第39話 おうちデート1

『今度誠汰くんの家でおうちデートしたいな』


 チャットアプリに夕愛からが連絡が来たのは、例の会食が数日後に迫ったある日のことだった。


『いつ?』

『土曜日大丈夫?』


 ――土曜日か……。


 たしか杏樹さんの婚約者との会食があるのはその次の日だったはず。大切なイベントを前に緊張をほぐしたいといったところだろうか。


 それでなくとも最近の夕愛はなにか悩んでいる様子だ。できるだけそばにいてやりたい。しかし土曜日は両親とも夜まで仕事で留守。つまり夕愛とふたりきりになる。


 出会ったばかりのころの出来事が頭をよぎり、返信をためらう。


 ――いや。


 今とあのときとでは状況が違う。過度な接触は禁止しているし、なにより、最早あんなふうに気持ちが一方通行になるような浅い関係ではない。と思う。


『大丈夫』


 俺はあまり深く考えず、そう返事をした。





 そろそろ夕愛が遊びに来る時間だ。俺は自分の部屋を指さし確認で最終チェックした。


「床、よし。机、よし。棚、よし。クッション、よし――」


 少し早起きをして部屋の掃除をした。肌寒い中を歩いてくる夕愛のために温かい飲み物――念のためコーヒー、紅茶、ココア、緑茶と取りそろえた――も用意してある。クッキーやせんべい、ナッツなど、飲み物に合いそうなお菓子も。


 準備は万端だ。


「ベッド、よし」


 シーツのしわひとつなく整えられたベッド。


 ――い、いや、万端って、そういう意味じゃないぞ? これはついでというか、他が整理整頓されてるのにここだけ雑然としてたらおかしいからきれいにしただけであって、深い意味はなく――。


 そのとき呼び鈴が鳴り、


「すすすいません!!!」


 俺は謝罪の言葉を口走っていた。


 夕愛が来たようだ。俺はどたどたと階段を駆けおり玄関のドアを開けた。


「いらっしゃ、い……」

「こんにちはー」


 小さく敬礼するみたいに手をあげる夕愛。そのファッションはブラウスにカーディガン、そしてロングスカート。つまり『夕愛、清楚バージョン』だった。


「今日は寒いねー。ほら」


 と、俺の首筋に触れる。自販機から出てきたばかりのペットボトルみたいな冷たさだ。


「ひょおっ!?」

「『ひょおっ』って」


 夕愛はくつくつと笑った。


 ファッションは清楚バージョンだが言動はいつもの彼女だ。前みたいに清楚デートをするわけではないらしい。


「今日はなんでその格好……?」

「これ、明日着ていくのにお母さんが用意してくれたやつなんです」

「会食に? そんなの着てきて大丈夫なのか?」

「まず誠汰くんに見てもらいたくて。――どうですか?」


 と、上目遣いで俺を見る。


 夕愛の容姿は言うまでもなく、さすがアパレル会社の経営者が選定したコーディネートだけあって、このままファッション雑誌に載っていても違和感がないくらいの完成度だ。


 しかし『似合う』という言葉はなんとなく使いたくない。


「いい……、着こなしだと思う」

「ふふっ、ありがとうございます。露出が少なくて残念かもですが」

「そ、そんなことは」

「ところで、入れてもらっていいですか? 身体が冷えちゃって」

「あ、すまん。入って」

「お邪魔しまーす」


 夕愛には先に部屋に行ってもらい、俺は台所に向かった。


 ――なにを飲むか聞かなかったな。


 まあココアが無難だろう。ココアを淹れたカップふたつとクッキーをお盆に載せて、慎重に階段を上る。


 ドアを開けると、夕愛がこちらにお尻を突きだしてベッドの下に手を突っこんでいた。彼女は慌ててクッションに正座しにこりと微笑む。


「誠汰くん遅かったね。待ちくたびれたよ」

「とても充実していたように見えたがな」

「なんのことかなー」


 口をとがらせて息をしゅうしゅうと鳴らした。


 ――口笛下手だな!?


「しらばっくれてもネタは上がってる」

「この前ここに来たとき調べ忘れたと思って」

「『男子の部屋に来たらベッドの下を探る』はべつに通過儀礼じゃないからな?」

「知ってるって! あれでしょ、ほら、なんて言ったっけ……。――そう! 様式美!」

「でもない!」

「でも、まだ見ぬ誠汰くんの性癖を開拓したいと思って……」

「コロンブスみたいに言うな」

「もう! そんなのどうでもいいじゃないですか。それより、ココアありがとうございます」


 俺は小さな丸いテーブルにお盆を置いた。


「さあ、わたしの正面に座って」

「ああ」


 もとからそのつもりだ。俺はクッションの上にあぐらをかく。


「おいしいお菓子と誠汰くん……。これで準備が完了しました」

「準備?」

「ちょっと協力してもらいたいことが」

「いいけど、なに?」

「内容も聞かずに? すごくエッチなお願いをするかもよ?」

「も、もちろん内容によるけど」

「冗談ですよ。――残念ですか?」


 と、挑発的な笑みを浮かべる。


「そんなことはない!」

「今日は真面目なお願いなんです。ごめんね?」

「だから俺はべつに……! それよりお願いってなに」

「はい。実は――」


 夕愛はお願いの内容を口にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る