第3話 ギャルの速度
まるで凜奈のコスプレでもしているかのような漆原さんの変化は俺が原因だ。
彼女の姿形は先日の質問――『先輩はどんな女の子が好みですか?』に答えた内容、ほとんどそのまま。凜奈が念頭にあったのだから、そりゃあ凜奈に似るのは当たり前だ。
「ど、どうして……」
「先輩にお礼がしたくて」
「これがお礼?」
このコスプレが? 落ちこんでいるところに声をかけたくらいでここまでするか?
「違いますよ。これはたんなる正装です」
すでに感謝の気持ちは充分に、いや過剰なほど感じられる。これ以上なにをするっていうんだ。
「先輩の家、案内してもらっていいですか? 差し入れもあります」
と、ドラッグストアのレジ袋を持ちあげてみせた。
「お、俺の家?」
「そうですけど」
漆原さんはきょとんとしている。
――いやいやいや! そんないきなり? 距離詰めるの早すぎない? それがギャル? ギャルの速度なのか? 異次元すぎる!
内心、慌てふためく俺。しかしこのていどでパニックになってることを悟られたくなくて、俺は努めて冷静な声で返答した。
「それはいきなりだな」
「無理ですか? じゃあわたしのうちに来ます?」
――いやいやいや……。
それはもっとまずい。家族になんて挨拶すればいいんだ。
『先日、失恋中の娘さんを慰めた者です』
――馬鹿か……!
不審がられるに決まってる。しかし漆原さんとの関係はそれで全部だし、ほかにどう説明すればいいんだ。というか心の準備もできてないのに完全アウェイの漆原さん宅にお邪魔する胆力は俺にはない。
ならば文字どおりホームの俺の家に招いたほうがましか。いや、でもな……。
「俺、ほんとたいしたことはしてないし」
「わたしにはたいしたことだったんです」
――ううん……。
気分は乗らないが、せっかく差し入れまで用意してくれているのに断ってしまうのも申し訳ない。
「……わかった」
漆原さんは顔をほころばせる。
――くっそ、可愛いな……。
まさかあの漆原さんにときめく日が来るなんて夢にも思わなかった。
俺は隣を歩く彼女をまともに見ることができないまま、自宅まで案内した。
◇
――なんてこった……。
よりによって母さんが留守だ。河川敷でゲームをやっているあいだに受信していたメッセージには、同僚たちとご飯を食べに行く旨が書かれていた。
家族がいる家と、不在の家。女の子を招くとなると後者はちょっと意味合いが変わる。
「今日、ちょっと母さんがいなくて」
「そうですか」
「やめとく?」
「なんでですか?」
またきょとんとする。警戒心はまったく抱いていない様子だ。
――待って、俺がおかしいのか? 気にしすぎなのか? それともこれがギャルなのか?
「お邪魔しま~す」
漆原さんはスニーカーを脱いで家にあがる。そして階段を見あげた。
「先輩の部屋、二階ですか?」
「え、そ、そうだけど」
「じゃあ行きましょ?」
「いや、ちょ!」
「いやちょ?」
「俺の部屋はまずくないか?」
「でも今日は先輩に用事があって来たんですよ?」
「でも」
「それともなにか見られちゃまずいものでもあるんですかあ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ないけど……」
それ系のものは現物ではなくほとんぼすべてデータで所有している。抜かりはない。
「ならいいじゃないですか」
「そういう問題じゃなくて」
「どういう問題?」
と、小首を傾げる。
さほど親しいわけではない女の子を部屋に連れこむのは倫理的にどうなんだ。漆原さんを見ていると、そう考える俺のほうがおかしいのかもという気分になってくる。
しかし頑なに拒否すると俺が意識していると思われてしまう。いや、まちがいなく意識はしているのだが。
だって見た目はほぼ凜奈なのだ。意識するなというのが無理な話だ。
いや待て。曲がりなりにも俺はプロデューサー。アイドルを守ることはあっても手をつけるなんてあってはならない。今までだって画面に映る凜奈にパイタッチすらしたことがない俺だ。きっと乗りきれる。
そう意を強くし、漆原さんを部屋に案内した。
「わあ、片付いてますね。先輩っぽい」
「っぽい?」
「すごくきっちりしてそうだなって、ずっと」
あまり接点はなかったが、悪くは思われていなかったらしい。
さて、どうすればいい。部屋に家族以外の人物を招いたのは中学生のころ以来だ。まして女子は初めて。しかもさほど親しくないときている。どうもてなせばいいのかさっぱりわからない。
とりあえず来客をいつまでも突っ立たせておくわけにもいくまい。ほとんど使っていなかった座布団を二枚、クローゼットから引っぱり出す。
「よかったらこれに――」
振りかえると、漆原さんはすでに座っていた。
ベッドに。
「ちょっ……!」
美少女×俺のベッド。この組みあわせはいけない。気がつくと俺の想像力はすでに漆原さんを半裸に剥いていた。
――落ち着けこの童貞脳!
叱咤しても俺の脳は暴走をやめてくれない。それどころか俺の視線は制服の上からでもわかる胸の隆起、すべすべとした脚に吸い寄せられてしまっていた。
俺は顔をそむけた。
「ざ、座布団があるけど」
「ここで大丈夫です」
――俺が大丈夫じゃないんだが。
しかし理由を説明できるわけもない。
「いつもここに寝てるんですね」
と、シーツを撫でる。俺は漆原さんに背を向けて座布団に座った。これ以上、彼女を視界に入れておくと頭がおかしくなりそうだ。
「先輩の匂いがする」
「まあ俺のベッドだし……」
「わたし、この匂い好きかも」
いい匂いと思う相手とは遺伝子レベルで相性がよい、という話を聞いたことがある。つまり俺と漆原さんは非常に――。
――いやいやいや! 気を確かに持て、俺!
なんでお礼を言いにきただけの女の子との遺伝子的な相性の話になるんだ。視覚を封じたら封じたで聴覚が鋭敏になったばかりかイマジネーションまで豊かになってしまった。
「そ、そうだ! 飲み物を持ってくる」
「ちゃんと買ってきました」
そうだ、差し入れがあった。逃走経路もすでに封じられていた。
であればもう、話を早く終わらせるしかない。
「あのさ、そんなに恩に着なくていいぞ? 知りあいの子が落ちこんでたら誰でも声をかけるだろ」
布のこすれる音が聞こえる。まだシーツを撫でているのだろうか。
「優しいんですね。ますますお礼をしたくなっちゃいました」
――逆効果でしたー……。
まあ恩を感じたことは漆原さんの感情であり俺が否定できることではない。
「わかった。でも、お礼って?」
「こっち、見てくれますか」
俺は言われるがままに顔を振り向けた。
「ふえっ……!」
あまりの衝撃に間抜けな声が出た。
そこには奇しくも先ほどの俺の妄想の中と同じ、上の服を脱ぎ、下着をさらした漆原さんの姿があった。
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