第2話 ギャル、イメチェンを遂げる
昼食はいつも教室でとる。スマホで小説を読みながら、母さんの作ってくれた弁当を食べるのは至福の時間だ。
ひとりでいるのを見られるのが恥ずかしくてトイレにこもって食事をするひともいるらしいが、俺は周囲の視線を気にしないようにしている。ひとりでいるのが気楽だからそうしているわけで、あるていどのみじめさは甘受すべきだろう。
今日の弁当は少ししょっぱくて、水筒のお茶では足りない。俺は席を立ち、購買部近くにある自販機へ向かった。
廊下に出ると
真壁はサッカー部ではない。というか俺と同じ帰宅部。見た目も陰気だ。前髪が鬱陶しいし眼鏡の奥の目は暗い。しかしなぜか交友関係が異様に広く、この前など校務員のじいさんと立ち話をしていた。夏休みには東南アジアで一人旅をしてきたらしい。不思議な奴だ。
真壁が俺に気がつき、薄ら笑いを浮かべて近づいてきた。この笑みは彼特有のもので、たんに表情筋がそういう構造をしているだけであり軽蔑の意図はないらしい。
「出間、今日もひとりを満喫しているか?」
「さっき小説を読破した」
「すばらしい」
真壁はミュージカルみたいに大仰に言った。
「あえて群れない。やっぱり出間にはシンパシーを感じる」
「ありがとうよ」
種類は違うがどこにも属さない一匹狼である点には、たしかに親近感を覚える。
「そうだ、真壁に聞きたいことが」
「珍しいな。なんだ?」
「一年生の漆原って子のことなんだけど」
「漆原……。D組の漆原
さすがの情報網だ。
「そう、その子。どういう子?」
真壁は険しい表情をしたあと、なにか納得したようにうんうんと頷き、ふっと笑って俺の肩に手を置いた。
「あのな……、ギャルがオタクに優しいのはフィクションの中だけだぞ?」
「そんなんじゃねえわ!!」
「じゃあなんだ?」
その後の漆原さんが気になっていた。しかし失恋の話はすべきじゃない。
「……夏休みに、バイト先に来たから」
「ずいぶん前だな。なんで今ごろ」
「べつにいいだろ」
真壁はしばし考えてから口を開いた。
「まあ、イメージどおりだろうなあ。ギャル。遊んでる。恋愛関係も派手。土下座すれば誰でも
相手っていうのは、まあつまりそういうことだろう。
「多分に尾ひれはついてるだろうけどな。ただまあ、たしかに男の趣味は悪いみたいだ」
「というと」
「だいたい浮気されて捨てられてる。都合よく遊ばれてるようだな」
「さすが、よく知ってるな。それで、元気そうか?」
「そこまでは知るか。主治医じゃあるまいし」
「主治医なら守秘義務で言えないだろ」
「その厳密さ、いる?」
真壁は片眉をあげ、苦い表情をした。
「もしも気になるってんならやめとけ。住む世界が違いすぎる」
「だからそんなんじゃ――」
「気持ちはわかるがな。年下のギャルってなんかエロいよな」
「そんなんじゃないって!」
そのとき教室から女子の話し声が耳に飛びこんできた。
「あんなキモい男と付きあうわけないでしょ」
吐き捨てるような言葉に、昔の記憶がフラッシュバックする。
中学生、初恋、告白、失恋。よくある話だ。ふつうなら甘酸っぱい思い出や笑い話になるような。でもそうならなかったのは相手の放ったセリフのせいだ。
『え、やめてよキモい……』
告白した俺に、彼女は心の底から不快そうな顔で言った。
その子はちょっとギャルっぽい子で、明るくて、よく俺に話しかけてくれて、スキンシップも多くて、だから多感な中学生男子が恋してしまうのも仕方ないことだろう。
満を持しての告白。見事な玉砕。
俺の本気の想いはキモいらしかった。そのときのことは今でもたまに夢に見て、繰りかえし繰りかえし俺の心をさいなんでいる。
後日談もある。彼女はその後すぐに男と付きあいはじめた。高校生のヤンキーだ。未練たらたらで彼女を目で追っていた俺に、彼は「俺の女に色目を使いやがって」と因縁をつけてきた。
ぼこぼこにされたりはしなかったが、胸ぐらをつかまれて、ガンをつけられ、すごまれた。
ひとから初めて受けた明確な敵意と暴力に、俺はすっかり縮みあがった。それ以来だ、ギャルもヤンキーも苦手になったのは。
「どうした、ぼうっとして」
真壁が怪訝な顔をしている。
「いや、べつに。――とにかく、本当にそんなんじゃないから」
ちゃんと立ちなおったかなと、ちょっと心配だっただけだ。イメージどおりの子らしいし、お節介だったかもしれない。
◇
放課後、俺はいつもどおり河川敷の遊歩道脇にあるベンチで日課をこなしていた。
と、俺の隣に誰かが座った。ベンチはここだけじゃないのになんでわざわざ、と思い、ちらと横に目をやる。
俺は思わず二度見をした。そのあとスマホの画面に映る凜奈を見て、もう一度、隣を見る。
俺の隣には凜奈が座っていた。
――……AR?
いやそんな機能が実装されたなんて話は聞いてない。というかそもそもスマホのカメラを通していないのだからARのわけがない。俺の目がおかしくなったか、頭がおかしくなったが、あるいは……。
「先輩」
凜奈(?)が口を開いた。
「どうですか? 似合います?」
そう言って前髪の毛先をつまみ、照れくさそうにはにかんだ。
その声に聞き覚えがあった。
「……漆原さん?」
「ですよ。誰だと思ってたんですか?」
「凜奈」
「りんな?」
「いや、こっちの話」
改めて、漆原さんを見る。
ブロンドで、ゆるくパーマのかかっていた髪は黒いストレートヘアへと変貌していた。
舗装や植林かのごとくごてごてだったメイクをやめたおかげで、初めて本当の目鼻立ちが明るみになっている。
「……」
ちょっと言葉を失うくらいきれいだ。アーモンドのような目、すっきりとした鼻筋、ふっくらとした柔らかそうなくちびる。それらが小さな顔に整然と並んでいる。
「そんなに見られたら照れちゃいますよお」
「あ、ああ、ごめん」
シンプルに見とれた。
「で、どうですか?」
「似合う、と思う」
「やった……!」
両手をぎゅっと握ってガッツポーズを作った。
そしてようやく気づく。漆原さんのこの変貌ぶりは、俺が原因だということに。
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