第33話 ギャルであってヤンキーではない

「足はもう大丈夫か?」

「――もうすっかり」

「じゃあ、また連絡するから」

「――はい、待ってます」


「じゃあまた!」。夕愛は軽く会釈して階段を上っていった。


 朝、学校の玄関には、まだ低い太陽の日差しが入りこんでいるが、空気はひんやりとしている。俺は夕愛のいなくなった階段を見あげた。


 ――なんか最近、ちょっとおかしいな。


 夕愛の表情ソムリエである俺からすると、このところの笑顔はずっと九十九点だった。笑っているのにどこか一点、曇りがあるようなそんな笑顔。湯船のお湯に一滴だけ墨汁を垂らしたような、ほとんど分からないけど、でもいつもとは違う、そんな感じ。


 それに返事がワンテンポ遅い感じがする。一秒もない。おそらくゼロコンマ何秒の単位で。いつもは当意即妙な夕愛。一瞬だけ言葉を品定めしているような間があった。


 ――やっぱり、あの日からだよなあ。


 謎のお嬢様キャラをコンセプトにしたデート。最初はたんに趣向を凝らしてくれただけかと思ったが、その割りには必死というか、切迫感があった。ふだんの彼女なら多分、怪我を我慢してまでデートはつづけないだろう。


 その必死さと切迫感はどこか、まだ出会ったばかりのころの夕愛を思いださせた。俺に気に入られようと身体を捧げようとした、あの夕愛を。


 それとなく探りを入れてみたりはしているものの、「なんでもない」と否定されるばかり。本当になんでもなくて、俺の考えすぎならそれに越したことはない。しかしそれを確かめる方法がなく、頭の片隅にずっと気がかりがこびりついたままだ。


 だがヒントはその日の昼休み、向こうからやって来た。


「出間、飯食おうぜ」


 文化祭の演劇をきっかけに、俺はクラスメイトの男子からちょくちょく声をかけられるようになった。


 机を寄せあい、数人で昼食を食べる。


「なんか出間って変わったよな」


 ちょっとやんちゃそうな雰囲気の秋本くんが言った。文化祭の演劇で俺が代役を務めた『颯人』の本来のキャストが彼だ。捻った足首はもうすっかりよくなったらしい。


「前は仏像みたいだった」

「どゆこと?」

「なんか、いつもじっと固まってるから話しかけちゃいけないのかなって」


 仏像は固まっているわけではないし話しかけちゃいけないわけでもないと思うが、言わんとしていることは分かる。たしかに俺は自分からひとを避けていたし、『話しかけるなオーラ』を出していたかもしれない。


「カノジョでもできた?」


 日常会話のように色恋の話が出てくることに慣れず、俺は「ええと……」と口ごもってしまう。


「お、もしかしてこれは本当に?」

「いや、そういうんじゃなくて……」


 自分で言っておいて、その空虚さに閉口する。


 たしかに夕愛はカノジョではない。でもカノジョのつもりで接してくれて、そして俺はこんなにも彼女のことが気になっている。なにが『そういうんじゃない』のだろう?


「出間」


 真壁に呼ばれて振りかえる。


「お前、なんかしたのか?」

「なんの話?」

「いや、だって――」


 彼は顎でしゃくって教室の戸口を示した。


 そこには石水さんが腕を組んで仁王立ちしていた。


「あの子がお前を呼んでる。――めちゃくちゃ怒ってないか……?」


 と、小声になる。


 たしかに、きつい目つき、無愛想な表情、醸しだされる刺々しい雰囲気からそう感じられるかもしれない。


「や、ヤンキーだろ、あれ。お前、しばかれるんじゃないか?」

「それはないと思うけど」

「あんなきれいな子にボッコボコに……。う、羨ましくなんかないぞ!」

「だから違うって言ってるだろ!」


 俺は知っている。ああ見えて石水さんはとても友だち思いの良い子だと。


 席を立ち、戸口へ向かう。


「どうしたの?」


 笑顔で問いかけると、石水さんは親指で廊下の先を指し、ぶっきらぼうに言った。


「ちょっと体育館裏に来て」


 ――あれ? やっぱり俺、しばかれるの?


 俺は助けを求めるように振りかえる。真壁や秋本くんは顔を伏せた。


 ――あいつら……!


 石水さんは眉間にしわを寄せる。


「なにやってるの? 早く行くよ」

「はいっ」


 俺は思わず良い返事をして、石水さんのあとについていった。

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