第25話 飛んじゃう

『てめえか。はるかの周りをうろちょろしてるって奴は』


 ドスを利かせた俺の言葉に、主役のひとり――朋也ともやは怯えた表情を浮かべる。


『い、いや、僕は』

『遥がてめえを助けたのは、あいつが優しい奴だからだ。勘違いしてんじゃねえぞ』


 本来は事故で死ぬはずだった朋也を遥が時間跳躍で救ったことから始まる青春ラブストーリー。俺は遥のやんちゃな幼なじみで、実は遥のことが好きな颯人はやとの役。


 重要な役どころではあるが、話は主に遥と朋也の爽やかで甘酸っぱい関係に主眼を置いていて、出番はあまり多くない。


 序盤の登場シーンをこなし、俺は舞台裏にはけた。


 身体が熱い。俺は用意されていたハンドタオルで顔と首筋の汗を拭き、ミネラルウォーターで喉を潤した。


 思ったより緊張はしなかった。強烈な舞台照明で逆光となって客席はまったくといっていいほど見えず視線は気にならない。そもそも演じるのに精一杯で周りのことを気にする余裕なんてなかった。


 日吉さんがダンスをするみたいに身体を上下に揺する。


「いいよ~、出間くんいいよ~」


 劇は進行中のため小声だが、表情を見るととても興奮しているようだ。


「とくに声がいいっ。あんな迫力のある声で脅されたら秒で有り金差し出すね」


 ――そこまで?


 ヤンキー役で気が大きくなり、声まで大きくなっているのかもしれない。しかしなにより、夕愛の褒め言葉が後押ししてくれているような気がしていた。


「というかカンペほとんど見てなかったけど」

「あんまり難しいことを言うキャラじゃないし」

「それにしたってよく覚えられたね。やっぱりわたしの目に狂いはなかった」


 などと話しているあいだに主役のふたりが裏にもどってくる。舞台の照明が暗転した。日吉さんは大道具に書き割りの交換を指示する。


 俺の出番はしばらくない。口の中でつぶやくように台本を読み、セリフを叩きこんだ。






 途中、セリフの少ない出番を何度かはさみ、次は朋也に暴力を振るう場面。といっても拳を振るうわけではなく、胸ぐらをつかんで壁際に追いこむ程度だ。


『ひとの話を聞いてなかったのか? 遥は将来の夢のために頑張ってる。邪魔すんじゃねえ!』


 両手で朋也の胸ぐらをつかみ、身体が浮くほど持ちあげる。


『邪魔なんてしてない。僕だって遥を応援してる』

『てめえが気安く遥の名前を呼ぶな!!』


 そしてその場面を遥に目撃され、かえって朋也と彼女の距離は縮まる。悲しいほど噛ませ犬だ。


 舞台裏にもどったあと、朋也役の男子に声をかけられた。


「出間、すげー怖かった……。鬼気迫る、みたいな……」

「まあ、経験があるから」


 中学生のときの、あの出来事。


「え……?」


 彼の顔が青ざめる。


「いや、されたほうの」

「びびったあ。大人しそうな顔して実は裏番長なのかと」


 俺たちは笑いあった。


 ちょっと前の俺に教えてあげたい。あのときのことを笑い話にできる日はすぐに来るって。






 そしていよいよラスト手前。颯人が遥の気持ちを汲み、想いを断ち切る場面。夜の公園に彼女を呼びだし告白をする。


 いよいよ最後の登場だ。ほっとするのと同時に、もう少しこの興奮に浸っていてもいいなという、今までの俺には考えられない気持ちが湧いてくる。


 しかしその余裕がいけなかったのかもしれない。


『よう』


 俺は書き割りの裏から歩みでた。


 その瞬間だった。


 ――あ……。


 セリフが飛んだ。照明を暗くしたせいでぼんやりと客席が見える。たくさんの人びとが俺に注目している。そう認識したとたん頭が真っ白になった。


 沈黙の時間が流れた。いち早く異変に気づいた遥役の石神さんが舞台袖に目顔で知らせる。


 今までのセリフを暗記していたためカンペのスケッチブックはすでに出されていなかった。小道具係がページをめくるが、慌てているせいか該当の箇所が見つからないようだった。


 客席が徐々にざわつきはじめる。動悸が激しくなる。呼吸が荒くなる。背中といわず全身から汗が噴きだす。


 石神さんが口をぱくぱくと動かす。恐らく俺のセリフを教えようとしているんだ。でもなにを言っているのかはわからない。


 やっぱり俺には向いてなかったんだ。大人しくひっそり生きていけと、神様がそう言っているんだ。


 わかったよ。もう色気は出さない。だからせめて、この劇だけでもなんとかうまく終わらせてくれないか。みんな頑張ってたんだ。だからさ――。




 そのときだった。石神さんの肩越しに夕愛の姿が見えたのは。

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