第5話 カノジョだけどカノジョじゃない

「もう気持ちはつながってる、って……。いつ?」

「だって、先輩はわたしとしたいって思ってるんですよね?」

「ま、まあ、否定はできない」

「わたしは先輩に喜んでもらいたい。――ほら、つながった」

「どこが!?」

「『したい』っていう気持ちと『してあげたい』っていう気持ちが」

「……いやいやいや! 待て、落ち着け!」


 一瞬納得しかけたが、やはりどこかおかしい。


「そういうのを世間では身体だけの関係と言うんじゃないか」

「でもってことは、少なくとも相手を嫌いじゃないってことでしょ?」

「そう、だな」

「わたし、先輩のこと好きですよ?」


 ――軽っ。


 生まれて初めて受けた告白は、ラングドシャクッキーの歯触りくらい軽かった。


 そう、軽いのだ。全体的にノリがライトすぎて逆に躊躇してしまう。


 しかし同時にこうも思う。


 俺に打ってつけなのではないか、と。


 中学生のあの告白以来、誰かに気持ちを伝えることが怖くてできなくなった俺に、気持ちの通わないこの関係はぴったりなのではないか。


 考えすぎて頭がぼうっとする。


 ――べつにいいのかな……。漆原さんもいいって言ってるし……。


 甘美で魅力的すぎる提案。ほとんど受けいれそうになったそのとき、漆原さんの放った一言で俺は我に返った。


「先輩はわたしのこと、べつに好きじゃなくてもいいですから」


 相手が喜んでくれさえすれば愛情は求めない。まるで女神のような自己犠牲の精神だ。


 でも、それは、あまりに……、あまりに悲しすぎないか。そんな彼女を食い物にするなんて、俺にはできない。だって彼女はゲームのヒロインじゃない。現実にいる女の子だ。


 どうしたら傷つけずに断ることができるだろう。フリーズしかけた脳を必死に回して思考を巡らす。


「もしかして怒ってますか?」


 黙りこくって悩む俺に漆原さんは怯えるような声で言った。その顔は青ざめている。


「え? い、いや」

「でも困らせてますよね……?」

「それは……」


 否定はできない。かつてないほど困っている。俺が言いよどむと漆原さんは目を見開いた。


「ご、ごめんなさい……! わたし……」


 両手で口元を覆う。表情は今にも泣きだしそうに歪んでいた。


「これくらいしか喜んでもらえる方法を思いつかなくて……!」


 それはちょっと異常な取り乱し方に思えた。


 ヤンキーやギャルはいい意味でも悪い意味でも鈍感。だから周りの目など気にせず奇抜なファッションも平気でするし、多少つらいことがあってもすぐに立ちなおって、いつも楽しそうにしている。そんな認識だった。


 でも本当は、こんなにも弱い。少なくとも漆原さんは誰かに嫌われることに怯えている。それは俺にとってギャルへの固定観念を覆される衝撃的な出来事だった。


 じわり、と漆原さんの目尻に涙がにじむ。


「違う、落ち着け。いろんなことがいっぺんに起こりすぎて動揺してるだけだ」


 しかし彼女はまだ不安そうな目を俺に向けている。


「漆原さんのことをまだよく知らないし。そういう関係になるには抵抗がある」

「……はい」


 頷いた。が、同意というよりは相づちといった感じだった。


「それに、すぐに男ができたら漆原さんに悪い噂がたつかもしれないし」


 二股してただの尻軽だのあることないこと言われかねない。


「……」


 漆原さんはうつむいた。理解はできるが納得はしていない。そんな表情に見えた。


 俺の言葉には充分な説得力があると思う。しかし漆原さんには届いていない。


 その理由は鈍い俺にもわかる。周囲の環境のせいにして俺の気持ちを話していないからだ。合理的だが空虚な言葉。漆原さんのことを空しいだとか言う権利は俺にはない。


 ならばこうするしかない。俺は覚悟を決めた。


「本心を言う」


 自分の尻を叩くためにわざと口に出す。


 ばくばくと心臓が跳ねる。


『え、やめてよキモい……』


 あの記憶がまた顔を出す。気持ちが挫けそうになる。


 本音だからといって漆原さんに届くかどうかはわからない。でもせめて後悔しないように誠実であろう。


 つばを飲みこみ、からからの喉を潤した。


「ひとと気持ちを通わせるのが怖い。だからちゃんと恋愛をできる気がしない」

「だから、わたしのことを好きにならなくても……」

「それも嫌なんだ。そういうのはちゃんとしたい」

「でもできないんですよね?」


 俺は頷く。


「かといってこのまま漆原さんを行かせて、そしてもし君が誰かと付きあいはじめて、また捨てられたりひどい目にあったりするかもって考えると、放っておくこともできない」

「嫉妬してくれるんですか?」


 俺が言っているのはそういうことじゃない。でもたしかに、漆原さんが他の男に肩を抱かれている様子を想像するともやもやする。


「してるのかもしれない」


 漆原さんの表情が少しほぐれた。


「関係を持つのは怖いけど、わたしを誰かにとられたくない?」

「……そういうことになる」

「めちゃくちゃわがままですね」


 などと言いながら、嬉しそうに微笑んだ。


 そしてしばし考えるような顔をしたあと、突飛なことを口にした。


「わかりました。じゃあ――カノジョのつもりで行動しますね!」

「……ん?」

「だから、カノジョのつもりです」

「……どういうこと?」

「だって怖いんでしょ? だからわたしがカノジョの素晴らしさを教えてあげます!」

「それってあんまり変わらんのでは……?」


 俺だけがいい思いをするのは同じだ。


「気になるひとにアタックするのと同じ。それも嫌ですか?」


 嫌なわけはない。こんなにかわいい子にアプローチされるならむしろ大歓迎ではある。


「でもそれならべつにカノジョのつもりじゃなくても」

「友だち以上恋人未満みたいな中途半端なこと、わたしには無理ですもん。だから全力でカノジョをします」


 斜め上からの提案に悩んでいると漆原さんはむくれた。


「先輩が『つぎに活かせ』って言ったのに」

「たしかに言ったけど……」


 あまり俺の要求ばかりを通すことはできない。このあたりが妥協点か。


「わかった。漆原さんのしたいようにしてくれ」


 俺がそう言うと、漆原さんの顔がぱっと輝いた。


「じゃあ今日からよろしくお願いしますね、先ぱ――」


 と思ったら、急に難しい顔になる。


「どうした?」

「カノジョなのに『先輩』はおかしいですよね……。でも出間いずまさんだと他人行儀過ぎるし……。――下の名前で呼んでもいい? っていうか下の名前なんていうの?」

「誠汰、だけど」

「へえ。っぽいですね」


 っぽいか?


「さすがに呼び捨てはよくないと思うので、くん付けで呼びますね」


 こほん、とせき払いする。


「改めて、今日からよろしくお願いしますね、誠汰くん」

「……」

「なんで無視するんですかっ」


 違う、無視ではない。照れくさくてこそばゆくて、リアクションができなくなってしまったのだ。生まれてこの方、親戚の女性以外から名前で呼ばれたことがないから。


「……よろしく。――それよりだ!」


 俺はごまかすように大声を出した。


「ふたつ、釘を刺しておきたい」

「いいよ。誠汰くんの言うことならなんでも聞く」


 なんでも、という単語にただならぬときめきを感じてしまったが、エロい漫画でそうするように無茶な命令などはもちろんしない。


「というかまず服を着てくれ」

「それがひとつめ?」

「違うっ。釘を刺されなくても服は着ろ!」

「は~い」


 漆原さんは制服を着こみ、座りなおした。これでようやく目のやり場に困ることはなくなった。俺は気をとりなおして確認事項を口にする。


「まずひとつ。この関係は秘密。カノジョだと言い触らして外堀を埋めるのはなし」

「チッ……」

「……今舌打ちした?」

「投げキッスです」

「投げてなかったけど」

「もういいじゃないですか。それよりふたつめは?」

「あ、ああ。ふたつめは、過度な肉体的接触はしない」

「過度……」


 漆原さんは頬に人差し指を当てて考えるような素振りをした。


「ということはBまではオーケーということですね?」

「いや過度!!」

「じゃあAまで?」

「Aも駄目だ」

「キスもできない恋人なんてシュークリームのカスタード抜きじゃないですか」

「粘膜の接触は過度だ!」

「ええ……。じゃあ――えい!」


 漆原さんはいきなり俺の身体に抱きついてきた。


「おい!?」

「ただのハグです。皮膚も粘膜も接触してませんよ?」

「で、でも」


 布越しにしなやかな弾力を思いきり感じてしまう。


「これも駄目なんですか……?」


 と、拗ねたように言って上目遣いで見る。


 そんな顔はずるい。ノーと言えなくなっちゃうだろうが。


「い、いや。あまり頻繁じゃなければ……」

「わかりました。じゃあ一日三回までにします」


 それでも多い気がする。果たして俺の理性はもってくれるだろうか。


 漆原さんは俺の胸に顔を埋めるようにした。


「やっぱり誠汰くんの匂い、好きかも」


 ――ぅぅっ……!


 漆原さんの言葉はいちいち男のツボを突いてくる。俺は彼女の肩をつかんで引きはがした。


「はい終了!」

「え~? でもあと二回はオーケーですよね?」

「駄目だ。最後のハグから最低四時間は開けること」


 でないと理性が飛ぶ。


「ええ……。痛み止めの用法みたい」


 漆原さんは口をとがらせたが、すぐにあきらめたように苦笑した。


「わかりました。嫌われたくないですし」


 押してきたと思ったらすっと引く。思ったよりもずっと聞き分けがいい。


「じゃあ、帰ります」

「あ、ああ」


 自分で引きはがしたくせに名残惜しさが湧いてくる。


「今度は誠汰くんのほうから告白させてみせますから。覚悟しておいてね?」


 と悪戯っぽく微笑み、漆原さんは部屋を出ていった。


 精神力のメーターがゼロになっていた俺は、


「ふううううう……」


 と長いため息をつき、うなだれた。


 漆原さんの攻勢をなんとかいなすだけで精一杯だった。危うく流されかけたが、彼女は失恋の痛みをごまかすために、もっとも手近にいたチョロそうな男――つまり俺で穴埋めをしているだけだ。本当に俺のことが好きなわけでも付きあいたいわけでもないだろう。


 俺は漆原さんの傷心が治るまでの絆創膏みたいなものだ。傷口が塞がれば必要なくなる。それでいい。


 しかし『カノジョごっこ』は始まったばかりだ。漆原さんの傷が治るまで理性を保てればいいが。


 遠く先にあるゴールを思い、俺はまたため息をついた。

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