第26話 アドリブ
――夕愛……?
劇に誘ったらすぐに『絶対に行きます!』と返事をくれた彼女。だから客席のどこかにはいるはずだ。
しかし輪郭がわからないくらいほの暗い客席で、ほかの客の顔は判別できないのに夕愛だけはっきりと確認できるなんてそんなことあるはずがない。窮地に追いつめられた俺の脳が見せた幻――。そう考えるのが妥当だ。
しかし、それならそれでいい。俺は口を開いた。
「俺は――」
考えながら、ゆっくりと話す。
「憶病で、傷つくのが怖いから、ひとりでいいやって斜に構えてた。ふつうの高校生活を送るなんてあきらめてた」
俺の視線は石神さん――その肩越しにそそがれている。
「でも、お前が……、お前のおかげで、俺も世界とつながってるって、世界の一部なんだって思えたんだ。お前がいなかったら、一生こんな気持ちになんてならなかっただろうな」
俺は一度深呼吸をした。
「俺はお前が――」
石神さんはぽかんとしている。その表情ではっと我に返った。
舞台袖では日吉さんがスケッチブックを掲げている。そこには走り書きで『フラれんかい!』とあった。
そうだ、この場面は颯人が思いを断ち切る場面だ。極度の緊張と混乱で変なテンションになってしまったようだ。
なんとか軌道修正しなければ。
――ええと……。
『お前が――。……どんな道を進んでも応援する。こんな俺を見捨てなかったお前への、せめてもの礼だ』
ちらと袖を見ると日吉さんが高々とサムズアップしている。なんとかあとの展開へつなげることができたようだ。
俺は石神さんに背を向けて舞台袖へと歩いた。
舞台裏に到着したとたん、立ちくらみみたいに膝から力が抜けてしゃがみこんだ。
正直、そのあとの記憶はおぼろげだ。精も根も尽き果て、ラストに向けて動き回るクラスメイトをぼんやりと眺めているだけ。まるでビデオカメラにでもなったかのようだ。
促されるまま舞台に上がって監督と演者たちとともに頭を下げる。
幕の下りた舞台で静かに喜びあうクラスメイトたち。それをぼうっと眺めていると、日吉さんがつかつかと近づいてきた。
「ご、ごめん、俺……、セリフを」
「いいって。むしろなんかいい感じだったし」
と、背伸びするみたいに右手を挙げた。
「……え?」
「『え?』じゃないでしょ。ハイタッチに決まってるじゃん」
「あ」
日吉さんの小さな手に手で触れる。彼女は破顔した。
「やったよね、わたしたち」
わたし『たち』。その言葉が胸にじんわりと染みこんできて、込みあげてくるものがあった。さすがに泣きはしないが、しかし、まあ、悪い気分じゃない。
「でも出間くんのセリフ、やばかったよね」
ヒロインの遥役だった石神さんが言った。
「え、あ、やっぱり変だった……?」
「じゃなくて」
彼女はなぜか照れたように視線を泳がせた。
「なんかその……、妙に情熱的というか、真に迫ってたというか。だから、颯人と付きあうようにシナリオが変更になったのかと本気で思っちゃった」
日吉さんがにやりと笑う。
「あんな告白されたいんだ?」
「そんなことは……! ……なくはないけど」
「じゃあもう出間くんと付きあえば?」
「なんでそうなるの!?」
日吉さんは俺を見た。
「出間くんはどう? 石神、けっこうかわいいと思うけど」
「え? ええと……、ごめん」
「わたしヒロインなのになんでフラれてるんだろう……?」
憮然とする石神さん。周囲からくつくつと笑いが起こる。
日吉さんがぱんと柏手を打った。
「さ、オチもついたし、大道具を片付けて撤収」
きれいになっていく舞台。これで本当に終わり。
まさか俺がここに立つなんて考えてもなかった。これからはもっと勇気を出して、みんなと――なんて、人間はそんなに急に変わらない。楽しかったとは思うが、緊張した、ようやく終わってくれたという気持ちも同じくらいある。
ひとにはそれぞれ性質がある。やはり俺は人前で堂々とパフォーマンスできるタイプじゃない。でも、なにもやらずにそう思いこむことと、やってみてそう結論することには大きな差があるような気がする。
こういうイベントに進んで参加しようとは思わないが、たまにならちょっと顔を出してもいいかな。まあ、それくらいの感じだ。上出来だろ、俺にしては。
教室で衣装を制服に着替え、自分の席に腰を下ろした。精神の疲れが身体にまで影響を及ぼしているのか、だるくてしかたない。
そんな状態なのに、なんだか無性に夕愛に会いたい。俺はスマホのチャットアプリで彼女に連絡を入れた。
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