第14話 アクション映画を観たあと強くなった気がするやつ
――エッロ……。
その映画はとてもエロかった。
片思いの男が記憶喪失になったのをいいことに「自分がカノジョだ」と騙した女と、その友人の三角関係を描いた作品だ。
筋はよくある三角関係ものだが、登場人物の感情の機微がよく描写されている。
そしてなにかといえばキスをする。主人公の女は男をつなぎ止めようと頻繁に濃厚な接触を図る。今もスクリーンにはディープキスをし、そればかりかお互いの身体をまさぐる男女の姿が映しだされている。オープニング映像に『R15』の文字列が見えたとき嫌な予感はしていた。
気まずい。これにはさすがの夕愛も動揺しているのではないかと思い、ちらっと横目で窺った。
夕愛はすんとした顔でスクリーンを見つめていた。動揺のどの字もない。完全な
――ええ……?
経験値の差だろうか。それにしても恋愛映画が好きならもう少し感情が表情に出そうなものだが。
あまりちらちら見ていたら俺が狼狽しているとばれてしまう。俺は目を正面にもどした。
と、そのとき夕愛が肘掛けに腕を乗せた。俺の腕とぴったり寄り添う。ちょんと小指の側面も触れあう。
ドキッとする。今まさにスクリーンではラブシーンが繰り広げられている。視覚と聴覚で興奮を高められている状態だ。そこに最後のピース――触覚の情報がやってきて、俺は必要以上にびくりとしてしまった。
でも足りない。腕や指が触れるだけでは満足できない。夕愛の細くしなやかな手をぎゅっと握りしめたい。そんな衝動に駆られる。
手を重ねようと浮かせたその瞬間、俺ははっとした。
――こっちか……!
『誠汰くんから握ってくれてもいいんですよ?』
昨日の言葉を思いだした。夕愛の魂胆はそれだ。てっきり劇場に入る前の恋人ごっこが目的なのだと油断していた。本命はこちらだったのだ。
俺は手を元の位置にもどす。夕愛がちらりとこちらを見たような気配を感じた。
――あっぶねえ……。
まんまと罠にかかるところだった。
その後もエロティックなシーンになるたび指に触れてきたが、俺は強固な理性によりすべて我慢しつづけた。
そして物語も終盤に入った。スクリーンには今まででもっとも情熱的なからみが映しだされている。俺は下っ腹に力を込めて夕愛の誘惑に備えた。
が、なにもしてこない。不審に思い、目だけ横に向ける。
夕愛はうなだれ、目をつむり、すうすうと静かな息をたてていた。
つまり、寝ていた。
――ガン寝……!?
しかし気持ちはわからなくもない。R15だけあって過激な部分はあるが、基本的にはしっとりと落ち着いたテイストの映画であり、劇伴もピアノやオーケストラが主で眠気を誘う。
俺は夕愛にちょっかいをかけられていたからまだ起きていられたが、それもなくなれば退屈になって寝てしまうかもしれない。
――いや。
夕愛の穏やかで無防備な寝顔。眠っていると年相応の幼さが表れる。
――退屈はしないか。
劇場が明るくなるまで、俺は夕愛の顔を見つめた。
◇
ロビーにもどると夕愛は大きなあくびをした。
「熟睡してたな」
「え、全然そんなことないですよ。監督さんとか俳優さんに悪いので――」
「え、お、起きてたのか……?」
「申し訳ないなあって思いながら居眠りしてただけです」
「けっきょく寝てたのかよ……!」
焦った。見つめていたのがばれていたのかと思った。
「恋愛映画、好きだったんじゃないのか?」
夕愛は目を泳がせる。
「あ~……、ちょっと好みじゃなかったというか。アクション要素がなかったし」
「恋愛映画になに求めてるんだよ」
「ところであのふたり、最後はどうなったんですか?」
「え!? ま、まあ、幸せになった――んじゃないかなあ」
今度は俺が目を泳がせる番だった。ラストシーンは観ていない。隣にもっと見たいものがあったから。
「誠汰くんも寝てたんでしょ?」
「そ、そう、だな」
「ひとのこと言えないじゃん」
夕愛は鬼の首をとったかのように得意な顔をして俺の肩を小突いた。
これでいい。寝顔を見てたなんて言えるわけがない。
と、夕愛がぼうっと出入り口のほうへ目を向けているのに気がついた。
「どうした?」
「ううん、べつに」
ごまかすみたいに微笑む。
「そういえばポップコーン食べるの忘れてましたね。今からでも買おうかな」
などと売店のほうに歩いていく。
俺は夕愛が見ていたものを見た。仲睦まじそうなカップルだ。彼らはカウンターのほうに歩いていく。……手をつないで。
『誠汰くんから握ってくれてもいいんですよ?』
昨日の言葉がまた頭をよぎる。
「……」
ただ手を握ってもらいたいだけで、こんなにも回りくどい方法をとる夕愛。どこまでひとに甘えるのが下手くそなんだろう。
夕愛がもどってきた。
「晩ご飯が入らなくなるから、やっぱり我慢します」
「じゃあ、帰るか」
出口を出て、エスカレーターへ向かう。一足早くステップに乗った俺は、右手で夕愛の左手をとった。
「えっ!?」
夕愛はすっとんきょうな声を出した。
「気をつけて」
「……うん」
そしてきょとんとした表情のまま俺の横に並ぶ。
「ど、どうしたの急に」
「なにが?」
「だって、手を……」
「さっきの映画でそんな場面があったんだよ」
嘘だ。しかし寝ていた夕愛にはわかるわけもない。
俺もひとのことは言えないくらいに回りくどい。しかしこれが精一杯だ。
「俺けっこう映画とかに影響されやすいんだよ。それに眠そうだったし。ぼーっとしてすっころぶかもしれないし」
「うん……」
俺の言い訳がましい早口に夕愛は頷く。口元にははにかむような笑みが浮かんでいた。
思いきって手を握ってよかった。心の底からそう思った。
階下へ到着する。俺は先にステップから下り、手で夕愛を導いた。
「紳士ですね」
「だろ?」
「うふふ」
その笑い声は夕愛のものではない。俺たちのあとから下りてきた老婦人のものだった。豊かな銀髪にパーマをかけた、品のよさそうな女性だった。
「仲のいいアベックね」
「アベック?」
夕愛が小首を傾げる。
「今は、ええと、なんて言うんだったかしら。――そうそう、カップル」
「いや違います違います!」
俺は即座に否定した。カップル割引のために嘘をついたうえ、こんなひとのよさそうなご婦人まで騙すのは申し訳なさすぎる。
「全然そういうんじゃないんです」
「でもとっても仲がよさそう」
「それはまあ悪くないですけど。な?」
夕愛に話を振ると、彼女はなぜかぶすっとした顔で「そうですね」とぶっきらぼうに返事をした。
「? なんだよ」
「べつに」
ぷいっと顔をそむける。
――……?
さっきまで楽しそうにしてたのに。感情の振れ幅がでかすぎる。
いつまでも仲よくね、と言葉を残し、老婦人は去っていった。
帰り道、夕愛は無口だった。話しかければ笑顔で返してくれるのだが、すぐにまた何事か考えるように黙ってしまう。
「どうした?」
「え? べつにどうもしませんよ」
と、また笑う。しかしその表情はまだこの関係が始まる前にもどってしまったかのような作りものっぽい笑顔だった。
そのとき、夕愛がミニバッグからスマホをとりだした。誰かからメッセージの着信があったらしい。画面を見て、ちょっと怪訝な顔をしてアプリを開く。
「……」
そして慣れた手つきでタップ&フリック。即返信したようだ。その顔には喜色がにじんでいるように見えた。
誰? と尋ねたくてむずむずする。でもあまりプライベートに立ち入るのも悪い気がして、喉まで出かかった質問をごくりと飲みこんだ。
「今度また付きあってくれますか?」
「ああ、うん」
「ありがとうございます。じゃあ」
自宅マンションに着くころには、夕愛の機嫌はすっかり直っていたようだった。明るく手を振り、エントランスに消えていった。
対して俺は、もやもやした気分を抱えたまま帰途につくことになった。
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