹さんの期待に応えることで愛情を感じていた夕愛。杏樹さんが忙しくなり、その寂しさを、彼女の容姿に惹かれて寄ってくる男で埋めた。『期待に応えること』でしか愛情を得る方法が分からなかった夕愛は彼らに尽くすが、遊ばれては捨てられるということを繰りかえした。おそらくそういうことではないだろうか。


 身体に合わない衣服を身につけ、ずっと靴擦れしたまま夕愛は歩いてきた。そんな彼女に俺はどうすればいい?


「そんなことで夕愛を嫌ったりしないだろ」

「でも残念がったり悲しんだりはするかも。それが嫌なんです……!」

「残念に思うことも悲しむことも杏樹さんの気持ちの問題だ。杏樹さん自身が解決すべきことで夕愛がケアする問題じゃない。そんなふうにすべてのひとに配慮していたら身がもたないぞ?」

「でも……!」

「世界中にはいろんなひとがいる。そのままの夕愛を嫌いなひとはいるだろうけど、それと同じかそれ以上に好きというひともたくさんいるはずだ」

「……やっぱり、慰めるの下手ですね」

「え?」

「世界中のひとなんてどうでもいいんです! ただわたしは……!」


 感情が高ぶり、声を詰まらせる。そして急に立ちあがり、なにを思ったか夕愛はカーディガンのボタンをはずして脱ぎ捨てた。


「……夕愛?」


 俺の問いかけに答えず、夕愛はブラウスのボタンにも手をかけた。

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