第13話 罠

 学校帰り、夕愛が手を握ってきた。


「な、なに、急に」

「だってわたし、カノジョのつもりだから。嫌ならやめるけど……」


 不安そうな顔をする。だから、その顔はずるいって。


「嫌じゃないって」

「よかった」


 嬉しそうにはにかむ。だから、その顔もずるいって。


 夕愛はあいかわらずスキンシップが多い。でも人目には気を遣ってくれている。今も周囲には誰もいない。大胆だけど繊細。それが夕愛の魅力だと最近は思っている。


 しなやかな手が俺の手を握っている。前にハンドクリームを塗られたときはひんやりとしていた彼女の手は、今は火照ったみたいに温かい。


「誠汰くんから握ってくれてもいいんですよ?」


 と、正面に目を向けたまま夕愛は言った。


 手を握ること自体は、まあいい。しかし俺のほうから手を握るとなると意味合いが変わってくる。そこには俺の『手を握りたい』『夕愛に触れたい』『つながりたい』という気持ちが入ってくるわけで。


 中学生のころの嫌な記憶が頭をよぎった。


 こちらから急に手を握って、もしも気持ち悪がられたり嫌がられたりしたら。そう考えただけで動悸がして、冷や汗まで出てくる。


「それは、ちょっと」

「ですよね……」


 またしょんぼりさせてしまった――と思いきや。夕愛は難しい顔をして、何事か考えている様子だった。


「夕愛?」


 声をかけたが無視された。


「――で、――ていって……。――それから……」


 口の中でもごもごとなにかつぶやいている。なにを言っているかは聞きとれない。


 そしてよほどよい考えが浮かんだのか、夕愛はにやりと口角を歪めた。


 背筋がぞっとする。


「ど、どうした? なんか楽しそうだな?」

「え? ううん、べつに」


 と、にんまり笑う。


 ――明らかに楽しそうなんだが……。


 いったいなにを思いついたのか。手に汗がにじみ、動揺が悟られるのではないかと俺は気が気でなかった。







『観たい映画があるんですけど、付きあってもらえませんか?』


 その日の夜、夕愛からメッセージが送られてきた。


 まるでデートの誘い文句みたいで一瞬ドキッとしたが、下校時のことを思いだしてすぐに冷静になる。


 しかし断るという選択肢は思い浮かばなかった。それで失恋の傷が癒えるなら好きなように俺を使ってくれていい。


 翌日の土曜日、俺たちは街のシネコンで待ち合わせした。


 棚にディスプレイされているパンフレットを眺めて時間を潰していると、


「誠汰くん、お待たせ」


 と、夕愛が駆け寄ってきた。


 顔一杯の笑み。オフショルダーのニット。輝くような肩と胸元。ダメージジーンズの穴から垣間見えるふとももや膝頭も陶器みたいになめらかだ。


 男性客だけでなく女性客まで夕愛の美しさに振りかえる。当然、俺も見とれた。


 夕愛の瞳が揺れる。


「あ……、やっぱり、こういう服は嫌いですか……?」

「え?」

「ブラウスとかスカートのほうがよかったかなって」


 と、申し訳なさそうにうつむく。


「違う違う! ただ見とれたっていうか」


 俺ははっとした。思わず勢いで本音を口走ってしまった。


 夕愛はぽかんとしたが、徐々に口角が上がっていき、悪戯っぽい、それでいてどこか嬉しそうな笑顔になる。


「そんなこといって、胸ばっかり見てたんでしょ?」


 胸だけを見ていたわけではないが、主に胸を見ていたことは否めない。俺はしどろもどろになりながら言い訳する。


「そ、そんなに開いてたら下着が見えちゃうんじゃないかって心配で」

「ほかの男に見られるのが嫌ってことですか? 案外独占欲強いですね」

「そうじゃなくて……!」

「大丈夫ですよ、チューブトップなんで。――ほら」


 指を引っかけて胸元を開いた。黒いレースの下着がちらりと見える。俺は弾かれたように顔をそむけた。


 夕愛はころころと笑う。


「慌てちゃって。誠汰くん可愛い」

「い、いきなり見せるからだろ……!」

「でも見せてもいいやつだし」

「下着は下着だろ。見せてもいいやつと駄目なやつの違いはなんだよ」

「まあそこらへんは曖昧ですけど」

「ほら!」


 すると夕愛は艶っぽい目つきで俺の顔を覗きこんだ。


「でも誠汰くんにならどっちも見せてあげるよ?」

「ぐっ」


 一瞬だけ優位に立てたと思ったらすぐにひっくり返されていた。この手の話題で夕愛にマウントをとるのは無理だ。


 いやらしい顔でくつくつと笑う夕愛。俺は話を変えた。


「と、ところでなにを観るんだ?」

「これです」


 夕愛が指を差したのはべったべたの恋愛映画のポスターだった。テレビのCMでちらっと見たことがあるような気がする。


「こういうの好きなのか」

「え? そーですね、はい」


 ――……?


 好きというわりには淡泊な返事だ。


「それよりチケットを買いましょう。こっちに」


 俺たちはカウンターに向かう。夕愛は従業員のお姉さんに映画のタイトルを告げ、こうつけ加えた。


「カップル割で!」

「ぉぃ!?」


 お姉さんは営業スマイルを浮かべた。


「よろしいですか?」

「はい。うちのカレシ、照れ屋で」


 と、腕に腕を絡めてくる。俺は小声で抗議する。


「ぉぃぃ!! 嘘はよくないだろ……!」

「嘘ではないですよね? カノジョのつもりでオーケーって言ってたし」

「い――ったけど……!」

「よろしいですか?」


 再度お姉さんが問う。俺たちの後ろにも客が並んでいる。迷惑はかけられない。俺は渋々承諾した。


「よろしいです……」

「かしこまりました」


 会計を済ませてチケットを受けとり、俺たちはカウンターを離れた。


「……そろそろ離れてもいいんじゃないか?」


 夕愛はまだ俺にくっついている。


「駄目ですよ。すぐに離れたらカップルじゃないって疑われるかも」

「知りあいに見られるかもしれないし……」

「そしたら『割引のためにカップルのフリをしてる』って言えばいいんです」


 手を握ったり、時間制限のあるハグであればまだ我慢できるが、延々と腕を組まれるのはさすがにまずい。肘に当たる弾力だけじゃない。脇腹や腰に密着する夕愛の身体のしなやかさ。伝わる体温。髪の香り。かかる吐息。すべてが立体的に俺の理性をさいなむ。


 ――これが狙いか。


 擬似的にとはいえカレシとして行動させ、ついでに最大限のスキンシップで本能を刺激しようという魂胆に違いない。


 しかし、だ。


「あ、開場だって。行こ? 誠汰くん」


 俺たちは指定のスクリーンへ向かう。


 そう、席に座ってしまえばもうくっつくことはできない。俺たちが買ったのはカップルシートではなく普通席のチケットだ。


 ――詰めが甘かったな。


「なに笑ってるの?」


 夕愛が怪訝な顔をする。おっといけない、顔に出てしまったらしい。


「映画なんて久しぶりだから楽しみで」


 と、余裕の笑みで返した。



 しかし俺の考えは甘かった。映画が始まったとたん、そう思わされることとなった。

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