第15話 伸るか反るか
「ごちそうさまでした」
弁当を食べ終えた夕愛は手を合わせた。
いつもどおり
そして昼食後には定番のやりとりがある。俺はほんの気持ちだけ夕愛のほうに身体を向けて身構える。
ハグだ。「ごちそうさま」のすぐあとに「いただきま~す」なんてスケベなおっさんの下品な冗談みたいなことを言って抱きついてきたこともあった。
しかし――。
「じゃあもどりましょっか」
夕愛は弁当箱をバッグに仕舞って立ちあがった。
――え?
しないのか? なんかハグされる前提で考えてた俺がすごく恥ずかしいんだが。
「あ、あのさ」
「なに?」
「今日は、その……。チャージは」
「チャージ? ――あ」
夕愛はばつが悪そうに視線をそらした。
「ええと……、今日は天気がいいから太陽光で」
「再エネで代用できたんだ……」
「エコです」
冗談で煙に巻かれてしまった感じだ。
やはりどこかおかしい。その変化は映画を観に行った日の、あのスマホのメッセージが送られてきたあたりからのような気がする。
しかしいったいどんなメッセージが送られてくれば斜めだった機嫌が直ったり、日課だった昼食後のハグをしなくなるのだろう。
なにかよい知らせがあった? でもそれだと機嫌は直るがハグをしなくなる理由がわからない。
そもそも『機嫌がよくなる』と『ハグをしなくなる』が相反する性質を持つ事柄のように思える。両者の条件をいっぺんに満たすのは難しいのではないか。ということはなにかべつの原因が――。
そんなことを俺は教室にもどってからも悶々と考えていた。
と、クラスメイトの女子の話し声が聞こえてきた。
「元カレから連絡来たん? マジで? 自分の二股が原因のくせに」
「向こうと別れたから寄りをもどそうって」
「あり得ないわ~」
「……」
「え、ちょっと待って、まさかその気?」
「う~ん……。なんか反省してるみたいだし」
「ないない。どうせヤりたいだけだって」
奔放な陽キャたちからよく聞こえてくる類の会話だ。聞く価値もない。
いつもならそう唾棄していたことだろう。しかし今の俺は、彼女らの話に激しく動揺していた。
元カレからの連絡。あの日、夕愛が受けたメッセージがそれだとしたら辻褄が合う。
復縁を求められ、まだ未練があった夕愛は喜び、機嫌がよくなる。そして元カレとの復縁話が進んでいるから、俺とはハグできなくなった。
うめき声を漏らしそうになって俺は手で口を押さえた。
いや待て落ち着け。なぜショックを受ける。そもそも俺は夕愛のカレシではない。彼女の失恋につけこんで恋人同士のおいしい部分だけをいただいている小心ウジ虫野郎だ。元カレと寄りをもどそうと俺にどうこう言う資格はない。
頭ではわかっている。しかしどういうわけか胸のもやもやはとめどなく湧いてくるのだった。
五時間目終了後の休み時間に真壁が話しかけてきた。
「どうした、窓の外なんか眺めて。青春か?」
「なあ。仮にだけどさ……、俺やお前に元カノがいたとして」
「あり得なさすぎて仮定にすらなってないぞ」
「悲しいこと言うなよ、まだわからんだろうが。――で、元カノに連絡する理由ってなんだろうな」
「そりゃ寄りをもどしたいからだろうな」
「だよなあ……」
「それか単純にヤリたいか」
「だよなあ……!」
俺は手で顔を覆った。
「ちなみに、そういう連絡って元カノのほうは嬉しいものかな」
「俺に女心の機微がわかるわけないだろう。喧嘩売ってるのか?」
「だってお前、情報通だろ」
「AV見てたらテクニシャンになれるのかよ」
「だから悲しいこと言うなって、俺も泣いちゃうだろ」
真壁は片眉をあげた。
「なんでそんなことを聞く? お前、まさかこの前のきれいな子と……」
「違う違う! ただの一般論っていうか」
「一般論のわりに設定が仔細すぎる」
顎に手をやり、真壁は「ふむ」と鼻を鳴らした。
「いずれにしろ、本人たちにしかわからない
――それができたらこんな悩んでないんだよ……!
そのとき頭に閃くものがあった。
――待てよ……。そうか、直接……。
「なんだ、急ににやにやして。気持ち悪いぞ」
「べつにいいだろ」
「本当に気持ち悪いぞ」
「わかったって」
「お前が思っている以上に表情が――」
「もういいって! 本当に泣くぞ!」
予鈴が鳴り、真壁は席にもどっていった。
悩んでいたってなにも改善しない。夕愛に
◇
翌日の昼休み。今日も俺と夕愛は体育館裏搬入口の前で弁当を食べていた。最悪この会食すらも中止になってしまうかもと危惧していたからひとまずほっとしている。
昼食を終え、夕愛は昨日と同じくハグをすることなく弁当箱を片付けて立ちあがった。
満を持して、俺は彼女に声をかける。
「あのさ!」
夕愛は目を丸くして振り向いた。
「はい?」
心臓が跳ね、汗がにじんでくる。
「あ、明日、休みだろ?」
すると夕愛は空を見つめた。
「世間は休日でも働いているひとがいるから社会は回ってるんですよね……。そういうの忘れてたなあ……」
「急にどうした?」
ポエム系SNSアカウントでもフォローしたのか?
「ごめんなさい。それで、なんでしたっけ?」
「あ、うん。やることがなくてさ、暇なんだよね。それで、その……、よかったらなんだけど――」
俺はごくりとつばを飲みこむ。
「ど、どこかに遊びに行かないか? 一緒に」
言った。言えた。よくやった。グッジョブ俺。
昨日、思いついた方法。それは『デートに誘う』。
正確に言えば、夕愛がデートに誘われたと思ってくれさえすればいい。元カレに義理立てしてハグをやめたのであれば当然デートにだって難色を示すはず。これならば直接尋ねることもなく夕愛の気持ちを推し量ることができる。
「ど、どうかな」
「え、ええと……」
夕愛の瞳が揺れた。
――あ……。
手を握ったときみたいに喜んでくれるかもなんて期待していた。でも実際、夕愛の顔に浮かんだのは戸惑いの表情。
――やっぱり……。
嫌なほうの予想が当たってしまった。頭の中も視界もなにもかも真っ白になる。
「ごめん、急に――」
「絶対に行きます」
「え?」
俺は顔をあげた。
「行きます。遊びに。誠汰くんと。絶対」
夕愛は倒置法を駆使してもう一度はっきりと告げた。
「で、でも、大丈夫なのか?」
一瞬、困ったような顔をしていたが。
「大丈夫です! ……大丈夫です!」
「なぜ二回」
「断る理由ないし!」
ぐっと拳を握っているし、小鼻がふくらんでいる。気合いの入った様子だ。嘘を言っているようには見えない。
では一瞬、迷ったように見えたのはなんだったのだろう。
「ところでどこに行くんですか?」
「え? あ……。ど、どこがいいかな」
「考えてないのに誘ったんですかあ?」
なんて言いつつ、顔は笑っている。
――まあ、いいか。
とにかくデートはしてくれるんだし。今はデートプランのほうで悩もう。
「じゃあ……、映画、は前に行ったから、ご飯でも食べに行くか」
「いいですね。ほかには?」
「え、ほ、ほか? ご飯と……。そうだ、アクション映画を観るとか」
「引き出し少なくない?」
夕愛はぷっと吹きだす。
「でも誠汰くんっぽくて可愛い」
頬が熱くなる。仕方ないだろ、俺が女の子とデートをする日が来るなんて想定したことすらなかったんだから。
俺たちは予鈴がなるまで、ああでもないこうでもないとデートプランを出しあった。
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