第6話 してあげたい

『明日お昼一緒に食べませんか?』


 漆原さんから俺のスマホにそうメッセージが送られてきたのは昨夜のことだった。


 翌日の今日、昼休みになり、指定された体育館裏搬入口前へ赴く。


「誠汰くん!」


 搬入口の階段に腰かけていた漆原さんが跳ねるように立ちあがって手を振った。校舎から遠いこの場所に彼女以外の人気ひとけはない。


「隣、座って」


 言われるがままに腰を下ろすと、漆原さんは俺にぴったりと身体をくっつけて座る。


「ち、近すぎないか?」

「……駄目?」


 と不安そうに尋ねる。


 大胆なくせに憶病。失恋の傷が癒えておらず、嫌われることに敏感になっているのか。それとも元々こういう子なのだろうか。


「駄目……じゃないけど、恥ずかしいだろ」

「わたしを意識してくれてるってことですね」


 凜奈の顔で漆原さんが悪戯っぽく微笑む。俺の心臓はさらに高鳴る。


 ――違う違う、容姿が凜奈ってだけだ。ときめくな、俺。


 俺の馬鹿げた要望に添って胸元のボタンはしっかり留めてくれているし、スカートも膝丈になっている。でもよく見れば耳たぶに透明なピアスをつけているし、言動はギャルそのもの。中身は完全に漆原さんだ。


 そもそも、仮にも俺に好意を寄せてくれている女の子にゲームキャラを重ねて見るなんて失礼極まりない。漆原さんは漆原さんだろう。


 妖しい眼差しで漆原さんが言う。


「食欲の前にべつの欲を満たしちゃいます?」

「飯の前に下ネタはやめろ……!」

「あれー? なにを想像しちゃったんですかあ? わたしが言いたかったのは睡眠欲ですよ? 膝枕をしてあげよっかって話なのにー」

「この……!」


『カノジョのつもり』を許可した関係上、俺が防戦一方になるのはわかってはいたが、それにしても分が悪い。経験値の差が大きすぎる。まともにやりあえばボコられるだけだ。


「それより、言われたとおりなにも用意してこなかったけど」


 となればスルーするのが最良。漆原さんは一瞬つまらなさそうな顔をしたが、これくらいにしておいてあげるかとでもいうように肩をすくめた。


「はい、作ってきました」


 脇に置いてあったバッグから包みをとりだし、広げた。出てきたのは紺色の弁当箱。蓋を開けると、中には鶏の唐揚げ、玉子焼き、きんぴらごぼう、俵おにぎりが詰まっていた。


 まるでお弁当の見本みたいな内容と出来映え。


「これを漆原さんが?」

「意外って顔」


 と、ちょっとむくれる。図星だ。『ザ・家庭的』の代表格である弁当が、どうしても漆原さんと結びつかない。


「い、いや、そういうつもりでは……」

「嘘、冗談。誠汰くんに喜んでもらいたくて頑張っちゃいました」


 と、ガッツポーズをする。その小さな拳を見て俺は気がついた。


「そういえば、爪も切ったのか?」


 以前は爪が長くて、キラキラとしたラメが散りばめられていたはずだ。


 漆原さんはきょとんとした。


「いやあれネイルチップだし」

「……あ、あ~、ネイルチップね。はいはい。……ええと、要するにつけ爪だよな?」


 漆原さんはぷっと吹きだし「そうだよ」と頷いた。


「誠汰くん、女の子のこと詳しくないんですね」

「面目ありません……」

「大丈夫、わたしがいろいろ教えてあげるから」


 耳に吐息がかかり、身体がぞくぞくとした。年下なのに、この漆原さんの妙な艶っぽさはなんなんだ。


 真壁の『年下のギャルってなんかエロいよな』という言葉を思いだした。それには同意する。しかし彼に言いたい。


『見た目は清楚、中身はギャルのほうがやばいぞ』と。


 弁当を膝の上に乗せる。食べる前に手を拭きたいな、と思った瞬間、


「どうぞ」


 と、漆原さんはウエットティッシュを寄こした。礼を言って手を拭く。


「いただきます」


 俺は唐揚げを口に放りこんだ。冷めてはいるがジューシーだ。しっかりと味が染みており、これはご飯が進みそうだ。


 その様子をじっと見ていた漆原さんは言った。


「いきなり唐揚げとは大胆ですね」


 ――そうか?


 まず好きなものの味を見て、そして最後も好きなもので締める。これがいつもの俺の食べ方だ。


 漆原さんは俺の顔を覗きこんだ。


「わたしにもそれくらい大胆になっていいんですよ?」

「ぐふぅっ!?」


 飲みこもうとした唐揚げが気管に入りこんだ。激しくむせる俺に漆原さんは水筒のカップを差しだす。


「はいこれ」


 ありがたく受けとり、麦茶を喉に流しこんだ。


「ぶはっ。助かった」


 ウエットティッシュといいこの麦茶といい、本当に漆原さんはよく気が利く。気を遣いすぎていると言っても過言ではない。なにせ俺のことばかり構い、漆原さん自身は弁当に手をつけていないのだから。


「食べないの?」

「え? あ、これから食べます」


 おずおずといった様子で尋ねる。


「それよりどうですか……? まずくない……?」

「いや、うまい。びっくりした」

「よかった……。ちなみに誠汰くんはどんなおかずが好き?」

「べつに嫌いなものはないけど。まあ、肉かな」

「男の子って感じですね。わかりました。次はミートボールにでもしようかな」


 漆原さんは安心したように、ようやく自分の弁当に手をつけた。


 自分のことは二の次で俺のことばかりを優先する。こんなに利他的な人間は初めて見たかもしれない。


 ――ここまでしてくれなくても、一緒に飯を食ってくれるだけで充分嬉しいんだけど……。


 満足そうにきんぴらごぼうを噛む漆原さんの横顔。俺は疑問に思ったことを尋ねた。


「漆原さんはさ、俺にしてほしいことはないの?」


 彼女はきょとんとした。


「誠汰くんにしてほしいこと?」

「だってさっきから俺のことばっかりだろ」

「でもわたしは誠汰くんに喜んでもらえるのが嬉しいから」

「なんか申し訳なくなっちゃってさ。なんでもいいよ。――あ、さすがに料理は無理だけどな」


 漆原さんは「してほしいこと……」とつぶやき、宙に視線を漂わせる。しかしなにも思いつかなかったのか、顎に拳を当てて難しい顔をして小さくうめき声をあげはじめた。それでも成果はあがらなかったようで、ついには身体を丸め、両手で顔を覆ってしまった。


「なにも思いつかない……」

「そんなに深刻に考えんでも」


 それにしてもまったくひとつも思いつかないものだろうか。


 俺は改めて弁当を見た。ひとのためにこんなにおいしい弁当を作れる漆原さん。しかし自分のこととなると急にポンコツになる。その献身はとても尊いようで、しかしアンバランスすぎるような気がする。


『だいたい浮気されて捨てられてる。都合よく遊ばれてるようだな』


 真壁から聞いた情報が思いだされる。同時に、こんなに良い子を食い物にした男への怒りも湧く。


 ――漆原さんは、もっと幸せになってもいいと思うんだけどな……。


「なんでもいいよ。たとえば漆原さんの荷物持ちとか――」

「あっ」


 漆原さんが短い声をあげる。


「なんか思いついた?」

「え!? い、いえ、その……」


 と、顔を伏せる。


「なんでもない、です……」

「遠慮しないで」

「う、ううん! ほんとにそんな……。こんなこと頼むのは悪いし……」


 ――どんなやばいことを思いついたんだろう……。


『なんでもいい』などと言ってしまったことを早々に後悔する。しかし陰キャに二言はない。ただでさえ陰キャなのに信義まで失ってしまっては陰キャ(クズ)になってしまうからだ。これ以上の社会的デバフは避けたい。


「なんでもどんとこい」

「……ほんとに?」

「ああ」


 漆原さんは手をもじもじさせたりスカートの裾をいじったりして散々ためらい、ようやく覚悟を決めてこちらを見たと思ったら、明後日の方向を向いてまたもじもじしはじめた。


 あまり時間をかけられると俺の覚悟が揺らぐ。


「ほら、ひと思いに!」


 漆原さんは拳をぎゅっと握り、ついにお願い事を口にした。


「し! ……下の名前で、呼んでほしい、かも……」


 そして申し訳なさそうにうつむき、目をつむった。


 ――……はい?


「下の名前で?」


 漆原さんは頷いたのか震えたのかわからないくらいかすかに頷く。


 それだけ? たったそれだけでこんなに躊躇したのか?


 どれだけ謙虚なんだ。こんな態度を見せられたら、女の子を下の名前で呼ぶ緊張感なんて些細なことと思える。


 俺はせき払いをして、彼女の名前を口にした。


「夕愛」

「~~っ!?」


 名前を呼ぶと、漆原さんは子犬が甘えるみたいな声を出した。


「弁当おいしかった。ありがとうな」


 身を縮こめていた漆原さんは、なにを思ったかいきなり弾かれたように俺の身体に抱きついてきた。


「お、おい!?」

「今日はまだハグをしてなかったと思って!」

「い、いきなりだな……」


 漆原さんは俺の胸に顔を埋めている。耳が真っ赤だ。


 もしかして照れたのか? それで顔を隠すために? 


「ははっ」


 妙に愛おしいような気持ちになる。気がつくと俺の手は漆原さんの頭に伸びていた。


 ――おっと。


 手を止める。無意識に撫でようとしたらしい。


 そのスキンシップは過度だ。頭を撫でるという行為は物理的に触れるというだけじゃない精神的な接触でもある。


 俺は漆原さんの肩をぽんぽんと叩いた。


「ほら、誰かに見られるかもしれないから」

「……はい」


 渋々といった様子で離れる。


 名前を呼ばれただけでそんなに嬉しいのか。なんてコスパがいいんだろう。


「これからも夕愛って呼んでいいかな」

「え!? 今だけじゃなくて?」

「まあ、ふたりきりのときだけな。『うるしばらさん』って文字数が多いだろ? たまに噛みそうになってたし」


 漆原さん――夕愛は上目遣いで俺を見る。


「そんなにしてもらっていいの?」


 ――どんなに?


 夕愛の反応はまるでラスベガス旅行でもプレゼントされたかのような大きさだった。


「わ、わたしも誠汰くんのためにもっと頑張るから!」


 と、胸の前で拳を握った。


「ほどほどにな」


 俺は苦笑いをして玉子焼きを口に運んだ。甘口だ。しょっぱいほうが好きだけど、たまにはこんなのもいいなと俺は思った。

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